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全てはすずの存在のために?――まだ見ぬ数多くの『この世界の片隅に』に向かって

※これは、批評再生塾の課題として2019年に書かれた文章を再掲したものです。

1、
精神科医である斎藤環は、批評再生塾第3期に寄せた「『この世界の片隅に』を批判せよ」と言う課題文で次のように書いた。

本作(=『この世界の片隅に』)については「賞賛以外の批評」が存在しない。これまでになされた数少ない批判は、単なる誤読、偏見、政治的な無知によるものばかりである。確かに本作は圧倒的に素晴らしい。その存在自体を奇跡と呼んでも差し支えない。しかしそれでも、これほどまでにまともな批判が不足している状況は健全とは言えない。それは批評の敗北である。

この文章を読んでまず疑問に思うのは、何故この作品は現段階で批評を敗北させ得る力を持ったのか、ということだ。
『この世界の片隅に』は数多くの批評家をも黙らせしめた。辛口と言われるキネマ旬報の採点では3人の評者がそれぞれの観点から満点を付け、前述の斎藤も試写会の段階で「120年に1度の傑作」と評したのである。
その斎藤は「美術手帖」の2017年2月号に掲載された「『この世界の片隅に』論」でこの作品について論じている。ここではこの映画が上記のように圧倒的な賞賛を得た理由について、アニメ内に登場する様々な要素(絵コンテ、音、セリフ、声優、画面に映りこむ細部)が全て主人公であるすずの存在のリアリティを演出するために機能的に働いており、その組み合わせが奇跡的なまでに成功したということがその理由として挙げられている。
映画内における多種多様な細部は、その全てがすずの人生に奉仕しているというのだが、例えばその一例として次のように斎藤は指摘する。

奇妙なことに本作には、人の出逢いを表す言葉として「運命」という言葉が出てこない。「出会えた奇跡」はおろか、偶然を必然に読み替える一切の言い回しが出てこない。

確かに登場人物たちの何気ないセリフには決して「出会いの奇跡」というような必然性を意味する言葉は出てこない。すずは映画の最後で自分自身の人生が偶然の選択の産物に過ぎないことを認識し、それまでは「絵を描くこと」に象徴されていた(スズは絵を描くことが大好きな少女として登場する)別の人生の可能性を夢想することを止めるのだ。つまり、「偶然性によって成り立つすずの人生」というリアリティをこの何気ないセリフは演出しているのである。
こうした細部への圧倒的なこだわりが上述した批評家の賛辞に関わっているのではないか。つまり映画中の様々な細部がこの映画の漫画原作者、そして監督によって徹底的に操作されていることにより、どのようにこの映画を見ようともそれが「偶然性によって成り立つすずの人生」という1つの意味を構築してしまうがために結局はその緻密さを賞賛する以外に道が無いのである。

斎藤環の前掲した論考がこれらの批評と一線を画しているのはそうした「批評を不可能にする」メカニズムを指摘するという斎藤の行為が、その批評文を特権的な位置に置いたことにある。簡単に言えば、「この作品は批評が成り立たない」と批評したのだ。
ではこのように圧倒的に作りこまれた本作品をどのように批評していくことが可能なのか。本論考ではこの不可能とも思える試みを遂行するために、批評手法の1つであるテマティスムを使って本作品を批評してみたい。この手法は小説や映画内に現れる作者さえ気が付かない極めて些細なモチーフの反復を指摘しながら、その作品に新しい観点を取り込む批評のスタイルだ。
なぜテマティスムなのかと言うと、この手法がそうした作品内に現れる細部の反復を単なる偶然であろうとも、あたかも必然のものとして読み替えていく作業に他ならないからだ。つまり『この世界の片隅に』が演出しようとする「偶然性によって成り立つすずの人生」という製作者側の主題を翻す作業であるからだ。そこではすずの人生を演出する様々な細部を違う意味に読み替えながら、作品に対する新しい見方を提示することが出来るはずだ。
圧倒的とされる感動に徹底して抗いながらもう一度本作を見つめ直すこと。そしてその細部を読み替えることから新しい作品像を結実させること、それこそが批評が『この世界の片隅に』に対して反逆の一太刀として与え得ることの出来る「批判」になるのではないか。
つまり、「偶然によって成り立つすずの人生」という製作者の意図を補完するのではなく、むしろその同じ細部からスズの存在のリアリティという1つだけの意味ではなく、全く違う意味を構築出来得る新しい道を読者に示すこと。そしてその道がテマティスムによって照らし出され得ると分かった時にこそ、製作者が徹底し、結果的に大成功したメッセージ管理がこの映画に対する別の道を無いものであるかのようにしていると糾弾できるのだ。
抽象的な議論になってしまったようだが、この点は次節以降で徐々に具体的になっていくだろう。

本論考はそのように『この世界の片隅に』を批判していくという方略を取ることにしよう。

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