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令和元年 ロシアの旅

2019年5月1日、新天皇が即位されて元号が新しい『令和』となった。
戦後の昭和に生まれ、平成の時代に壮年期から定年退職まで勤め上げた自分が、新しい令和の時代を迎えて何をしようかと思ったが、まずは前々から行きたかったロシアへ夫婦で旅行へ行くことにした。令和記念の一つの思い出である。現役商社マンの頃、1990年にソ連時代のモスクワとレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)へ出張で行ったことはあるが、翌年にソビエト連邦が崩壊しロシアとなってからは一度も行ったことがなかった。妻はバルト海のクルーズ旅行でサンクトペテルブルグには行ったがモスクワは初めてだ。大手小売業に勤務する旅好きの次女に聞いたら是非一緒に行きたいと言うのでまたも親子三人のロシア旅行となった。2019年6月末のことである。

1. 事前準備

<ビザ>
ロシアへ行くにはビザが必要である。関東地区の日本人は東京赤坂にある『ロシアビザセンター』で申請しなければならない。ネットでも申請できるが直接センターを訪問した。六本木檜町公園の坂を降りた所、一階に”ローソン”が見える『赤坂レジデンシャル』ビルの中に事務所があり、ロシア人と日本人の女性が数名いた。「6月からロシアへ観光旅行したい」と言うとビザの申請用紙を出してくれた。記入しようとしたが、出発日、帰国日、フライト番号及び宿泊先を正確に記入せねばならない。しかもビザは申請書に記入した滞在期間しか出ない、”3ヶ月間有効”などの一般的な観光ビザはないとの説明で、まだフライトもホテルも決まっていない段階なので記入しようがない。北京にいる88歳の岳母の病気見舞いの為北京入りする予定もあったのでロシア旅行の日程を具体的に決められなかった。やむなく日本でのビザ申請は諦めて中国でビザ申請ができないかどうか検討することにした。その後北京入りして早速中国の旅行社にビザの件を聞いてみると「中国人の団体ツアーに日本人が入っていても旅行社がまとめてビザ申請するので大丈夫」との回答だ。なるほど北京からのロシアツアーに参加すれば日本人でもビザは取れるようだと安心した。

<オーダーメイド・ツアー>
岳母の病状が快復して退院したので看病の合間をみてロシア旅行の準備を始めた。欧州と違ってホテルやフライトの手配を自分でネットで予約するのは不便だ、レンタカーもないようだし言葉も不自由なので旅行社のツアーに参加するしかない。中国の大手旅行社『携程(Ctrip)』のネットでロシアツアーの案内をみていると”私人訂制之旅行“というのがあった。何の事かと思ったら、”個人や少人数での希望に応じて自由に観光するオーダーメイドのツアー”という意味らしい。日程と観光ルートが決まっている団体でのバスツアーではなく、小人数グループによる申し込みで自由な日程と希望に応じた観光ルートを設定できるツアーらしい。専用車(高級バン)と運転手兼ガイド兼通訳を手配してくれて、空港送迎から観光案内、ホテル送迎まで全てやってくれる、食事は含まないが希望に応じて手配をしてくれるという、いわば”フルアテンド”方式のツアーである。これは有難い、まず出発日程が自分で選べる。岳母の見舞いと日本から休暇を取って来る次女の日程などを考慮して都合の良い出発日と帰国日を自分で決めることができる。モスクワの有名な公園墓地が見たいとか、モスクワとサンクトペテルブルグ以外にもう一ヶ所他の都市へも行って見たい等の個別の希望が出せる。更には我が家の女二人は食事にうるさい、買い物が長い、朝の出発が遅い等要求が多い、専属のガイドさんがいてくれればそんな我儘も聞いてくれそうだ。早速旅行社に電話して詳しく聞くと、三人グループでも対応してくれるという。ビザも日本人でもOKとの事なのでその”オーダーメイド”の旅を申し込む事にした。旅行社側でフライト、ホテル、ガイド兼運転手を手配してくれるのであとは日程と行き先さえ決めれば詳細なツアープランを作ってくれる。こちらの希望を伝えながら何回かやりとり往復して最終的に三都市、10日間で決めた。見積書が出て来て一人RMB19,303(約31万円)、10日間でフライト、ホテル、専用車とガイド付き、食事以外は全て含まれる。”オーダーメイド”としては適当な価格と思う。

