見出し画像

ギリシア レンタカーの旅

2017年6月、南仏プロヴァンス旅行から戻り北京にいる86歳の岳母の様子を見ていたが、8月に長女が初孫を連れて遊びに来てくれた。岳母からみれば曾孫(ひいまご)四代目の子孫となる。女三代の後初めての男の子に嬉しそうにしていた。岳母の容態も安定して来たので、年内にまた旅行に出ることにした。豪州の友人からギリシアが良かった、レンタカーで回ると便利、と教えてくれた。南仏で経験したばかりなのでレンタカーには興味があった。大手小売業に勤務している次女に聞いたら是非一緒に行きたいと言う、またも親子三人の旅となった。初めて行くギリシア、2017年11月のことである。

1.  事前準備

<フライト>
前回同様、まず次女に休暇の範囲内で中部空港ー北京の往復切符を予約してもらい、その日程の中で北京発着の親子三人分の航空券を中国の大手旅行会社”携程(Ctrip)"のネットで予約した。
*往便*
 11月11日 北京→モスクワ エアロフフロート航空 SU201便
  同日  モスクワ→アテネ エアロフロート SU2110便
*復便*
 11月18日 アテネ→モスクワ エアロフロート SU2111便
  同日  モスクワ→北京 エアロフロート SU204便
今回は三人とも同じ便で往復する。一人約8万円、日本発着よりも安い。途中、アテネからサントリーニ島へ飛行機で往復する計画なのだがローカル線なのでネットで事前予約ができない。調べると毎日数便飛んでいるようなので現地で購入することにした。

 <ホテル>
フライトの到着と出発時間に基づきレンタカーでの移動距離を考えながら観光ルートを決めてホテルの場所を決めてゆく。場所が決まれば"Booking.com"でギリシアの都市を選んで写真と値段を見ながらホテルの検討を始める。前回南仏旅行で分かったことだが、個人経営のホテル(いわゆる”民宿”、シャンブル・ドット)の方が、部屋も大きく親切で居心地が良い、値段もリーズナブルである。今回もなるべく個人経営のホテルを選んで決めたが、どこも家主さんが親切で友好交流もでき良い思い出になった。参考までにホテル名と値段をご紹介する。(現地通貨€・ユーロ、€1は約125円) 但し自宅での個人経営は休業閉鎖も早い。アテネの二軒は現在休業しているようで"Booking.com"ではもう検索できなかった。他の五軒は現在も営業中だ。

第1日目(11月11日)アテネ   Eva's apartment in Athens  €70   (現在休業)
第2日目(11月12日)カランバカ Hotel Tsikeli Meteora   €62 (三人一泊)
第3日目(11月13日)オリンピア Olimpic Village Hotel Resort & Spa   €90(三人一泊)
第4日目 (11月14日)アテネ Apartment Nina   €113  (三人一泊)
第5/6日(11月15/16日)サントリーニ島 Aroma Suites    €340   (三人二泊)
第7日目 (11月17日)アテネ Kostas Apartment by the Acropolis  €113 (現在休業)

予約時に全額払いもあり、到着後現地で支払いの所もある、半々くらいだった。
現地でのチェックイン時に予約確認が必要なので全てのホテルの予約表をプリントしてパスポートと一緒にフォルダーに入れておく。またレンタカーのカーナビに行き先を入力するのに英語の住所が必要なので忘れずにプリントしておく。

<レンタカー>
前回フランスではマルセイユ空港内の”Sixt"のBMWとOPELにお世話になったが、非常に便利だったので今回も空港内にあるレンタカー会社を探した。航空券を買った”Ctrip"のネットから入って調べると、アテネ空港内に”AVIS"があったのでここでプジョー308, 五人乗りバン、ATを予約しようとした。驚いたのは年齢制限があり満65歳以下でないと予約できない。今年5月南仏旅行の際も同じネットでレンタカーを予約できたのだがこの時はまだ65歳だった。9月の誕生日を過ぎて66歳となり制限を越えてしまった。歳を取るのは辛いことだ、止む無く娘の名義で予約を行なう。第5日目のサントリーニ島には飛行機で移動するのでその前に返却する、4日間でRMB1,529(約2万5千円)をクレジットカードで前払いする。保険は勿論フルカバー、対人対物と全ての自損事故に適用される。フランス製プジョー車の運転を楽しみにしていたのだが、実際アテネに到着後AVISの店へ行くと「日本人ならトヨタ車があるがどうか?」と紹介された。トヨタのカローラ・オーリス、ハイブリッド、LHD,  1.8, AT、勿論OKして日本車に変更した。日本でもトヨタのハイブリッド車に乗っているので違和感なくすぐに慣れた。お陰で現地での写真を撮るのを忘れてしまいネットで同モデルの写真を探した。2019年に生産中止となっており現在は中古車市場でしか買えない。

