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#匿名短文プチ企画 (無精髭のぶっきらぼうオッサン短編) の感想

 表題の通りです。

あいさつ

 色々と体調を崩し、這々の体で生きています。智子です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。私のような巨漢に夏は堪えます。早く涼しくならないと私の体が溶けてしまいます。私の体は砂糖でできているからです。


記事について


 無精髭のぶっきらぼうなオッサンが登場する短編の企画であるとのこと。

 詳しいレギュレーションはこちらから。

 シンプルなレギュレーションですよね。なにがすごいって朝に告知して、飛び出してくるんですから。皆さんぶっきらぼうな髭のおっさん好きすぎでしょ。


 このサイトの仕様を存じ上げないので調べてみました。たまにTwitterで流れてくる小説の画像ってこのサイトからだったんですね。賢くなりました。

本文(15行×36字/ページ)

文庫ページメーカーより

 540文字×4ページ=2160文字。

 とは申しても、そんなミチミチに詰めるものでもないし。実際は2000文字から1500文字程度でしょうか。

 この文字数の気安さもあって、参加者の増加もあります。

 この文字数でできるといえば、限られてますから。ぶっきらぼうな無精髭のオッサンが勢揃いであると思います。

 さらには「読者が飲み込みやすい状況設定」も大事な気がしています。演出を「説明」する文字数がないので、どうやって描くのか。それが突出した作品が抜きん出るんじゃないでしょうか。

勉強をさせてもらいます。

上から順に読んでみます。

その前に。ぶっきらぼうの定義を整理しておきます。

智子はレギュレーションに厳しいおじさんですから。

ぶっきらぼうの定義

態度話し方などがそっけない様子、乱暴な様子愛想のないさま。

 やっぱそういうことですよね。智子の認識と相違ないので、この部分でチェックしてみます。

作品一覧

 画像はツイートを見に行ってください。記事が重くなりそうですね。

01:不憫な男の夏休み

 ぶっきらぼうなオッサンに理由を添加するという作品でした。
 エンタメ作品としてのテイストやムードの作品でした。現実でこのような振る舞いをしている小学生達がいれば、問答無用で親に通報で「迎えにこい」と叱られますが。いいんです。この作品はエンタメ空間であるからです。

「説明をせずに、演出で関係性を示す」

 といった力が発揮された作品でした。

 皆さんも子どもだった頃があるからおわかりでしょうが。大人に遊んでもらうのって楽しかったですよね。この男性もなんのかんの楽しんでるからこそ、彼女たちも懐いているのでしょう。

02:ゆらゆらと

 エンタメというより。文芸枠の作品ですね。一つのシーンを切り抜くということで「物語的なリズムのあるもの」ではないです。

 ゆらゆらと。というタイトルからも、陽炎であったり、熱気であったりといった部分の演出や表現の部分からアプローチする作品でした。

 大人が子供に対してのぶっきらぼうさっていうのは、何かの「防御的な機能」の話題もあるのかもですね。人懐っこい子どもより、警戒心あふれる子どもであって欲しいのかもしれません。火を付けないあたり、色々と察することもできそうなキャラクター性ですが。子どもへの配慮か。水への配慮か。