<日程>
6月30日 11:40北京首都空港T2→14:45モスクワ・シエレメチェボ空港D エアロフロート航空 SU201便 モスクワ・ペキンホテル泊
7月1日 モスクワ市内 (クレムリン、赤の広場など) 同ホテル泊
7月2日 AM セルギエフ・ポサード PM モスクワ市内 同ホテル泊
7月3日 AM モスクワ→サンクトペテルブルグ 列車移動 PM 市内観光 夜 バレエ『白鳥の湖』 ランカスターコートホテル泊 
7月4日 AM ペテルゴフ(夏の宮殿)PM 市内観光 同ホテル泊
7月5日 AM ツアールスコエ・セロー(エカテリーナ宮殿)PM 市内 同ホテル泊
7月6日 12:50サンクトペテルブルグ→23:35イルクーツク S7航空 6378便 アパートホテル泊
7月7日 バイカル湖観光 バイカル・シーズンホテル泊
7月8日 イルクーツク市内観光 夜 空港へ移動
7月9日 AM01:50イルクーツク空港→04:40北京首都空港 S7航空 6311便

<モバイルWi-Fiルーター>
ロシアではレンタカーは使わないのでカーナビは必要ないが、メールのチェックや中国のSNS”微信(WeChat)”を使うのでWi-Fi環境は必要。中国のネットでロシア専用、1日500MBで18元(288円)、10日分を予約してネットで前払いする。流量無制限の使い放題や他の欧州国カバー機種もあるが割高となる。時間に余裕があったので北京の自宅宛に事前に送付してもらったが出発当日北京空港でピックアップもできる。返却は帰国時に空港の専門カウンターがあるのでポンと渡せば終わり、便利なものである。

< ”微信” (WeChat) >
旅行社に申し込んだツアーなのだが北京からは誰もついてこない、我々親子三人のみで飛行機に乗って知らない場所へ行く、現地でガイドさんとの合流が極めて重要である。万一空港で会えないなどのトラブルに備えて、出発前に旅行社の担当者が現地のガイドと客の代表者(妻)とのSNS,”微信”グループを作って連絡の取り合いを開始した。まず三者がお互い名乗り合って自己紹介し、ツアー日程など詳細事項を確認しあう。出発当日はフライトの状況なども細かに連絡しあい空港到着後の出会い場所などを確認し合う。このサービスには客も安心できる。旅行中も現地のガイド兼運転手と万一トラブルや事故が起こった時に北京の旅行社との連絡に使えるので重要なツールとなる。実際にモスクワの”クレムリン”の中で我々のガイドさんが突然警察に連行されてしまった。残された我々は困った、すぐに北京の旅行社の担当に”微信”で状況を報告すると、折り返し「クレムリン内にはロシア政庁があるので治安維持の為警察官が監視している。違法滞在の中国人がガイドを装って金稼ぎをしているケースがあり取り締まりをやっている」と事情を説明してくれた。我々のガイドは「正規の大学留学生なので問題はない、すぐに戻ってくるのでそのまま少し待ってください」との返事もあり安心して待っていると確かにすぐ戻ってきた。ガイドに一体どうした事かと詳しく聞いてみると、嫌疑はやはり違法滞在、違法就労のようで、警察に対して「中国からモスクワ大学への留学生で合法的な滞在者であり、学生証も持っている。今日は中国から自分の親戚三人が観光にきたので案内している」と説明して釈放されたらしい。どうも留学生がガイドのアルバイトをしているとは言えないようだ。では「僕たち四人は親戚同士でいこう」としたが、結局その後は一度も警察のお世話になることはなかった。こうしたガイドやホテルなどのトラブルが出るとすぐに北京の旅行社担当者と連絡が取れ安心して旅が出来たのも”微信”のお陰である。

<クレジットカード>
欧州の他の国と同様VISAカードがどこでも使えた。ショッピングやレストランの支払い以外にも現金のキャッシングもできる。今回イルクーツクのバイカル湖畔の小さなATMでキャッシングを試したらちゃんとロシアのお金”ルーブル”が出てきたので感心した。日本円との換算レートも銀行並みでそれほど悪くない感じだった。