画像1

(アテネ空港"AVIS"で借りたトヨタ・オーリス、の同色、同モデル車)

上記以外にも準備事項として下記があるが、いずれも前回の『南仏プロヴァンス レンタカーの旅』で紹介した内容と基本的に同じ、ギリシア関連を簡単に追記しておく。
<国際運転免許証>
有効期間が一年間しかない。フランス行きの前、2017年4月に東京で取得したので2018年4月まで有効なのでOK。日本の免許証も念のため持参する。

<携帯アプリ・"Google Map">
フランスでは大いに役に立った。今回もiPhoneにインストール済みの"Google Map"をカーナビとして使用する。

<携帯用車載充電器>
携帯とモバイルWi-Fiをずっと車中で充電する為に車載充電器を持参する。トヨタ・オーリスにはUSB差込口があったが機器が二台あるので充電器は必要。

<欧州用モバイルWi-Fiルーター>
北京のネットでレンタル契約、ギリシアもカバーされていることを確認する。1日500MBで19元(304円)、10日間で190元(約3,000円)。今回は時間のゆとりがあったので事前に自宅へ郵送してもらったが、出発当日に北京空港での受け取りもできる。

<クレジットカード>
JCBはアテネ空港で国内航空券購入時のみ使えたが、空港レンタカーや高速道路、ガソリンスタンド、スーパーなど他は一切使えず、VISAカードならどこでも使用可能だった。Masterは持参せず確認できず。欧州旅行にはVISAカードが必携である。

<地球の歩き方>
南仏プロヴァンスでもお世話になった、ダイアモンド社の『地球の歩き方』シリーズに『ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス』があるのでこれを持参した。内容豊富な参考書で大いに役に立つ。本紀行文の地名や距離、歴史や観光案内は本書を参考にしている。

11月10日午前、次女が中部国際空港から北京へ飛んできた。午後は親子三人で岳母の見舞いに行き、夕食後、夜9時に北京首都空港第二ターミナルへ向かう。モバイルWi-Fiは事前に郵送で受取っており空港での引取りは無い。深夜02:05発のエアロフロート航空 SU201便に搭乗、いよいよ旅の出発である。

2.  アテネ ①

11月11日の早朝05:25にモスクワ・シェレメチェヴォ国際空港に到着。国際線乗り換えゲートをくぐるとロシヤの土産屋が並ぶロビーに出た。少し休んで乗り継ぎ便の09:05発 SU2110便に搭乗、アテネへ向かう。直行便はないので欧州経由か南回りとなるがモスクワ経由でも便数は多い。
12:10 アテネの”エレフテリオス・ヴェニゼロス”という長い名前の国際空港に到着。何より最初にサントリーニ島への往復航空券を買わねばならない、一階の到着ロビーから荷物を持って二階へ移動、国内チケット売り場へ向かう。サントリーニ島行きは二社が数便づつ運行しており時間と値段を比較検討して"Sky Express"社の航空券を購入した。大人三人往復で485ユーロ(約6万円)、珍しくJCBカードが使えた。エーゲ海島々の上空を45分間の飛行、どんなフライトか楽しみである。
11月15日 18:00アテネ→18:45サントリーニ GQ220便
11月17日 11:05サントリーニ→11:50アテネ GQ221便

