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今夜、私は世界一ハッピーな正夢を見る。


""ひとが夢を叶える瞬間""
というものは、人生の中でそう出くわすことのないスーパーレアイベントだと思う。

もっと言えば自分の夢が叶う瞬間でさえ、「あ!いま夢が叶った!」と実感しながら迎えることも決してよくあるシチュエーションではない。

私は夢というものを「叶えるもの」ではなく、「恋焦がれるもの」と認識している気がする。随分ロマンチックな脳内をしているもんだ。
私にとっての「夢」は、輪郭がすごくぼんやりしている。もちろん目には見えないし、そもそも実体はないのかもしれない。でも確かに私の胸をぎゅう、っとさせてくるもの。そういう概念のようなものである。
だから途中で夢の形が変わっても、色が褪せていても、正直それにすら気付けないと思う。
夢はいつの間にか見ているもので、気付いた時にはそこから消えているもの。そう思っていた。

そんな不確かなものを自分たちの手で攻略して、掴んで、明日叶える人たちを私は知っている。
何度も夢に見たはずなのに、どこにあるのか長い間わからなかった場所。それを見つけて、ひとつめのゴールテープを切る瞬間を私は明日、この目で見られるらしい。

私はこのあと、世界一ハッピーな正夢を見るのだ。



今更なことを改めて言うが、私はIMP.鈴木大河さんの大ファンだ。
今日は世界でいちばん大切な私の宝物が夢を叶える前日なので、いつもの140字のひとりごとの141字目以降を、ここに書き留めておこうと思う。




あまり口数は多くない。
だけど、ひとの話を聞いている時はいつも目の下にシワを作って大きな口を開けて笑っている。
ニコニコと楽しそうにしているその表情がとても素敵だなと思ったのが、鈴木大河さんを好きになったきっかけだった。
ビビビと雷でも落ちたかのような一目惚れをしてしまった私は、期末テスト中に切羽詰まった学生くらい徹夜をして彼のことを調べ倒した。連日の寝不足で通勤電車の中にリュックを置き忘れ、身一つで職場の最寄駅に降り立った日もあった。こんな大人をぜったいに許すな。

いい大人がそんなことを平気でやってしまうほど、持ちうる情報0の一目惚れ相手が今までどんなことを考え、どんなふうに生きて、どんなことを頑張ってきたのか猛烈に知りたかった。0を早いところ1にでも2にでもしたかった。しかし過去のアレコレをさらってみたものの、彼について今ひとつ掴めずに終わったことをよく覚えている。今思うと当時は彼の思想や言葉に触れることができる機会があまりにも少なすぎたように思う。
自分のことを積極的に話す人ではないということにはすぐ気づいた。ただ、それは単なる引っ込み思案な性格や消極的だからというわけではないことに気づいたのはその少しあとのことだった。

誰かが話し始めると動かそうとしていた自分の口をそっと閉じて、話している人の方を体ごと向けてしっかりと目を見て話を聞いているのに気付いた時、私は「ぜったいこのひとがいい」と思った。
自然と体がそう動く彼の"当たり前"が、たまらなく好きだと思った。それができる人はこの世の中にきっとそんなに多くない。




かく言う私は、ひとの目を見るのがとても苦手だ。
コミュニケーション、アイコンタクト、1番大切なんじゃないかと思える職種についているにも関わらず、今でもなるべく相手の目は見ずに話したい。
それは相手に対しての嫌悪感とかいうものではなく、本当の自分が"どうしようもない"ことを知られたくないから、というのが本音かもしれない。

ひとの印象は第一印象でほぼほぼ決まる、なんて話をいつだか本で読んだことがある。その後に"視覚での印象が半分"、とかいう言葉が続いていたからおそらくそれは親しみやすい表情かどうか、みたいな話だったんだろう。
けれど私は第一印象からギャップがあればあるほど、相手を落胆させることに繋がってしまうんじゃないかと、その時はなんとなくどよーんとした気持ちになってしまった。

なるべく"他から思っていただけている自分"でいたいといつも思う。がっかりさせたくないし、そもそも期待されていないのに気付いてしまうのも怖い。つくづく面倒な人間だなぁと思うが、私は今でもなんとなく、ひとの目をなるべく見ずに、言葉を盾にして自分を守りながら生きている。自分が"とにかくよく喋る明るい人見知り"なる所以はおそらくその考え方がルーツだと思う。