<地球の歩き方>
南仏とギリシヤで大いに役に立ったので今回も娘に日本からダイヤモンド社発行の『地球の歩き方』シリーズの『ロシア・ウクライナ、ベルサーシ、コーカサスの国々』を買ってきてもらった。本紀行文の地名や駅名、距離、観光案内などは本書を参考にしている。

2. モスクワ

6月29日午前、次女が羽田空港から北京へ飛んできた。ロシアへのビザは日本でネット申請で取ってきた。午後おばあちゃん(岳母)の見舞いに行き夜は久しぶりに親子で水入らずの夕食をとった。
翌6月30日、早めに北京首都空港第二ターミナルへ向かい、11:40発のモスクワ行きエアロフロート航空SU 205便に搭乗、いよいよ旅の出発である。
機内で約8時間を過ごして15:40(現地時間)にモスクワのシエレメチエボ国際空港空港に到着した。空港出口に我が家の名前を漢字で書いたウェルカムボードを持っていた中国人を見つけたので「王さんですね?」と旅行社から聞いていた名前を確認して、無事に合流ができた。運転して来た車を見ると確かに”高級車”と言える黒色のベンツ・ワゴン(Viano)だった。まずは運転手兼ガイドと合流できて一安心である。早速荷物を車に積み込んで市内のホテルに向かう。車中では妻が流暢な北京語で「どこの大学に留学しているの?」「出身は中国のどちら?」「結婚はしているの?」などと次から次へ職務質問をする。王さんは最高学府モスクワ大学に留学している事を自慢気に答え、生真面目な態度で一つ一つ質問に答えて行く。ホテルに到着する頃にはもうすっかり親戚同士のように仲良くなっていた。異国での同郷、同胞意識は強いものだ。
17:20 ”ペキンホテル”に到着、1950年代の中ソ蜜月時代には中国から多くの党政府の要人がモスクワ入りの際に使用した格式の高いホテルで、今でもその面影は残っている。ホテルの前は”凱旋広場”、中にはソ連時代に”革命詩人”と讃えられた”マヤコフスキーの銅像”が建っており、その右手には有名な”チャイコフスキー記念コンサートホール”と”風刺劇場”が並んでいる。

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(モスクワ:ペキンホテル

18:00 ホテルで待ってくれていた王さんのベンツに乗り込み最初の夕食に向かう。63階建て高層ビルの最上階にある"Restaurent SIXTY"だ。社会主義ソ連との決別、近代ロシアの象徴とも言える摩天楼は新しいモスクワの観光地となっていて、旅行社からの推薦だった。窓からは市内が一望に見渡せ足元のモスクワ川には遊覧船が走っている。

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(モスクワ:レストラン"SIXTY"からの眺め)

ハンサムなウェイターが笑顔で対応してくれ、ロシア名物のボルシチに牛ステーキ、鶏肉、魚の塩漬けなどを注文した。ボルシチは本場の味でとても美味しい、今回行く先々でボルシチを注文したが一つとして同じ味、同じ色のものがない。日本の味噌汁みたいなものでご当地の味付けで具も其々特徴がある。いつどこで飲んでも美味しいスープだ。お酒はビールの後で有名なウォッカを一杯だけ飲んだ。アルコール40度のきついスピリッツで、中国の白酒(パイチュウ)と同様に”喉が焼ける”感じがして沢山は飲めない。食事が終わると王さんが待っていて「元のツアープランでは次はモスクワ川で遊覧船に乗ってナイトクルーズの予定になっていますが、”赤の広場”を見ることもできます。どうしますか?」と聞いてきた。確かに初めての観光客にとってはいきなり夜の遊覧船よりもまずは”クレムリン”、”赤の広場”だろうと思う。この辺は現地のガイドさんの方がよく知っている。3人ツアーなのですぐにキャンセル・変更ができ融通が利く。しかも駐車場が少ないので地下鉄に乗って行くと言う。モスクワの地下鉄はその深さと駅の美しさが有名なので今回も是非見たいと思っていた。付近の駐車場に車を止めて歩いて地下鉄3号線”パールク・ポビェードゥイ駅”(戦勝記念公園)に入る。驚いたのはそのエスカレータの長いこと、下り2本、上り2本のエスカレータが動いているがとにかく長い、いつまでたってもホームに着かない、3-4分は乗っていたと思う。それに日本には普通にある階段がない、余りに長いので歩けないようになっている。やっと到着したホームには大きな絵画が飾られていてまるで美術館のようだ。他にも豪華な駅が沢山あるらしいので明日時間を見つけて”地下鉄駅巡り”をしようとツアープランに追加した。車両はすぐにきた、2分に一本の間隔で走っているらしい。乗り込んで4つ目の駅”プローシャチ・レヴォリューツイ駅”で降りると多くの銅像が出迎えてくれた。この駅も美術館のようだ。上りの長いエスカレーターに乗って地上に出ると夕闇の”赤の広場”だ。正面に美しい”ワシリー寺院”、右手に荘厳な”クレムリン”の塔と壁、静寂な”レーニン廟”、後方には”国立歴史博物館”と”カザンの聖母堂”、左手にはイルミネーションに飾られた”グム百貨店”があり、広場の周りが全て絵になる、美しさに圧倒される。