 余談ですが。

 実は私の人生経験の中で、夜しかやっていない縁日というのがあんまりイメージがつかなかったりします。

 私の地元は朝から晩まで祭りをしている時期がありまして、いつでも賑やかだったので。イメージしづらかったシーンでした。よその皆さんは、夜だけやってるんですね。

03:赤に染まる

 ぶっきらぼうなおっさんというのは、照れ隠しとしての要素のあるものなのかもしれません。

 私は口から生まれたのではないか。というほどに口が回る人間ですので、人々からは「体は重いが言葉は軽い」と評されます。

 智子はぶっきらぼうなおっさんから遠い人間です。

 何作か読んでいて、傾向として重要な要素を感じています。

「ぶっきらぼうなんだけど、優しい」みたいなことが大事な要素であったり、ターゲットが期待する向きなのではないか。と思い始めています。


04:追放された令嬢、森の中でオッサンに出会う

 短い文字数でまとめてきました。

 ぶっきらぼうなおっさんに求められる要素がわかってきました。

 本当にぶっきらぼうなわけじゃないんですよ。なにかギャップめいたものが求められているのかもしれません。智子掴みました。

 ぶっきらぼうなオッサン。という属性ではあるんですが、スパダリ的な要素とも合わせていくものなんですね。


05:シガーキスを貴方に

 この人たちに何があったのかわからんですが。「動きのあるシーンから書き出す」という定石を理解した書きぶりですよね。みなさんシガーキス好きなんですね。

 智子がこの文化を知ったのは少女漫画でしたが、みなさんのシガーキスはどこからなんでしょうか。

「情報量のあるワンシーン」として見たとき、みちみちに詰まったシーンでした。

 2000文字程度となれば、このアプローチか。駆け足のエピソードとなるか。

 ぶっきらぼうなオッサンを表現するのに、最適なアプローチはどれになるんでしょうか。


06:イケオジの妻はつらいよ


 この文字数でちゃんと作品世界の表現ができて、たたまれているので読後感がよかったです。

 動きのあるシーンから。勉強になる作品です。

 髪を売る。櫛を買う話(賢者の贈り物めいたテイスト)みたいです。

 すれ違いがラブロマンスの基本ですね。

07:ソフビのにゃんこ

 いいですね。すごくいい。彼女が抱えているもの。そして、それについての「変化のきっかけ」となるソフビのにゃんこというギミックでしまりました。

 ぶっきらぼうなおっさんというと、みなさん「可愛い」ギャップが標準装備なんですね。智子理解してきましたよ。

 上から順に読んでいますが。この演出や、見せ方や、課題の提示。そして、それへの変化のきっかけとしての「ソフビのにゃんこ」という見せ方が文字数のスケールにマッチしていて良かったです。


08:鍛冶師の本懐

 今までの作品とは毛色が変わりました。ぶっきらぼうには理由がある。その理由まで交えて「物語」が展開していると読後感が良いです。

 職人ってなんだか、愛想が悪いイメージありますよね。

 ハートフルなものに舵を切ることができるんですね。ぶっきらぼうなおっさん。縦横無尽ですやん。可愛い云々で掴んだとおもった智子を突き放してきました。

09:山道


 体験談を語る。といったテイストの文体ってどうしてホラーやオカルティックな要素があるんでしょうね。

 現在、並行して開催している。ホラーの冒頭博においても。「語り手」がキャラクターであることは結構お見かけしている要素だったりします。

 語り手がキャラクターによる体験談であったり、というのは「オカルトやホラー」は読者との一体感(本当にあるかもしれないなぁ。という塩梅)が求められるからなのかもしれませんね。

「ぶっきらぼうなオッサン×〇〇」といった要素の組合せを提示する企画なのだろう。と智子は捉え始めていますよ。

 あと、ぶっきらぼうについて「徹頭徹尾のぶっきらぼう」はいないんですよ。やはりみなさんギャップが大好きなんでしょう。

10:思い出を胸に

 舞台装置自体に演出や効果を持たせようとした作品です。

 私は幽霊を見たことはありませんが、信じてはいるので刺さりました。

 ここで書いている私。これを読んでるあなたも。いつかは死ぬわけですから。通る道についてのファンタジーや言及は皆さん興味を持てる要素だと思います。

 ぶっきらぼうの理由ですか。

 ぶっきらぼうなオッサンの挙動にフォーカスするのが、この企画の流れなのでしょうね。私はすぐに涙を流すタイプのおっさんですから。近所の大河は私の涙で出来てると神話に残るほどです。


11:それはたとえば、村の入り口で気怠げにしている門番の話

 フレーバーテキストとなりうるストーリーのワンシーンです。
 主人公たちを描く演繹的なストーリーの一つです。

 こういうアプローチで来ましたか。という新鮮な驚きがある読後感でした。エンタメ的な作品世界やムードの中で存在する。いち登場人物から演繹的な描き方。面白かったです。


12:或る魔道具師のありふれた日のこと

 他の作品にもありましたが、ぶっきらぼうであること。というのは何かしらの一般化できる共通点がありそうです。愛想抜きにして、社会への貢献を果たしている。仕事人などといったようなものがエンタメ的性質のある作品には求められていそうです。

 なんか、色々と想像をたくましくすることが可能な領域に気づきましたが。それは、感想のまとめにでも触れておこうと思います。

13:愛しています、愚かで優しい国王陛下

 女性向けエンタメ作品としての文脈のあるキャラクター構成であり、なろうの短編ランキングとかで受けそうなネタではあります。お互いの関係性や舞台装置の開示自体が魅力となるタイプの作品であろうかと思います。

