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変わらぬ人

言葉にしたくてもなかなか纏まらない。
でも年内には纏めたい…
年の瀬。最後に残したい忘れたくない記憶を
ここに書き留めようと思う。

「すずめの戸締まり」のお話


きっかけは紛れもなく"北斗くんが声優をする"
最初は単純な理由で映画を観に行く気持ちだった。
夏休みのどこかのタイミングでネットに上がった
"新海誠監督の最新作のキャラクター解禁"
そんな情報をベッドの上でみた時に
「あ、これきっと北斗くん声優くるな」
直感的にそう思っていた。
当時の私はその事を何気なく日記に綴っていた。
9月になってニュースで声優が発表された時に
驚きも合ったけど「やっぱりそうだよね」
と妙に腑に落ちた自分がいた。

小説も発売日に買って内容も頭に入ったし後は公開を楽しみに待つのみ。
試写会とか舞台挨拶とか行けたらいいななんて思っていたけれど、そう簡単にはいかず、北斗くんの登壇する全ての日程が平日で何度も心が砕けたのも振り返るとほろ苦い思い出だ。
意地でも舞台挨拶に行きたかった私は、勢いに任せて11月13日に横浜で行われた新海監督のティーチインに参加することにした。

公開初日、仕事終わりに車を走らせて映画を観たけれど金曜日の疲労困憊の体に鞭を打ちながら行ったからか、感じたものは沢山あった筈なのに、職業柄気になる点があってそこが気になって仕方なくなり物語に入り込む事ができなかった。
直前まで子どもたちと関わっていた事と今年受け持っている子どもたちが子鈴芽ちゃんと同じ年齢だからだと。
これが職業病というものなのだろうか…。

クリアな気持ちで観るべく挑んだ11月13日。
2回目の鑑賞はしっかり物語を追いながら観ることができ、一安心したと同時に言葉に出来ない多くの感情が込み上げてきて、涙が出てきた。
※私は最後の電車のシーンとエンドロールは必ず涙が出てしまう。きっとそういうもの。

話の途中で「死ぬのは怖くない!!」
という台詞が何回か出てきた。(ニュアンス)
この台詞で私は一生忘れることのない人を思い出した。

「大姫」のお話


今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で私は生涯
忘れることはないし忘れたくない人に出会った。
それがー大姫ーだ。

木曽義高の許嫁だった悲運のお姫様。
そう紹介される事が多いような気がする。
恥ずかしながら、私は鎌倉時代の歴史を殆ど知らず、登場人物は放送後に調べたり父に情報を教えて貰いながら、知識を蓄えるというのが今年1年の大河ドラマの付き合い方だった。
紛れもなく大姫もその対象だった。
大姫の事を調べれば調べる程胸を打たれてる事が多く調べる度に「可哀想なお姫様だ」と思っていた。ドラマ内では南沙良さんが演じており、
ドラマの大姫はミステリアスで掴みどころのない役柄だった。
※自分の備忘録だから生い立ち等は割愛する。

大姫にフォーカスが当たる回での大姫の台詞
「冠者殿を忘れたくない。でも顔も声も忘れてしまう。忘れたくないのに。」
許嫁を自分の父によって殺された大姫の胸の内。
それに対して巴御前が「忘れているという事は冠者殿が前に進めと言っているのですよ」と伝えている。大姫にとって似たような境遇の巴御前からの言葉は大きな影響を与えて、一度は前を向いて歩もうとするものの、その後京都で様々な事が起こり、その後帰らぬ人となる。
死ぬ前に大姫が言っていた言葉が一語一句忘れられず鮮明にに脳裏に焼きついている。