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(モスクワ:赤の広場 ”ワシリー寺院”(ポクロスキー聖堂))

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(モスクワ:赤の広場 左から”スパスカヤ塔”、”レーニン廟”、”元老院”(ロシア連邦大統領府))

21:20 写真を撮り終えてホテルへ帰った。ガイドは夕食前、午後6時までにホテルに送り届けて終了なのだが、初日は午後の空港出迎えからからスタートなので夕食後もガイドしてくれている。明日からは9時~6時の勤務時間を尊重せねばならないが夕食代と残業代を負担すれば夕食後も面倒見てくれるとの事で安心した。

翌7月1日 09:00 ホテルを出発、モスクワ市内観光だ。まずは”クレムリン”に向かうが駐車場を探すのにひと苦労、どこも満車だ。東京の皇居前広場に車を止められないのと同様にモスクワのど真ん中では駐車場も少ないようだ。中心から少し離れた場所に駐車し、歩いて”赤の広場”方向へ向かう。昨日夕闇で見た”ワシリー寺院”の裏側にでた。この玉ねぎ頭のカラフルな寺院はどこから見ても美しく時間を充分とって納得の行くまで写真撮影をした。1560年に対モンゴル戦勝を記念してイワン雷帝により建設されたが、あまりの美しさに驚いた皇帝が今後二度と同じ寺院ができないように、この寺院を設計した二人の目を潰してしまったとのこと、それほど人の心を怪しくさせる美しさである。

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(モスクワ:”ワシリー寺院”の裏手側、左はクレムリンの”スパスカヤ塔”)

寺院の写真撮影を終わると赤の広場を横切って、クレムリンの壁沿いに歩いて入り口の”クタフィア塔”へ向かう。途中通った”レーニン廟”の前ではロシアの衛兵3人が行進していたが背が高く格好良いので思わず写真に撮った。昨日のレストランのウェイターといいロシアの若者は美男美女が多い、但し年を取ると殆どがまん丸と肥えてくる、世の中平等にできている。

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(モスクワ:クレムリン、”レーニン廟”の衛兵)

”アレクサンドロフスキー庭園”内にある入場券売り場の前にはすでに長い行列ができていた。王さんが「チケットを買うにはこの長い行列を並ばないといけないので大変、皆さんは公園のベンチで座って待っていてください」と言うので指示に従って付近のベンチで待つこと約40分、王さんが汗をかきかき4人分のチケットを手にして戻ってきた。11:10 庭園から”クタフィア塔”への階段を登り城壁の上の通路を通って”トロイツカヤ塔”から中に入る。”クレムリン”と言うのはロシア語で”城壁”の意味で、12世紀に築かれた木造の城塞が起源、14世紀に石造りの城壁に改築され、15世紀に現在の形に築かれたと言うから歴史は古い。今でもロシア連邦の大統領府が置かれ、歴史的なロシア正教の寺院があり、ロシアの政治、宗教、文化の中心地である。周囲2.25Kmの城壁の間に20の塔・望楼が聳えいずれも特徴的で美しい。一番高い80mの入り口”トロイツカヤ塔”から中に入ると左手前方に”元老院”が見える。クリーム色の大きな三角形の建物だ、現在はロシア連邦の大統領府として使われている為警察官も多い。ガイドの王さんが突然連行されたのがこの場所だった。心配しながら待っている間に巨大な”大砲の皇帝”を見て”聖堂広場”に入る。クレムリンのど真ん中に立つのが”ウスペンスキー大聖堂”である。ロシア帝国時代の国教大聖堂として、代々のロシア皇帝の戴冠式がここで行われた由緒正しい教会だ。その対面に建っているのが”アルハンゲルスキー大聖堂”、大天使アルハンゲル・ミハイムを祀った教会で、歴代ロシア皇帝の墓所となっている。その右隣に金色のドームが眩しい”ブラゴヴェシチェンスキー聖堂”が建っている。左手には”イワン大帝の鐘楼”がひときわ高く聳えている。いずれも15-16世紀に建てられてものだ。