国内便の航空券を買ったので一安心して、また一階到着ロビーへ戻って今度はレンタカーのカウンターへ向かう。赤い文字の"AVIS"はすぐに見つかり予約表を提示する。予約はプジョー308だったが日本人と見て「トヨタ車があるがどうか?」と聞かれた。”カローラ・オーリス”、ハイブリッド、1.8L, ATなので即座にOKする。予約4日間で15日の13:00以前に返還せねばならないが、サントリーニ行きの飛行機が夕方となったのでそれまではアテネ市内の観光をしたい、返車時間を16:30にして、3.5時間の追加をしたら1日分の43ユーロを取られた。さらに追加ドライバー(娘+父親)の費用が24.8ユーロかかり合計67.8ユーロをVISAカードで支払った。現地カウンターで本人が申し込む分には65歳以下の年齢制限はないようで助かった。保険は予約時にフルカバーで支払済みであることを再確認する。係が空港隣の駐車場内にあるAVIS事務所に案内してくれ白いトヨタ・オーリスの説明をしてキーを渡してくれた。トランクに荷物を積んで、iPhoneを装着しモバイルWi-Fiを起動すると信号を受信、グーグルマップにアテネのホテル住所を入力すると日本語でカーナビが案内を開始した。時刻は14:10になっていた。
空港を出て25Km、30分ほど走るとアテネ市内に入り最初の民宿ホテルに到着。レンタカーの駐車場がないので困っていたら家主さんが出てきて路上駐車していた自分の車を動かして場所を譲ってくれた。ギリシアでは有料駐車場は少ない、ほとんど路上駐車OKで場所さえあれば勝手に停めてよかった。チェックイン後、二階の部屋に案内され部屋設備の説明とアテネ市内の見所、夕食の美味しい場所などを教えてくれた。荷物を置いて早速市内観光にでる。地下鉄の駅も近いが家主さんが用事があるからと自分の車で”アクロポリス”まで送ってくれた。
アテネの象徴、『高い丘の上の都市』と言う意味のアクロポリスは遺跡群の公園になっており開園時間がある。17:00で既に閉園していたので止む無く”新アクロポリス博物館”に入ってまずは古代アテネのお勉強をする。子供の頃に読んだギリシア神話のゼウスやポセイドン、アポロなどの神々が多く出てきて興味は尽きない。
夕食は家主さんが教えてくれた”モナスティラキ”の駅前広場にある”360”と言う名前のギリシアレストランへ行った。名前の通り店の三階の窓が360度ガラス貼りになっておりアテネの夜景が目に入る、特に南側はアクロポリスの丘の上に照明で浮かび上がった”パルテノン神殿”が見え幻想的な光景である。料理はステーキとチキン、魚料理、夜景の美しさにワインが進んだ。食事後、ほろ酔い加減で地元のタクシーに乗ってホテルの住所のメモを見て「Filadelfia」と告げたらすぐに「OK」の返事で車を出したので安心していたが、30分も走って運転手が「Filadelfiaに着いたよ」と言うが周りを見たら全く知らない場所だった。「違う、ここじゃない、地下鉄"Dafni"駅の近くのFiladelfiaだ」と言うと「ここがFiladelfiaだ」と言う、雲助タクシーなのか、同じ地名が二つあるのか良く分からないがとにかく降りて別のタクシーに乗り換えた。今度は正確に「メトロ2号線"Dafni"駅近くの”Filadelfia通り12番地」と伝えてカーナビに入れてもらってようやくホテルに辿り着いた。20ユーロほどの損害で済んだが知らない土地でのタクシーは行き先は正確に伝え二重三重に確認しないと危ない事を体験した。
翌12日は早起きして地下鉄で中心部へ行く。最寄りのメトロ2号線”ダフニ(Dafni)駅”から乗車、五つ目の”シンタグマ駅”で降りる。”無名戦士の墓”、”国会議事堂”を見て”国立庭園”の中を散歩しながら遠目に2004年アテネ・オリンピックの会場”パナティナイコ・スタジアム”を見ながら”アドリアノス門”へ向かう。ローマ時代にできた堂々としたこの門はアテネへの入り口のようだ。

画像3

(アテネ アドリアノス門)

門の隣には同じくローマ時代に作られた”ゼウス神殿”がある。目の前の”アマリアス大通り”を渡るとメトロ2号線の”アクロポリ駅”で、その斜め前にアクロポリス遺跡の入り口があるので入場券を買う。丘の麓から頂上に向かって歩きながら”デイオニソス劇場”、”イロド・アティコス音楽堂”を見て、”アテナ・ニケ神殿”の横の階段を登り詰めると”パルテノン神殿”の勇壮な姿が目に入る。紀元前5世紀に建造され1687年にヴェネツィア軍の砲撃で大破したが現在修復再建の工事中である。中には高さ12mの巨大なアテネ守護神の像が安置されていたと言う、修復完成後は是非とも”黄金の鎧をまとった女神アテナ”の姿を拝みたいものである。

画像2

(アテネ パルテノン神殿 修復工事中)

来た道を戻りメトロ2号線”アクロポリ駅”から”ダフニ駅”で降りる。駅の近所のギリシアレストランで昼食、名物の”ムサカ”(ギリシア風のラザニア)を頂く。ホテルへ戻り、午後14:00 車に乗って次の目的地”カランバカ”へ向かう。

3.  メテオラ

アテネから北西へ365Km、”カランバカ”まで5時間半の長距離ドライブとなった。日本車でハイブリッド、燃費は良いとは言え知らない場所でガス欠が心配なので途中の”ラミア”で早めに給油する。スタンドは先にセルフで給油して事務所内のレジに行ってVISAカードで支払う。無鉛ガソリンを20Lで30ユーロ(3,750円)、リッター単価187円は日本より少し高い。山道と田舎道をいくつか越えて辺りが暗くなった頃カランバカに到着した。明日の観光予定地、”メテオラ”に最も近い宿場町である。歩いてメテオラ観光する人が多いのだろうかホテルのロビーには山登り用の大きなリュックがたくさん並べられてた。外には大きな奇岩が迫っており神秘的な雰囲気に包まれている。 Hotel Tsikeli Meteora 
翌日は早起きして車でメテオラへ向かう。高さ数百mもある奇岩群の上にいくつもの修道院が建っており今でも敬虔な修道士たちが修行している、天空の修道院群として世界遺産に登録されている。山道を登り15分ほどすると最大規模の”メガロ・メテオロン修道院”に着く。車を停めて、高さ613mの頂上を目指して115段の石段を歩いて登って行く。