「好きに生きるということは、好きに死ぬということ。私は死ぬのはちっとも怖くないの。死ねば冠者殿に会えるんですもの。楽しみで仕方がない。」

母である政子にこのように話し
その後、ナレーションで

「生きる事を拒んんだ体は〜」と続く。

幼い頃に許嫁を父の手によって殺された大姫は
体はこの世にあるものの、心はその時から止まってままで生きてはいなかったのではないかと思った。

すずめの戸締まりは物語が進むにつれ
"死ぬのは怖くない"から
"死ぬのは怖い。消えたくない"に変わっていく。
主人公の鈴芽は草太さんや他にも多くの人に出会い、また多くの愛に触れて、大切な人が出来て変われた人が鈴芽や草太さんだなと感じている。
そして鈴芽は過去の自分を今の自分が明るい未来に導いている。
私はそう感じた。そこに救いを感じるし
北斗くんが披露試写会で話していた
「今の自分のまま明日を生きていく楽しみをもらった思いです。」
この言葉の意味が何となくわかるような気がする。(この時のコメントがとても好き)
前を向いて光が刺す方へ歩みを進め
"生きる"という事に対して変わった人もいれば
変わらぬ人もいる。
きっとそれが大姫なのだなと。
"好きに生きる"
明日を楽しみだと思いながら
光の中を生きる生き方と
好きに生きていいなら好きに死ぬという生き方
両方ととその人の人生だしきっとそういうものだろうなとも思う。

上手く言葉に纏められないし、綴りたい事が言葉にならずに雁字搦めになっているけどそれそれでいいとしよう。

映画が終わりティーチインで監督の温かいお話を聞きながら、頭の片隅ではずっと足を運べずにいた大姫のお墓(と言われているもの)に行こうと考えていた。
ティーチインがおわり昼食も取らずに足は大姫のお墓がある場所に向かっていた。
午後から雨予報の天気。
空はどんよりしていたし、こんな事になるとは思っていなかったから歩きにくい靴だったけれど、今日を逃したらもうきっと立ち寄る事はないって思い急いで電車に乗り、目的地を目指した。
最寄駅を降りると、少し雨が降り始めていた。
傘をさして、無我夢中でナビに案内されながら坂道を歩いた。
(丁度この日は鎌倉殿のトークイベントをする日だったようで、最寄り駅には沢山の人がいた)
目的地に着き、山道を進むとそこに大姫のお墓があり堪らない気持ちになった。
到着と同時にその時間だけ雨が上がり、待っていてくれたようなそんな思いになったのも鮮明に覚えている。
彼女は一体どんな思いで日々を送っていたのだろう。きっと大切な人を大切な人の手によって奪われて。その中で生きる希望はあったのだろうか。
少しでも愛に触れられたのだろうか。
そんな事を考えたらなぜか涙が込み上げてきた。

私が大姫と同じような境遇になることは、
限りなくないとは思う。
だからこそ、大切な人。愛する人と同じ時代
同じ時を過ごせるこの奇跡をもっと大切にしないといけないと思った。
明日が来る事は当たり前の事ではないのだから、日々をもっと丁寧に生きたい。そう思った。
今、大姫のお墓の近くには木曽義高(冠者殿)のお墓もある。
それだけで少しだけ救われた思いになった。

帰り道空腹の中食べたフルーツパフェ
店主の方が素敵なお店だった。
また訪れたいな。

"すずめの戸締まり"と"大姫"
互いに共通点は無いに等しい。
けれども私にとっては"生きること"
を見つめ直すきっかけになった。

その後今日を含めて2回すずめの戸締まりを観ている。回数を重ねる毎に台詞の意味を考えたりして涙する事が増えた。
でも必ず頭の片隅には大姫が浮かび上がり
その度に今の自分は果たして日々を大切に出来ているのだろうかと立ち返る。
これから先も私の日常は続いていく限り出来るだけ映画館に足を運びすずめの戸締まりをみるし
時折、「鎌倉殿の13人」も観るし
息が詰まりそうになったら
また、大姫の元を訪ねるだろう。

この作品に出逢えたこと。
様々な生き方を見つけられたこと。
これからもそういったものを忘れずに
日々を過ごして行きたい。
そう思う。

今日は環さんのものがたりを知りたくて
映画館に足を運んだ。


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