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(モスクワ:クレムリン ”ウスペンスキー大聖堂”、左は”ブラゴヴェシチェンスキー聖堂”)

他にもいくつかの教会があるがとても全てを見切れない。そのうちガイドの王さんが無事に釈放(?)されて戻ってきたので見れない部分までの説明を聞いた。昼過ぎに一旦”スパスカヤ塔”から赤の広場へ出て正面に見える”グム百貨店”に入る。大きな食堂街で王さん推薦のお店に入りボルシチとピザ、サンドイッチなどの昼食をとる。午後にはまた赤の広場からアレクサンドロフスキー庭園へ戻り、チケット売り場で今度は”武器庫”への入場券を買う。庭園の壁伝いに歩いてもう一つの入り口”ボロヴィツカヤ塔”から中に入ると左手に歴代ロシア王朝の金銀財宝を展示した”武器庫”がある。世界一大きな199.6カラットのダイアモンドを展示している”ダイアモンド庫”も同じ建物の中にあるのだが、チケットは限定販売の為購入できなかった。”武器庫”には12世紀からの金銀の食器、武器武具、皇帝の衣装、帽子、宝飾品、祭礼具など目をみはる財宝が展示されている。最後の部屋にある宮廷馬車の装飾が見事でその大きさにも圧倒された。皇帝と貴族のみが使える何頭もの馬で引く豪華ワゴンにロシア王朝の大きさを改めて感じた。

圧巻のクレムリン観光の後は昨晩キャンセルしたモスクワ川の遊覧船に乗ることにした。昼間だし短時間でモスクワの観光スポットを効率よく見れる。アレクサンドロフスキー庭園を出てモスクワ川に沿って十分ほど歩くと白亜の”救世主キリスト聖堂”がある。革命後の宗教弾圧で一旦は爆破されたが2000年に復活したロシア最大の教会だ。その真ん前に船乗り場がある。ガイドの王さんは乗らずに駐車場に車を取りに行った。16:30 出航してすぐ左手に巨大な”ピョートル大帝記念碑”が見える。1709年スウェーデンとの戦争に勝ってバルト海沿岸の領地を獲得し、”サンクトペテルブルグ”と名付けて港と要塞を築き、新しい首都を開いて強大なロシア帝国の基礎を築いた偉大なる皇帝、ピョートル大帝を称えたものだ。

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(モスクワ:”ピョートル大帝記念碑”)

船はゴーリキ記念公園のあたりでUターンしてクレムリン方向へ戻る。午前中の見学時には気が付かなかった”大クレムリン宮殿”がよく見える。プーチン大統領が外国の要人や国賓を招待する迎賓館だ。元は代々の皇帝が居住した壮麗な宮殿建築で“金碧輝煌”(金色に輝く絢爛豪華)の眩しい部屋が続いているが観光客は中に入れない。横に聳える聖堂広場の金色ドーム群と調和した美しさを醸し出している。

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(モスクワ川から見る”大クレムリン宮殿”、右は聖堂広場の寺院群)

先に進むと左手に”芸術家アパート”が見えてくる。有名な天才バレリーナ、ガリーナ・ウラノワが住んだ場所で今でも中に博物館があるらしい。スターリンが1950年代にニューヨークのマンハッタンを模して建設した7つの高層ビルの一つで”スターリン・クラシック”と呼ばれている。その美しさから”7姉妹”とも呼ばれモスクワの貴重な歴史遺産となっている。

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(モスクワ:”芸術家アパート”、スターリン様式建築)