画像4

(メテオラ ”メガロ・メテオロン修道院”)
入館料は無料、女性用の腰布も無料で貸与している。中は暗く厳かなギリシア正教の教会で壁画とイコンが並んでいる。黒い帽子と衣装を纏った修道士達が修行生活をしている。14世紀にセルビア人が侵入して来た為に修行者達が戦乱を逃れて岩山の上に次々と修道院を建て、最盛期には24もあったらしいが現存は6つとなっている。階段を降りて隣の”ヴァルラーム修道院”へ移動する。こちらは入館料3ユーロ取られた。今は岩壁沿いの階段を登って入るが、当時の修行者達はロープで釣り上げるカゴに乗って登ったと言うから驚く。

画像5

(メテオラ ”ヴァルラーム修道院”  修行者を釣り上げていたロープが見える)

車に戻って2Kmほど走ると一度観たら忘れられない風景が目に入る、”アギア・トリアダ修道院”だ。高さ565mの奇岩の絶壁の上に赤い屋根の修道院が建っている。この絶景の修道院に入るにはまたも130段の石段を登らねばならない。朝から二ヶ所の石段を登り降りしているので体力に自信もなく、写真撮影のみで終えた。

画像7

(メテオラ ”アギア・トリアダ修道院”   遠くから見る修道院の絶景)
この後、”ルヌサ修道院”の横にある展望台へ行き4つの修道院が同時に見える景色を探した。神々が宿ると言われる天空の修道院、縁起が良いのであろう、地元の若者達が結婚式の記念撮影をしていた。

4. オリンピア

午後13:30 メテオラを離れて次の目的地”オリンピア”へ向かう。アテネからメテオラには東のエーゲ海に沿って北上して来たが、今度は西のイオニア海に沿って南下する。約430Kmあり、東京から京都くらいの距離だ。"イオアニナ”までは狭い山道を降りたり登ったりだが、”アルタ”からは広くて快適な高速道路が開けてくる。天気も良く周りに誰もいないので思い切って”トヨタ・オーリス”のアクセルを踏んで時速150Kmの高速で飛ばしていると、”メソロンギ”付近で後ろから追跡されたパトカーに捕まってしまった。警官がギリシア語で何か言っているが全然分からない。「日本人の観光客です」と英語で言うがこれも通じない。恐らく免許証を出せと言っていると思って免許証を探すが後ろのトランクに入れたままだった、慌ててハッチバックドアを開けてトランクを広げて荷物の中から国際運転免許証を探して提示したが、ちらっと見て「もういいから行け」と言う風に手を振ってくれた。言葉の通じない観光客から罰金は取れないと思ったのか無罪放免でありがたかった。これでまたギリシアが好きになったが少し反省して安全運転に変えた。途中でスタンドに入り給油休憩を取る。30Lで46ユーロ(5,750円)をVISAカードで支払う。運転も3時間を超えたので娘と交代した。夕刻近くに南端の町"Andirioから”ハリラオス・トリクピス橋”に到着、海を越えて”ペロポネソス半島”に入る。

画像7

(ペロポネソス半島への入り口 ”ハリラオス・トリクピス橋”  を渡る)

実は計画では、橋を越える前に東へ80Kmほど行くと古代遺跡”デルフィ”があるので寄って行くつもりだったが、往復160Km、観光時間も入れて4-5時間はかかりそうでオリンピア到着が深夜になってしまう。家族とも相談して寄り道をやめて直接オリンピアへ向かうことにしたが、それでもオリンピアのホテル到着は19:30 になった、寄り道せずに正解だ。
ホテルはオリンピック村の中にある大きなリゾートホテルで部屋も広い。
 Olimpic Village Hotel Resort & Spa 
ホテル内で夕食、ワインで長時間ドライブの無事を乾杯した。明日は午前中にオリンピア遺跡を見て午後に”ザキントス島”へ渡る予定なのだが、ここでもまた問題が起こった。ホテルのカウンターでザキントス島へのフェリーの時間を聞いたら日に四便あるが、午前は一便しかなく07:15発とやけに早い。しかも船上の移動時間が1時間半かかり島内での観光、夜のアテネへの移動を考えると、どうしても午前のフェリーに乗らないと間に合わないことがわかった。ならばオリンピア遺跡にゆく時間がない!ここでも計画が挫折、中止せざるを得ない。事前に地図と参考書で決めた計画には無理があったようだ。2020東京オリンピックを控えて聖火の点火場所を見て行きたかったのだが止む無くホテルのカウンターにかかっている写真を眺めてオリンピア遺跡に行った気持ちになる、すぐ近くまで来たのは間違いない。