 無精髭のおっさんにフォーカスする。となると、ヒーローとしてのエッセンスとなる要素に添加することになるんですね。

 エンタメ作品ってキャラクターの関係性に注力する向きがあります。こういった形で「短い文字数」という縛りがあるならば、このアプローチの作品となるのは最適化なのかもしれません。

14:はしのしたのおっさん

 視点に制限を持たせ、語りや文体自体に楽しみを見出そうという作品です。最後の一文においてネタバラシがされています。私は捜査機関等の機微をよく存じ上げないので、このアプローチが「実態に沿っているのか」はわかりませんが。面白い発想だとは思いました。

 普通にホームレスのおっさんだと思っていました。とは申しても、私の生活圏内においてホームレスの方というのはお見かけしたことがないので、なんともイメージがし辛いところです。

15:私の家の便利屋さん

 面白かったです。だけど、その面白さは中盤からなので、序盤でムードが固めきれなかったのは悪い影響があったようにも思います。この落差を楽しめる人と楽しめない人はいるかもしれません。

 私は楽しめる人だし、ダイナミックな展開を淡々と描写する作品が好みというのもあります。描き方や演出が秀逸でした。文芸枠かと思わせておいて、バチバチのエンタメ枠でした。

16:新しい香り

 おっさんとタバコというのはどうしてこうも繋がりが深いんでしょうね。ちなみに智子は非喫煙者です。

 父がぱすぱす吸っていました。

 さぞかし美味しいものなのだろう。とデブの智子は期待して、大人になってから吸ってみたんですが。さして美味しくもなく(それにカロリーもありませんし)、せっかく買ってみたタバコも友人にあげてしまうことになりました。

 そんな智子ですから、タバコにはまだ一種の憧れめいたものがまだあります。本当は美味しいものなんじゃないか。といった疑心暗鬼があるのです。電子タバコを試してみたくなりました。

 さて。

 面白い短編でした。演出が非常に上手です。ぶっきらぼう。というレギュレーションを描くうえで、登場人物の表情にフォーカスするのは大事ですよね。

 このテイストが「村山由佳」のラブロマンス小説に近い空気感があって、懐かしさがいっぱいになりました。


17:煙草、吸いますか。ちょっと泣いてもいいですか。

 舞台装置の効果を期待した作品です。
 それらの作品のテーマや、哀愁を序盤の一文から汲み取ることが難しい作品でした。

「わたし」という語り手が「男性であるのか。女性であるのか」というのも見えてこない情報量で展開しました。しかし「一人称小説」というのは多少の不便さがあるものです。乱れた髪をパーカーの紐で結う。といった描写から女性であることや。男性に対しての警戒心を示すなど。おそらく女性であろうかと思われる描写も散見されました。

 乙一の短編「落ちる飛行機の中で」を思い出す話題(世界への諦念や絶望感、諦めからの提案など)でした。

 作品上、お互いのキャラクターが抱えている課題などを描こうとしたように感じますが。スケールが文字数にまだあっていない作品のように感じます。

 こういったテイストでキャラクターの切り口を書こうという方がいるんですね。おそらくですが。作品上の一番の魅力とできるであろうシーン自体が短く畳まれているので、少々物足りなさはあります。この書き手はどなたなんでしょうね。非常に気になる一作でした。

 2000文字は難しいですね。

18:ひげとぼく

 いや。もう。読みながら「おいおい。これは全年齢なのかなぁ? 大丈夫? 未成年誘拐にならない? いや、物語にケチは付けないけど。変態おじさんじゃないの!?」とフルスイングのツッコミをしていましたが。大丈夫です。健全でした。

 やはり、視点に制限があり、読者にセルフでツッコミを入れさせながら読ませる。ページをめくらせる。というのはやられた感がありました。みなさんも転がされてください。

19:無精ヒゲオッサン賢者と弟子の姫君

 Twitterでも言及したんですが。面白い作品でした。

 ちゃんと2000文字の中で、始まりと終わりを書いているので「読み物としての満足度」が高い作品です。彼らは何を問題としていて、それらの問題に「主人公がどのような決意を示すか。行動するのか」という部分を明確にしています。

