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「死にたい」とほざく人生には、なんの意味もない

どうしても学校に行きたくなかった頃、母は私を叩いた。

それは、朝起き上がれない私に対してなのか、こんな子を生んでしまった自分の化身に対する憤りなのか、はたまたまったく別のことで憂さ晴らしをしているのかは、今になってもわからないけれど。

本が好きだった。自分以外の人生の一部を見て、希望を得たり絶望を垣間見たりしながら、生きていると思うのが好きだったから。そうすることでしか、退屈な日々の中で生きている実感を得られなかったから。

私は、私自身が残したものが欲しかった。浅はかに言えば、自分で開けたピアスの穴とか、リストカットの傷とか、タトゥーとか。だけどきっと、それ以上に欲しかったのは、誰かにもらった言質だった。

それは、たとえなんであれよかったのだと思う。手紙とか、傷とか、殴った後とか。本当は、そんなものはよくないのだけれど。だけどたぶん、それすら思い出にしてしまうくらいバカで愛情に飢えていた。

「タトゥーを入れてない女の子のほうが好きだよ」彼はそう言った。

それを聞いたバカな私は、心底自分がタトゥーを入れていないことを安堵した。だがしかし、彼はタトゥーの入った女を抱いていたし、入っていない「ほうが」好きなだけであって、マストではないのだ。

何度だって、死にたくなったことはある。だけど今、生きながらえて元気にこんなくだらない文章を書いているということは、私の「死にたい」という気持ちには、なんの説得力もない。

そして、「死にたい」とほざく私の人生には、なんの意味もない。



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