画像8


(オリンピア ”オリンピックリゾートホテル”内の写真、聖火点火の様子)

今回の旅では”デルフィ遺跡”と”オリンピア遺跡”の二つの世界遺産が見れなかった。レンタカーやフェリーでの移動時間が計画より長くかかった為だが、もっと時間に余裕を持たせてプランを立てるべきと反省、今後の教訓とする。

5. ザキントス(ザンテ)島

11月14日、早朝05:30にホテルを出発、50Km離れた”キリニ”へ向かう。06:10キリニの港に到着、ザキントス島へのフェリーの往復便、車(運転手一人含む)プラス大人2人の切符を買う。日本でも車でフェリーなど乗ったことは無く初めての経験だ。思った以上に大きな船で埠頭で順番に並んで待ち、一台ずつ船尾のゲートから乗船する。船内では係員がテキパキと手振り身振りで案内しており指示に従って前後左右ギリギリにつけて停車する。自車のパーキングブレーキのみで船内に車止めやブロックなどは無い、内海なので波が小さく揺れも少ないのであろう。車から降りて階段を上るとソファー椅子が広がる船室に出る。売店でコーヒーとサンドイッチの朝食を取る。07:15 フェリーがゆっくりと岸壁を離れ出航した。イオニア海の景色を見ながら30Km、1時間半の航海を経て08:45に”ザキントス・タウン”の港に到着した。

画像9

(ザキントス・タウン港に到着したフェリー船、船尾からトラックが降りて来る)

この島に来た目的は”シップレック・ビーチ”なのだが砂浜に入るには近くの港から観光ボートでアクセスするしかない、しかも往復2時間もかかるのでボートに乗るのは諦めて、その美しい絶景が見える山の上に車で登る事にした。港から街を抜けて山に入り北方向へ狭い山道を登って行く。途中スコールのような大雨に襲われ山道がびしょびしょになりスリップ事故を心配したがなんとかビューポイントに辿りついた。駐車場に車を停めて歩いて崖の突先まで行くと小さなコンクリートの展望台がある。手すりに捕まって崖の下を覗くと、青い絵の具を溶かしたような海と切り立った断崖、白い砂浜のコントラストが美しい絶景が見えた。ちゃんと”シップレック”(=難破船)も横たわっている、この景色を見る為にやって来た。

画像10

(ザキントス島 ”シップレック・ビーチ”、 別名 ”ナバギオ・ビーチ”)

宮崎駿監督のアニメ『紅の豚』に出て来る美しい”アドリア海に浮かぶアジト”のモデルになったらしい。また韓国ドラマ『太陽の末裔』で恋人同士がこの海岸で愛を語るシーンがあり中国でも一気に有名になった。一度見たら忘れられない絶景である。偶々シーズンオフで午前中に大雨が降っていたので他に誰もいなかったが、夏休みのシーズン中であればこの小さな展望台とビーチ行きのボート乗り場は長蛇の列ができる事であろう。

画像11

(小さな展望台、前はイオニア海、先端に行かないと崖下のシップレック・ビーチが見えない、少し怖い)

何枚も満足できるまで写真を撮ってまた元来た山道を車で戻った。ザキントスタウンの港が見えるレストランで昼食を取って午後のフェリーに乗る準備をする。切符は14:45出航なので時間前に埠頭へ行って乗船待ちをしたが何らかのトラブルがあったようで30分遅れて15:15に出航した。

画像12

(ザキントス・タウン キリニ行きのフェリー、色もスタイルも洒落ている)

16:30 キリニに到着。予定より15分遅れまでリカバリーしていた。大きな船なので本気で飛ばせばもっと早く着くのであろう。そう言えばギリシヤは海洋王国であった、紀元前の昔から地中海を舞台に文明を築いたのは自由に往来する海洋技術があってこそだ。三人車に乗ったまま船尾から降り陸地へ揚がる。次の目的地アテネを目指して東へ250Km、ペレポネソス半島の北部を横断する。首都へ向かう幹線道路なので殆どが高速道路で走りやすい。途中で早めに給油する、無鉛ガソリン22Lで36ユーロ(4,500円)だった、田舎町よりも都会の方が少し高めだ。