 そして、その主人公を陰ながら支えていたであろうことがわかる描写や演出も良い効果を出していますね。

20:オッサンの夢

 面白い作品でした。丁寧にまとまっている読み物はそれだけで一つの満足感があります。
 無精髭のオッサン。というレギュレーションで作品を募ったときに、外から「無精髭のオッサン」を描くのか。内から描くのか。それで随分と作品のテイストが変わっていきます。

 とは申しても、物語の定石から考えるに。

「変化」の始まりを描き続けることが物語ではあるので、内側の物語であったとしても十分ストーリーになるのだなぁ。と興味をもって読み終えました。

 無精髭はそれなりに、いろんな人々の間で捉え方が変わってくるんですね。

21:何も始まらない出会い

 いや、すごい作品が出てきましたね。誰が書いたんだろう。オカルティックなホラー要素と、コメディテイストな書きぶりが斬新でした。

 作品の魅力とするところは十分に伝わりました。刺さる人には刺さる要素を提示できたと思いました。

 ぶっきらぼうな無精髭の男性達。の傾向を掴むうえでも十分に参考とできるタイプのエンタメ作品だと思いました。

22:変わるもの変わらないもの

 妻の立場から、無精髭の夫を描写する作品です。似たような演出やテイストの作品が『06:イケオジの妻はつらいよ』にもあります。

 32作もある中で、一部の被りがあるというのはあれですかね。やはり、一体感を伴って描ける領域の無精髭というのは。家族のそれであるのかもしれませんね。

 かわいい。という要素は何かしらの共通点として見出せそうです。

 ぶっきらぼう。という要素をどのように取るか。というと、仕事への向き合い方などを触れているのが、それなのかもですね。

23:探偵の決心

 短編というより「書き出し」に近いタイプの作品です。風呂敷は広げていますが、畳まれていない。おそらく2000文字で描けるタイプのスケール感ではないように思います。

 無精髭のおっさん。が、視点となるタイプの作品です。あんまりないタイプかも。内側から描く。という作品です。

 長編の書き出しとして見るならば、彼自身が抱えている。「子どもが苦手」という情報の提示自体が、今後の物語の大きな推進力になりうる要素でもあるので、面白そうでした。しかし、短編ではない。続きあるなら読んでみたいです。


24:タバコの香り

 良いことをしたとき。

「名乗るほどのものでもありません」

 って奴ですな。非常にスタンダード。ストレートだからこそ強い。そういった作品ですよね。

 女性向けのエンタメ作品。ラブロマンスの切り出しとして、力のある書き出しです。しかしながら、レギュレーションにうるさい読者であるため。

「このマスターはぶっきらぼうだろうか。愛想よろしくない?」

 という疑問は浮かびましたが。イケオジの登場の前には色々と消し飛びます。

25:特殊清掃員シゲさん

 読者の誘導が上手ですよね。特殊清掃というので、孤独死関連の物品整理を含めた特殊清掃の意味合いと捉えていたんですが。裏社会の掃除というネタとのミスリードを期待した読み物でした。面白かったです。

 無精髭のおっさん。が歩んできた経験や知見に「セントラルクエスチョン」があたる描き方でした。短編連作等でサクサクと描けたら、楽しそうな作品です。

26:昭和レトロな喫茶店

 世界観としては「現代の創作落語」の中で語られる商店街の一角のようなムード感の作品です。
 他の作品にある「ぶっきらぼうなオッサン」達にある「ギャップ」としての可愛さ。とは別の「地に足のついたオッサン達の愛嬌」という領域を描いた作品です。

 現代の若い子達にとって「昭和ってなんですか?」みたいな領域の話題ではあろうかと思います。昭和レトロってもうあれですからね。

 40年以上前のことですから。作中に登場するおじさま達ですらも、若人の時期でしょう。

 昭和が遠くなっていく。

27:メカニックおじさんとクソガキ

 残すところ数作。後半になる中「無精髭のぶっきらぼうなおっさん」自身を語り手とする作品が増えましたね。

 ぶっきらぼうであるのか。というと、あれですよね。

「語り手」となると、その「ぶっきらぼうさ」を演出するのが難しいなぁ。と思いました。三十路を超えたクソガキへの態度や応答にぶっきらぼうさ。無愛想さを表現しているというところでしょうか。

