UberのCMについて

 そんなことするためにこの商品、サービスがあるのか?それでいいのか?と思ってしまうCMが、時たま見受けられる。

 一昔前のアレクサのCMがそうだった。
 彼女が来るので、自分の母親にテレビ電話で料理のレシピを聞くというものだったかと思う。
 男性が彼女に母親レシピの肉じゃがを出すのがマザコンぽくてキモいという苦情が多かったかと思うが、私は、アレクサをそんなふうに使うやついるのかな?アレクサの便利さってもっとほかのところにあるんじゃないかな?と納得がいかなかった。

 というわけで、Uber eatsのCMである。
 何種類かあって、どれも納得がいかないのだが、特に覚えているのが2つある。
 1つは「あっ、今日、誕生日です!」と女性が夫の誕生日に気づく、何も準備していない。かといってこれから買い物にいく時間はないですよと言い訳するかのように、デスクワーク(リモートワーク)の真っ最中だ。すると、これを聞きつけた義理の母(誕生日です。と,敬語で話しているので実の母ではないだろう)の夏木マリさんが登場し、「Uber eatsでいいんじゃない?」と提案し、Uberでケーキとシャンパンを頼んでことなきを得るというものだ。
 実の息子の誕生日を忘れている嫁に、一切毒づくことなく「Uber eatsでいいんじゃない?」とは、見かけによらず、なかなかなできたお母さんだとは思うが、まぁそこは置いといて。

 もう一つは、家族で釣りに出掛けて、何も釣れなかった。食べるものがない。ご飯どうしよう…。と、途方に暮れていると、夏木マリさんが登場して決めゼリフ!というものだ。

 この2つのバージョン以外にも割と当てはまるのだが、基本的に準備不足なんだ、この家族は。
 加えて、家でエクササイズをしている暇そうな孫と祖母でプレゼントを買いに行くわけでもなく、一匹も魚が釣れていないにも関わらず、帰りにどこにも寄らないで、家に帰って食べるものがないと初めて気がつくみたいな、そういう初歩的なリアリズムのなさもあり、共感はできないし、さらに準備不足をUberでカバーするなんて、怠け者だなぁと反感すら覚えてしまう。

 自分たちの不手際をUber eatsでカバーするってのは、本当は使いたくないけど、仕方がないからって意味合いが強くて、すごく消極的だ。
 それだったら、さっきの夫の誕生日編でいえば、もうすでに家族で誕生日のお祝いをしていて、そこにピンポン!「近くまで来たから寄ったよ。お誕生日おめでとう!」と、いるのか知らないが、夫の兄弟が訪ねてくる。せっかくお祝いに来てくれたけど、料理が足りないなぁ…そこで夏木マリさんの登場!という方が、Uberの前向きな利用方法になると思う。
 
 そもそも、このCMで誰をターゲットにしているかといえば、夏木マリさん世代なのではないだろうか。若い人にはもう十分浸透しているから、次はシニア世代にバンバン使ってもらおう、そういう意図での夏木マリさんなのではないだろうか。
 そう考えると、夏木マリさんの友達が家に遊びに来ていて、「久しぶりに集まって楽しいわね!お腹空かない?」「そうね、ちょっとどこかに食べにいきましょうよ!」「…でも、膝が…。」「私は腰が…」と、ここで満を持して、夏木マリさんの登場!と、こういう切り口はどうだろう。若干、コンドロイチンが出てきそうな展開にはなってしまったが、自宅から出ずに好きなものが食べられるという訴求ポイントはとらえているのではないだろうか。
 あとは、食べたいものが和食、洋食、中華など,それぞれ分かれてしまって、1店舗で決められないよ!というときにも夏木さんに出てきてもらって構わない。家が簡単にフードコートになりますよ!と。
 失敗や準備不足をカバーする消極的な使い方よりも、よほど、良いイメージではないかと思うのだが、どうだろう。

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