6. アテネ ②

キリニから約4時間のドライブの後、夜20:30アテネのホテルに到着した。市中心から東北の郊外へ20Km、”ペンデリ山”と言う山の麓で見晴らしの良い丘に建っている三階建の高級別荘だった。隣に住んでいる家主さんが部屋設備の説明をしてくれたが、部屋も広く豪華だしベランダから見えるアテネの夜景は絶景だった。
 Apartment Nina  
翌日午前中はアテネ観光(2回目)、市内で最も高い”リカヴィトスの丘”に登る。標高273mの頂上へはケーブルカーが出ておりアテネ市内が一望できる。麓の切符売り場の前まで車で行けるが道は狭く駐車場がない為路上駐車のスペースを探さねばならない。

画像13

(アテネ ”リカヴィトスの丘”から眺めるアテネ市街 正面にピレウス港の海、右前方にアクロポリス、パルテノン神殿が見える)

画像14

(アテネ リカヴィトスの丘頂上に建つ”聖ゲオルギオス教会”)

頂上のレストランで昼食を取って、14:30ケーブルカーで丘を降り車に乗ってアテネ空港へ向かう。4日半お世話になったトヨタ・オーリスを返却せねばならない。空港近所のスタンドでガソリンを満タンにすると13L入った。空港内の”AVIS"事務所を見つけて駐車、係にキーを渡して傷のチェックと燃料満タンを確認して返却完了。荷物を持って空港の二階チェックイン・カウンターへと向かう。小さな飛行機で預け荷物も一人15Kgしかないので事前に三人のトランクを一つにまとめて他は空港の一時預かりへ置いて行く。

7. サントリーニ(ティラ)島

11月15日 18:00アテネ発 SkyExpress航空 GQ220便に乗って”サントリーニ”空港へと向かう。エーゲ海の上空200Kmを45分で飛ぶ、一列4席、10列ほどの小さなプロペラ機だ。既に夕闇がせまり眼下の小さな島々は見えないのは残念だが久し振りに乗るプロペラ機の音と揺れを楽しむ。18:45定刻に到着、サントリーニ空港からタクシーで30分ほど走ると島の中心部”フィラ”の町に着く。ホテルは海に面した絶景の場所なのだが道が狭くてタクシーで入れない、運転手がホテルに電話連絡してくれてボーイが迎えにきた。幅1mほどの狭い石畳の道をトランクを担いで案内してくれるボーイの後について数分歩くと洞窟のようなホテルの玄関に到着、チェックインをする。部屋番号も"VANILA"と洒落ている。三人二泊で340ユーロ(42,500円)と値段は高めだがエーゲ海に面したベランダから目の前に”ネア・カメニ島”が見える、洞窟式の部屋は広く、直径3m以上もあるプールのようなジャグジーバスが付いてぶくぶく泡のお風呂が楽しめる。娘が「新婚旅行でまた来たい」と言うほどロマンチックな絶景のホテルだ。   Aroma Suites
ホテルのマネージャーが島の地図をくれて親切に観光スポットを紹介してくれる。島の北端にある夕日で有名な”イア”の街に行くためにはバスかタクシーとなるが、機動性と便利性を考えてレンタカーの予約をお願いしたら次の日の朝にホテル近所の駐車場に届けてくれた。翌朝までの24時間、空港返しで45ユーロ(5,600円)、車種は"SKODA MICRA" と表記されていて5人乗り5ドア 1.3L  AT だった。恐らく欧州製の輸入車と思われるがかなり古く8万Km程走っていた。島での運転は全て娘にお願いしたが、景色に見とれ過ぎて車の写真を撮るのを忘れたのでネットで同型車の写真を探した。

画像16

(サントリーニ島 ”フィラ”で借りたレンタカー ”SKODA”の同型車 )

夜は近所のスーパーでワインとチーズ、生ハムなどを仕入れてホテルのテラスで贅沢な景色を眺めながら乾杯をし、食事の後は近所の土産屋を散歩した。
翌朝09:00にレンタカーをピックアップして早速西北端の”イア”の町へ行く。
”SKODA"にはカーナビが付いていないがお得意のiPhone ”グーグルマップ”を使って20分も走ればすぐに到着した。後で駐車場探しに迷わないように町の一番北まで行って海べりの駐車場に車を停める。丘の上にイアの町並みがあり石段を登って行くと真っ白い住居の美しい景色が広がり、もう少し歩くと”イア要塞”(展望台)が目に入る。紺碧の海と白亜の住居の美しい対比に目が洗われる思いだ。

画像16

(サントリーニ島 ”イア要塞”(展望台)から西側を見る)

画像18

(同じく”イア要塞”(展望台)から東側の町並みを見る)