 二人の関係性や、クソガキの立場や身分。オチなども含めて、読み物として楽しめるものでしたが。ぶっきらぼうなレギュレーションへの疑問がいくらか残るものでした。

 ぶっきらぼうって。「他者から見てのそれ」であるので、視点の置き方次第で演出のイメージが随分変わりそうですね。クソガキの視点であれば、また印象ががらっと変わりそうな作品でした。

28:海辺のおっさん。

 面白かったです。どんな物語であったとしても「表現されている仕様や設定が余す所なく動いた短編」というのは、満足度が高いです。

 すべてを説明をする必要はないし、読者が想像を楽しむ領域で情報を残しているのも素敵な余韻です。

 おそらく主人公には「聞かせるべきではない」といった領域の話題を大人たちは抱えているでしょうし、そこを汲み取れないか。汲み取らないか。若さのある主人公の視点の描写も味があって良かったです。

 長編化待ったなしですね。

 西炯子の「カツカレーの日」に似た親娘の物語が好きなんです。ええ、まあ。好みの問題です。

29:ルネと元騎士団長の逃避行

 この作品も情報に溢れたものですね。もっとふくらませると「ドラマ」になり得るタイプの作品です。そういった要素のある作品を見るとワクワクしますよね。

 お上と悶着を起こすような性質の主人公。かつてはコミュニティに属していた集団のヒーローが。コミュニティから離脱した孤独のヒーローとして、物語にあたる。

 セットアップ(主人公が何をする物語なのか。何を目的として楽しむのか)が早くて、短い文字数の中で展開しようという意識が強く現れる作品でした。

 エンタメとしてお手本としたいほどのスピード感です。

30:宵闇の誓いーこの痛みは、いつか咲くための蕾ー

 智子の嗅覚は鋭いですからね。BLだろうと予想はしていました。

 語りに情報量のある作品ですよね。語り手が少しずつ確定していくタイプの物語です。序盤のまっさらな状態から、どんなふうに「語り手」の情報を確定していくのか。

 語り手が梶浦なる「無精髭のぶっきらぼうなオッサン」へどんな気持ちを抱いているのか。

 強いて言うならば「僕」の性別がもっと確定できる情報があり、秘めたるラブロマンス(どうなんでしょうね。同性愛自体を秘めたるもの。禁断のものとして扱う風潮自体が最近の創作物では注意事項が付されるレベルですが)としてあれば、もっと「ターゲットがはっきり」して、エンタメ作品として強みがでたようにも思います。

31:花咲オッサン

 この作品に限らずですが。序盤から作品のムードや世界観が伝わる文章が書けるのは強いですよね。

「砂漠に存在するカボチャの塔」という文言がまぎれもなく「こいつはファンタジーですよ」というアピールから開始されるので、読者としてもそのつもりで文章にあたることが可能でした。

 ガラスになってしまった息子を取り戻すためにあれこれ頑張るオッサンの真意に気づいた相方の心情に寄った作品でした。

 ライターの描写が前半に示されているので、後半にもそのライターに役目を持ってくる。など、短編としての伏線とイメージの連続が上手な作品でした。

32:魚の髭は知を集う

 ラブロマンスですね。色白のキーボードばかり叩いてる長い髭のおじさんを愛してくれる都合の良い女性を智子は募集中です。

 ぶっきらぼうな無精髭のオッサン。

 トリの作品がラブロマンスのものである。というのも、象徴的です。

 32作品あるうち、ラブロマンスに絡む作品も結構ありました。

 この作品のように「女性がアグレッシブに男性にアプローチするタイプ」の作品は「男性向けの需要」としてあるものです。

 参加者一覧を眺めてはいませんでしたが、とある書き手がちらつきます。

 と思って、参加者一覧眺めてきました。


 環月さんいたわ。いや、環月さんだと思うんだけどなぁ。もしも違ったら、違ったで。書き手の方は環月さんの描く世界観好きだと思いますよ。

感想のまとめ

 項目の通り、まとめていこうと思います。

企画に触れた理由


 非常に興味深いレギュレーションであったので、触れてみました。

「無精髭のぶっきらぼうオッサン」

 このレギュレーションに興味を引かれた理由について考えてみます。

 基本的に物語やキャラクターに関する捉え方としてですが。
 智子は、人々に好感を持たれるないし好まれるキャラクターや物語の共通点について捉えようとする向きがあります。