"7姉妹”は他に”文化人アパート”、”外務省”、”ラディソン・ロイヤル・ホテル”、”モスクワ大学”などがありいずれもその威容に圧倒される。
約2時間のクルーズ観光を終えて元の船着場に戻ると王さんが車で迎えにきてくれていた。次はモスクワ随一の繁華街”アルバート通り”の歩行者天国を歩く。ロシア最高の詩人と称えられるプーシキンが妻ナターリアとの新婚時代を過ごした家が博物館となっている。家の前には二人並んだ銅像も立っている。通りには土産屋や飲食店が並んでいて赤の広場の絵を売っている露店があった。雪景色の”ワシリー寺院”の絵が何とも美しいので記念に一枚買った。
18:00 長い1日の観光を終えて王さんにホテルへ送ってもらった。一休みして近所のスーパーで食材を買いホテルの部屋で夕食をとる。
夜は昨晩思いついた”地下鉄巡り”に挑む。王さんのガイドなし、親子3人のみで地図を片手にホテルの前の凱旋広場を通って2号線”マヤコフスカヤ”駅から出発する。一駅で乗換え、5号線(環状線)で”コムソモーリスカヤ”駅を目指す。ホームの天井に素晴らしい宗教画が描かれ聖堂内の様な雰囲気だ。駅の名前がロシア語で看板が全く読めず苦労したが『地球の歩き方』の地図にはカタカナが振ってあるので重宝した。

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(モスクワ:地下鉄”コムソモーリスカヤ”駅 聖堂内のように美しい)

次は5号線の”クールスカヤ”駅と ”タガンスカヤ”駅を見て、ステンドグラスが美しい ”ノヴォクズネツカヤ” 駅から2号線に乗換え振り出しの”マヤコフスカヤ”駅へ戻ってきた。切符一枚でどこまでも行けて乗り換えも自由なので安上がりだし、とにかく直ぐに列車が来るので待たずに済む。スピードも早いが古い路線では車両の窓が開いていてガーっという走行音が響いて騒音が大きい車両もあった。

<セルギエフ・ポサード>
翌7月2日 09:00 ホテルを出発、モスクワから北北東へ70Kmの”セルギエフ・ポサード”と言う町へ行く。13世紀から”トロイツェ・セルギエフ(聖セルギエフ三位一体)大修道院”を中心に発展してきた宗教都市である。王さんが2時間ほどのドライブの間、車を運転しながらこの修道院の歴史を解説してくれた。14世紀にロシア軍がモンゴル軍を破り”タタールのくびき”から脱出するのに大きな貢献をしたので皇帝からの手厚い保護を受けて徐々に増築され16世紀に今の形になったらしい。白い壁の向こうに金色と水色に輝く大きなドームが見えて来た。修道院のシンボルで最大の建物”ウスペンスキー大聖堂”だ。

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(セルギエフ・ポサード:”トロイツェ・セルギエフ大修道院”)

中へ入ると金色に輝くフレスコ画が美しい。ロシア正教の教会内には椅子やベンチがない、立ったままで礼拝する。正面には十字架ではなく”イコノスタス”(=聖障)と呼ばれる金色に輝くフレスコ画が天井まで飾られている。

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(セルギエフ・ポサード:”ウスペンスキー大聖堂”内のイコノスタス(聖障))

昼食は王さん推薦の店で美味しいロシア料理を頂き、また2時間かけてモスクワ市内に戻った。妻がどうしても行きたいと要望を出した”ノヴォデヴィチ墓地”へ向かう。作家のチェーホフ、ゴーゴリやエリツィン元大統領など有名人の墓が沢山あり、其々の暮石のデザインに特徴があって隠れた人気スポットになっている。最後は王さんの留学先であるモスクワ大学へ向かう。スターリン様式建築、”7姉妹”の中で最大の建築物で中央塔の高さは236mもある。

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(”モスクワ大学”、塔の上部に”CCCP”ソ連のマークが残っている)

18:00 ホテルへ帰着。明日は早いので王さんには定時で帰ってもらい、ホテルの前の”チャイコフスキー・記念コンサートホール”の一階にあるレストラン”CAFE ・TCHAIKOVSKY"で夕食を取る。定番のボルシチと肉料理でモスクワ最後の夕食をエンジョイした。食事の後は凱旋広場にある高さ5mもありそうな巨大なブランコでのんびりと遊んでホテルへ戻った。