展望台からさらに中心部へ向かう途中に何とも言えない純白の十字架と鐘楼が目に入る。横にギリシヤの国旗が翻っているがよく見ると国旗も濃紺と白のストライプ、ギリシヤの人はこの色が好きなのであろう。

画像17

(サントリーニ島 ”イア”の町並みにあった白亜の教会)

昼食は町の中心部にあるレストランのテラスで海を見ながら食べる。店の主人がテラスの下を指差して「Three Blue Dome (青いドーム状屋根が三つ)」と教えてくれた、確かに白い教会の屋根が青いドームで美しいコントラストを作っている。早速これを背景に写真を撮ったが上からなので青いドームが平たく見える。結局夕方また戻って来て横方向から見る”ブルードーム”の写真を撮ることになる。昼食後は一旦ノアの町を離れサントリーニ島で一番標高が高い"古代ティラ”(369m)の山に登る。頂上には紀元前9世紀から栄えた町の遺跡があり島の全景が一望に見える。山道は狭く対向車が来ると離合が大変だが娘の慎重な運転で何とか車で往復できた。次に”ワイン博物館”で当地ワインの歴史や製造法を見た後、SKODAのハンドルを握る娘が「もう一度”イア”に戻ってブルードームの撮影スポットを探そう」と言い出した。絵葉書で見るような3つのブルードームが並んでいる写真が取れていなかった。こういう時に車は便利、早速元来た道を戻って”イア”へ到着、絶景の撮影場所を探した。あちこち聞いて町の中心にある教会の横の小道を海方向に降りて行くと多くの観光客が群れをなして記念撮影をしているのを発見、午前中はロバが沢山いたのでこの入り口を見過ごしたのだった。石畳の階段を降りてゆき多くの観光客と撮影場所の取り合いをしながら遂に目的の”スリー・ブルー・ドーム”の写真撮影に成功した。

画像26

(サントリーニ イアの町 ”スリー・ブルー・ドーム”  夕日に映えて美しい)

夜はフィラへ戻りホテルのテラスで美しい景色を見ながらワインで乾杯夕食をとる、食後はプールのような洞窟内のジャグジーバスで疲れを癒す。
翌日は早起きしてフィラの町並みを散歩する。崖の下には”オールド・ポート”港があり対面の火山島”ネア・カメニ”やイアの町へ船が出ている。港から丘の上に登るケーブルカーがあり絶景を楽しめるが、時間があればロバに乗ってのんびりと景色を楽しみながら登って来ることもできる。

画像20

(サントリーニ島 フィラ ”オールド・ポート”とケーブルカー)

島で最後の朝食をとって空港へ向かい、レンタカーの燃料を満タンにして返却する。空港へタクシーで来ても20ユーロするので1日借りて45ユーロはお得だった。
11:05サントリーニ発 SkyExpress航空・GQ221便でアテネへ向かう。来た時と同じ小さなプロペラ機だが、今度は窓から眼下に美しい島々が見える、まさに”エーゲ海の真珠”である。今回は行けなかったが、白亜の町並みの”ミコノス島”、ミロのヴィーナスが発見された”ミロス島”、島全体が世界遺産の”ディロス島”、そしてギリシヤ文明の発祥の地”クレタ島”等々は是非とも次の機会に訪れて見たい。

8. アテネ ③

11:50 アテネ空港到着、これで3回目のアテネとなる。旅の最終日となるアテネのホテルは市の中心部”アクロポリス”のすぐ近くに予約した。ゆっくりとアテネの街を歩いて回り土産屋巡りもしたいのでレンタカーは借りずにタクシーでホテルへ向かった。”Kostas Apartment by the Acropolis”  と言う名前の通り、アクロポリスのすぐ側にある個人の住宅で4階のルーフ・テラスからは目の前にパルテノン神殿が見える絶好の場所だった。残念なのは今ではネットで検索できず休業している模様だ。荷物を置いて早速歩いてすぐ隣にある”古代アゴラ”に入る。ソクラテスやプラトンなど賢人が議論を交わした政治、宗教、文化施設の遺跡だ。完全に復元された”アタロスの柱廊”(古代アゴラ博物館)は45本のドリア式と22本のイオニア式の列柱が並ぶ美しいギリシヤ柱廊である。丘の上にはギリシヤ国内で最も原形を残している”ヘファイストス(テセウス)神殿”が荘厳な姿を見せる。パルテノン神殿と同時期の紀元前450年頃の建築と言うから保存の良さに驚く。

画像22

(アテネ 古代アゴラ ”アタロスの柱廊” ドリア式(左)とイオニア式(右)の列柱)

画像23

(アテネ 古代アゴラ ”ヘファイストス神殿”、紀元前450年の建築)