 その態度で色々と読んでいく中で、気づく共通点があります。だけど、その共通点は「現代の思想」として整理していくうえでは、憚られる負の要素が強いところもあります。ありますが、エンタメ作品を作っていくという上では避けて通れないラインではないか。とも思うので、メモを残していきます。

 基本的に「読者に受ける」キャラクターや物語の造形というのは。

「マジョリティ(多数派)の価値観を称揚し、マジョリティの価値観を肯定する作品」です。

「家族を持ち、子どもを産み、育てること」

 この流れは圧倒的なマジョリティです。紛れもない多数派であり、そういった人々のための物語を描き、それを届けることが「商業的」にはウケる要素があるということは忘れずに頭に留めておきたいです。

 この基本的なスタイルを踏襲した作品ないし、その一部を表した作品などがエンタメ作品のなかでフォーカスされる営みの一つです。ラブロマンスの話題などはそういうところもありますよね。

 翻って、本企画のレギュレーションとしての「無精髭のぶっきらぼうなおっさん」というのが、マジョリティとしてのどんな価値観を礼賛、称揚しているのか。

 という部分を考えてみたかったのが。今回の企画への注目でした。

 読む前に色々考えていたんですよね。どうして「ぶっきらぼうなオッサン」なのか。

「いや、そんな深く考えてませんよ。ただ、ぶっきらぼうなオッサンが欲しいからでしょ」

 という、身も蓋もないツッコミが予想されますが。智子は空気を読まない子なので。考えています。


男たちがぶっきらぼうでも許される理由


「男たちはぶっきらぼうであることが許される」

 というのは一つの「特権」的な要素もあるのでしょう。

 今時の若い子達はどうかは存じ上げませんが。女性たちに対してのある考え方があります。

「女は愛嬌」という言葉がありました。

 ことわざの一つですね。

「男は度胸。女は愛嬌」

 社会(このことわざの文化圏の男女観)がそれぞれの性別に求める、要素を「語呂合わせ」で表現したことわざです。

 私の政治的な別アカウントの革新的な左翼のお姉さんやお兄さん達(いわゆるフェミニスト)に言わせれば「前時代的なジェンダー観に押し込められた悪い表現である!」と叩かれそうです。

「基本的にマジョリティの間で残り続けてきた言説」というのは多かれ少なかれ差別的な要素が内包されるのは当たり前ではあります。

 私は常から申しているように「基本的には男らしさや女らしさに準じた方が世の中は生きやすいですよ」という主張をしている保守的なオッサンです。

「女は愛嬌」という考え方からわかるように。社会が女性に求める役割の多くは「愛嬌」や「愛らしさ」など、どちらかというケアの人員としての活躍を求める向きがあります。現代の女性たちは「男性並みの働きをしつつ、女性としてのケアの能力も求める」といったスーパーウーマンが求められるという苦難の時代ですが。そこは多くのことを言及すると感想が長尺になるので、割愛します。

 ここで引き合いとして考えたいのは。表裏一体のように「男に求められる役割」にはケアの要素は存在しないんですね。

 逆説的に申し上げると。

「男に愛嬌はいらない。女に愛嬌が求められる」

 という価値観を強化する。称揚する。そういった性質のあるレギュレーションであるのだと、読みながら気づいたところです。

 そりゃ、エンタメと相性が良いわけですよ。

「無精髭のぶっきらぼうなオッサン」

 そんな姿の無精者を、許す社会であること。というのは「マジョリティ」が望む社会や価値観を強化しています。

逆張り

 ここで、逆張りとして「無愛想でぶっきらぼうなオバサンないし妙齢なお姉さん」をテーマに作品を募ったとしたら、多くの方々の発想と転換によって、新しい新時代の需要を生み出すレギュレーションになるんじゃないのか? と、震えながら読んでいました。

 新しいムーブメントを作ってみたいなぁ。と智子は思いながら「無愛想でぶっきらぼうなオバサンないし妙齢なお姉さん」が人々から「当たり前のように受容される」社会を描いた作品が、隙間のようにウケるんじゃないか。と思っています。誰か書いてみませんか?

 智子はおねショタに忙しいので、ネタとして留めておきます。

終わりに

 今回の企画についても、智子なりに収穫を実感できた作品が並んでいました。

 予想していた作品とは違うテイストのものも、いくらかさわれたので、良い刺激になりました。

 参加者の皆さん。お疲れ様でした。

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