そう考えると自分のことを積極的に話すことが少ないひとは、色んな意味での「誤解」を生むことは稀ではないと思う。第一印象で相手に与えた自分で思う自分"らしくない"一面を「誤解」と表現するとしたら、その誤解を解く機会が他の人よりもはるかに少ないからだ。やはり言葉と声には説得力が宿る。


そんなことを考えながら長いこと生きてきたが、今年に入って私はこんな言葉に出会った。

「ひとの目をよく見る人は、ひとを見る目がある」

この言葉は、鈴木大河さんのためにあるんじゃないかと思った。今でもそう思っている。

「自分がどう見られているかは、もしかすると相手の目をよく見ないとわからないのかもしれない」

これは私が彼から学んだことだ。きっとこれからの人生で何度も思い出し、何度も誰かにシェアすることになるんだろうと確信しながら、この言葉を御守りとする。




自分に向いている視線がやさしいものなのか、はたまたそうでないのか。ただの癖だと言われればそれまでだが、彼はそんな複雑で時に残酷な見極めを、自然とやってここまで生きてきたんじゃないかと思う。
そうやってひとの目をよく見てきた分、心ない視線にも人よりたくさん気付いているのではないか。誰も知らないところでひとり、こっそり傷ついていたりしやしないか。
きっと彼は、自分以外がそれに気付いてしまうことのないように、やさしく仲間の視界を遮るようなひとだと思うから。

「我以外皆我師」、彼の座右の銘だ。
きっと今までもこれからも自分以外の全てを「師」と捉え、尊敬の気持ちを持ち、どんな言葉も真摯に受け止め続けていくんだろう。
それを思うと、どうか彼に向けられる視線がやさしくてあたたかいものばかりでありますように。ひとりで泣いたりしませんように。私はそう願わずにはいられない。
もし今回の彼の夢を叶えるためにどこかの神様が少しでも力を貸してくれたのだとしたら、どうかこれから先も末永くどうかよろしく頼みます。


私は、自分さえ不幸でなければあとはどうだっていいと思いながら生きてきた薄情な人間だ。
幸せでありたいなんて我儘は言わないが、せめて不幸にはなりたくないといつも思っていた。
そんな私がなりふり構わず、自分以外の誰かの幸せを自分のこと以上に願ったりしている。面白い話だ。自分が肩代わりして彼が苦しまずに済むことが万が一存在するのであれば、喜んで引き受けたいとすらいまは思う。
ある人から見れば馬鹿みたいに見えるかもしれないが、そんな馬鹿な自分自身を私はどうやらひどく気に入ってしまったらしい。誰かを想って生きる世界はそりゃあもうとてつもなく綺麗なもんだ。

だからもし私に来世があるとしたら、来世もぜったい、どんな形でもいいから鈴木大河さんを応援している自分でありたい。
たとえばもしあの7人がいろんな場所にしっちゃかめっちゃかバラバラに生きることになっていたとしても、私が全員とっ捕まえてかき集めて、また一緒にしてやるんだ。
それくらい、来世もぜったいみんなに会いたい。
うん、ぜったいにそれがいい。




2023年8月18日。
このあと私は、世界一ハッピーな正夢を見る。
そしてすべてが叶った世界で私は目を覚ますのだ。
つまりこれからの毎日を、「彼らの夢が叶った世界」という時間軸の中で私も生きていくというわけである。
夢は叶えるものではなくて、ただ恋焦がれるだけの、形のない、なかなか手に入らないものだなんて誰が言った?冒頭のアンタだよ。こんなに生きても人生、新しく知ることばかりで溢れているらしい。死ぬまでワクワクしながら生きていけそうだ。


私がこれから先恋焦がれてみる大きな夢も、彼らはきっと、何度だって正夢にしてくれる。
私がIMP.に出会えたことそのものが、スーパーレアイベントだったのかもしれない。
大好きな7人のこれからに、幸おおからんことを。


さて、私の宝箱の鍵は、今日からあけて眠ることにしよう。

おやすみ、私の世界でいちばんの宝物。
デビューおめでとう。


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