 ”アグリッパの音楽堂”を見て門から外に出ると”アドリアノウ通り”沿いにお洒落なカフェやタベルナ(食堂)が並んでいる。先に進むと”モナスティラキ駅”の駅前広場に出る。ここからもアクロポリスの丘の上にパルテノン神殿が見える。

画像24

(アテネ ”モナスティラキ駅”の駅前広場)

駅のすぐ近くに”アドリアノスの図書館”という2世紀にローマ皇帝が建てた建物の壁が残っているがギリシヤの古い歴史から見るとまだ新しい遺跡のような錯覚をするから不思議なものだ。駅前広場を歩いて進むと”パンドロスウ通り”に入り、そこからずーとアクロポリスの丘に沿って土産屋通りが続く。世界中からアテネ観光に来る人たちへの土産屋だ、狭い道の両側にぎっしりと民芸品、革製品、アクセサリー、何でも売っておりカフェやタベルナも多い。
夜はホテルに戻って4階のルーフ・テラスに登りライトアップされたアクロポリス、パルテノン神殿の絶景を眺めながらギリシア最後の夕食をとる。

画像22

(ホテルのルーフ・テラスから見る夜景のパルテノン神殿)

翌朝は雨が降っていたがホテルのすぐ近くにある”フィロパポスの丘”へ行き頂上まで登った。ローマ時代の執政官でアテネの発展に尽くしたと言う墓碑が頂上にあった。天気がよければアクロポリスが綺麗に見えるらしいが残念ながら雨なので景色は見えず。

画像25

(アテネ ”フィロパポスの丘” 頂上の墓碑、2世紀初め)

10:30ホテルを出発、予約していたタクシーに乗ってアテネ空港へ向かう。30分で40ユーロだ。昨日来た時と合わせて往復で80ユーロ、空港でレンタカーを1日借りて来た方が安かった、と少し後悔したがこれも経験。

11月18日 13:20 アテネ発エアロフロート航空・SU2111便に搭乗、モスクワへ向かう。18:25モスクワ到着後空港内で休憩、夜の21:15発北京行き エアロフロート航空・SU204便に乗り換える。
翌11月19日早朝09:50北京首都空港第二ターミナルへ到着、同日午後北京から中部空港へ帰国する次女と別れを惜しんで夫婦二人で北京市内の自宅へ戻った。夜10時過ぎに娘から無事自宅へ着いたと報告があり安心した。

エピローグ

2017年11月11日から11月19日までのギリシアの旅を終えた。5月の南仏プロヴァンスに続いてずっとレンタカーの旅だった(最後のアテネを除く)。今回は車の故障もなく順調なドライブだったが、高速道路でスピード違反でパトカーに追跡されてしまった。運良く釈放してくれたが高額罰金ものだった。最初の4日間の移動距離は1,360Kmで1日平均340Km走ったことになる。給油は4回合計85Lで平均の燃費はリッター16Km、流石にトヨタのハイブリッドカーだと感心した。
写真は夫婦二人の携帯とカメラで合計1,200枚(2.95GB)撮っていた。ハードデイスクとSDカードにコピーして保存し、娘用にUSBメモリーにもコピーを落とす。

86歳の岳母の病状が少し安定して来たので12月に東京へ戻る。3月に生まれた初孫に久しぶりに会うが日増しに可愛くなってゆく。8月に北京の曽祖母(岳母)に会いに来た際に中国の伝統だと言って産毛を剃って丸坊主にさせられた小さな和尚さん、髪の毛が少しずつ伸びてくるのも特に可愛いい。

画像26

(丸坊主になった可愛い初孫、生後6ヶ月)

年末は東京で長女家族、次女と賑やかに過ごし、2018年の正月を迎えた。新しい年もまた旅に出る予定にしていたが、次女が会社の人事異動で4月から香港での海外研修となったのでまずは陣中見舞いに行くことにした。
秋にカナディアンロッキーを廻り、年末はフィリピンセブ島で過ごした。
2019年はロシアと欧州を旅行した。

2020年も旅行の計画があったが年初より新型コロナ騒動が起こり4月には緊急事態宣言が出されて自粛生活に入った。
悪いことは続くもので北京にいる89歳の岳母の病状が悪化、6月に救急車で病院に運ばれ入院したので急遽夫婦で中国へ飛んだ。14日間の広州での隔離を経て8月から北京で岳母の見舞いを続けている。
11月には新型コロナの世界の感染者が5000万人を超え死者も125万人になった。日本の感染者も10万人を超え発症国の中国9万人を抜いてしまった。
当分世界中でコロナ禍が続きそうで次の旅行にも出られそうにない。岳母の健康回復を願いつつ、いつかまた冒険の旅に出れることを願いつつ、昔の旅行の思い出に耽りながら紀行文を綴っている。

2020年11月22日 於北京
(完了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?