3.  サンクトペテルブルグ

7月3日 06:00 王さんがホテルへ迎えに来た。06:50発のサンクトペテルブルグ行き列車に乗るため”レニングラード駅”へ送ってもらう。モスクワには9つの鉄道の駅があるが駅名はその駅から向かう終着駅の名前が付いている。レニングラードはサンクトペテルブルグの旧名だが駅名はそのまま残っていて懐かしい。王さんのガイドはモスクワのみで同行はしない。駅のホームから新幹線のような高速鉄道”サプソン” 754A号の指定席に乗り込んだ時点でお別れとなった。

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(モスクワ:”レニングラード駅” サンクトペテルブルグ行きの列車が発着する)

次のガイドは終着駅のホームで待っているとの事なので車中は3人のみ、写真を撮ったり朝食のコーヒーとサンドイッチを食べたりして過ごした。”サプソン”号は600 Kmを約4時間で走り10:45に”サンクトペテルベルグ”へ到着した。ホームは沢山の乗降客で混雑していたのでガイドさんがこちらを見つけてくれるまで降りた場所でじっとしていた。指定席の番号を連絡してるので車両番号までわかっている。ホームが空いて来た頃にガイドの李さんが現れた。ウェルカムボードも何も持っていない、こちらの3人の姿をみてすぐに分かったらしい。お互いに自己紹介して車に乗り込んだらモスクワと同じく黒色のベンツ・バン(Viano)だった。北京の旅行社から「現地では高級車が出迎えます」と言われていたが嘘はなかった。車中では妻が早口の北京語でまた職務質問を始めた。初対面の相手とこれから3日間一緒に過ごすので共通できる情報は多い方が良い。李さんは中国の美術学校を出て絵を習う為に、当地のロシア美術を象徴する画家”レーピン”美術学校へ留学し、卒業後はエルミタージュ美術館で絵の修復などの仕事をしているという芸術家の卵だ。時々中国から来る観光客相手にガイドのアルバイトをしているらしい。ロシア文学と芸術をこよなく愛する妻と意気投合し車中でのおしゃべりのスピードがどんどん早くなる。李さんの最初の案内先は”ペトロパヴロフスク要塞”だ。18世紀初頭にピョートル大帝によって建設された要塞でサンクトペテルブルグ開基の地である。毎日正午になると大砲を打って時報を知らせるとの事で要塞内の広場で時間を待つ。正面の城壁の上に二門の大砲が海の方に向いて据え付けられている。正午ちょうどにドカーンと大きな爆発音が数発鳴り響いた、空砲とはいえ迫力満点だ。その偉大な”ピョートル大帝像”を拝顔して、次に彼以降の歴代の皇帝が埋葬されている”ペトロパヴロフスク聖堂”を見る。

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(サンクトペテルブルグ:”ペトロパヴロフスク聖堂” 鐘楼の高さ122m、金色の尖塔の先に天使が立っている)

要塞の前には”ネヴァ川”が流れており橋を渡ると”エルミタージュ美術館”が見えて来る。パリの”ルーブル”、ニューヨークの”メトロポリタン”と並んで世界の三大美術館と称されるロマノフ王朝の美しい宮殿である。ガイドの李さんはここで名画の修復の仕事をしている。入場券を買った後本来は長蛇の列で並んで入るのだが、列を横目に従業員通用口から入れたのは驚きだ。中には300万点を超える収蔵品があり250年以上の歴史を持つ美術館をたったの半日ではとても廻りきれない。専門家の李さんが「全部を見るには何年もかかります、どうしても見たい絵と美術品に絞りましょう」と言って案内を始めた、これはありがたい。

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(サンクトペテルブルグ:”エルミタージュ美術館” 、中央部分の”冬宮”)

最初の入り口から驚かされる。金色に輝く絢爛豪華な”大使の階段”は花崗岩の円柱、鏡を多用した窓などで外国使節を迎えた美しい正面階段だ。階段を登って二階の”ピョートル大帝の間”から”紋章の間”を抜けて皇帝との謁見の場所”大玉座の間”に入る。壁と天井が金色に輝き圧倒的な美しさに暫し呆然と佇む。ロシア皇帝の権力と財力の象徴の部屋だ。

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(エルミタージュ美術館:”大使の階段”(ヨルダン階段))

