家事育児と賃労働

ツイッターでよく話題になるのがブス女キラキラ女、次いで家事育児等。フォローに偏りがあるが、しょっちゅう家事は楽だ仕事は辛いみたいなん見る。ツイッターって議論に向かないって言われながらめちゃめちゃいろんな意見出るよね。

なんで家事育児と賃労働って全然違うものなのに比較対象になるの?なぜかその二つで殴り合い。そりゃどっちも経験してる人が言うのが一番いいけど、どっちかしか経験してなくても言う権利はあるぜ。経験してないと批判してはいけないってことはないからな。しかしなぜその二つなんだ。辛さのベクトルが違かろう?

まず家事のつらさ。「むか~しみたいに手で洗濯したりすることはないから」「機械がするんだから楽だろう」「一人暮らしの自分でもできるんだから~」という人がいるけど家事のクオリティによるんだよね。当然本人の要領のよさも。

自分みたいな要領の悪い人間が、キレイ好きでもないのに毎日シーツを洗濯しろと言われたらちょっとまいるな。そんなことを要求するなら働かすようなマネはやめてくれ。って。当然働きながらも家がピカピカという人はいる。それと比べられても困る。できないものはできない。

まあ家事は1~2人の量ならつらくない。3~4人に家族が増えると家事の負担はクソ上がると思う。はっきりいって自分なら働いてたらできない。洗濯だって毎日2回回す日が増えるだろ?メシは4人前だけつくってたら次の日の弁当分までまわらない。弁当だけ作ろうとしたら朝何時起き?ごはんだって都度炊かないとまにあわねー。メシの想像だけで今と段違いに手間増えるじゃん。買いものだって4人分買おうと思ったら一人ではこなせない。車いる。つうかその生活、召使い以外の何物でもないのに、一般的にいうたら「母の役割」

まあ飯を作ってもらう立場で主婦は楽だよね~って男いたら、お前がやってみい!と言いたくなるよね。

育児が大変なのは自分はしったげに語れないけど十分みんな知ってるよね。まず言葉が通じないんだから。意思疎通が感覚でしかできない相手とずっと一緒。何年もお世話。もしかしたら20年くらいお世話。その間一銭も稼いでこない可能性もある。しかもかよわいので責任重大。(昔おろちょんさんという方のブログに「子どもはすぐ死のうとする」というエントリーがあってすごく共感したが)

そのくせ「こなして当たり前」みたいなもんなのがね。人類がずっとやってきたことなのです。大多数の女性がこなしてきたことなんです。あなたもできるはずだから弱音を吐くんじゃないわよっていう圧力。頑張れる人頑張れない人・できる人できない人がいるんで、自分の当たり前の押しつけはよくないよな。このへんの押しつけは自分もいろんなとこで価値観押しつけてるんだろうなあと思って反省。言われるとウルセーバーカという感情にしかならんから。

さて、話が逸れそうになってきたから次は賃労働






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