先を進むと”パヴィリオンの間”に通じる。エカテリーナ2世の愛人ポチョムキンが女王へプレゼントしたと言われる”金の孔雀時計”がある。李さんが「200年以上たった今でも正確に動いている」と嘘か真か分からない説明をしてくれたが金色に輝く孔雀は芸術品としても一見の価値がある。

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(エルミタージュ美術館:”パヴィリオンの間”、黄金の”孔雀時計”)

先に進むと”ダ・ヴィンチ”、”ティツィアーノ”、”ラファエロ”などのイタリア美術の間に入る。李さんの説明にも力が入って来る。一番の人気はダ・ヴィンチの『リッタの聖母』で前には多くの観客が並んでいる。その先にはスペイン、オランダなどの欧州から東洋美術、古代ギリシヤ、ローマなど、歴代の皇帝が世界中から集めた珠玉の作品群が続く。”エルミタージュ”と言うのはロシア語で”隠れ家”との意味で、最初は皇帝がこっそりと美術品を楽しむ場所として建てられたらしい。今ではとても多すぎて全てを見切れないが李さんの解説で随分と勉強できた。

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(エルミタージュ美術館:レオナルド・ダ・ヴィンチ『リッタの聖母』)

16:30 宮殿広場に出て“モイカ川”沿いに東へ進むと“血の上の救世主教会”という少し怖い名前の教会が目に入る。1881年皇帝アレクサンドル2世がこの場所でテロ爆弾により暗殺された為、息子のアレクサンドル3世が父親の死を悼んで25年の歳月と膨大な費用をかけて建設した教会だ。豪華なモザイクが美しい外壁だが中央ドームの部分は修復中でシートで覆われていた。

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(サンクトペテルブルグ:”血の上の救世主教会”)

夜はロシアが世界に誇る歌劇場“マリインスキー劇場”でバレー公演『白鳥の湖』を鑑賞する。妻は子供の頃北京でウラノワのバレー公演を見たことがあり、今回是非とも本場で見たいとの希望を出し、ツアーを申し込んだ時からチケットを予約していた。あいにく雨が降っていたが、雨合羽と雨靴で来館した女性達が更衣室でドレスとハイヒールに着替えて華麗な姿で場内に入るのを見て、ロシア人の芸術への愛着を感じた。劇場内は荘厳な雰囲気で美しい本場のバレーを堪能した。公演が終わると外で待ってくれていた李さんのベンツに乗ってホテルへ戻る。ネヴァ川を越えて地下鉄1号線“ヴィボルクスカヤ”駅に近い“ランカスター・コート・ホテル”に泊まる。入り口は狭くロシア風ビジネスホテルの感じだが内部の部屋は大きくゆったりしていた。 http://www.lchotel.ru

翌7月4日 09:00 ホテルを出発、市内から西へ30Kmほど離れた”ペテルゴフ”へ向かう。ピョートル大帝が夏の間過ごした離宮、”夏の宮殿”がある。観光シーズンは道路が混む為に李さんは東回りでフィンランド湾に浮かぶコトリン島経由で大回りのルートを通ってくれたので海上の長い橋の観光もできた。ペテルゴフの最大の見所は美しい”大宮殿”と”下の公園”の噴水群だ。11:00きっかりにロシア国歌の演奏が始まり150 以上もある噴水群が一斉に空高く水を噴き上げる景色は圧巻だ。ポンプなどの動力を一切使わず地形の高低差だけを利用して水を噴き上げている。中央に立つサムソンの金色像は対スェーデン戦勝記念に作られたもので百獣の王ライオンの口を引き裂いている。

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(ペテルゴフ:”夏の宮殿”、”下の公園” の噴水)

運河沿いに歩くとフィンランド湾に突き出た舟着場があり市内からの高速艇が発着していた。公園内には”ピラミッドの噴水”や”いたずら噴水”など趣向を凝らした様々な噴水が沢山あるがとても歩いて回れそうにないのでプチ・トラムに乗って車の上から広い公園内を見物した。時間の関係上”大宮殿”の中には入らずに午後にはサンクトペテルブルグへ戻り市内見物を続けた。

15:30 世界でも屈指の大きさを誇る”イサク聖堂”に入る。1858年に完成した高さ101.5m, 奥行き111.3m、頭上には金色に輝く直径25.8mのドームを頂く巨大な建築物だ。周囲には建物を支える直径1.8m、高さ17mの円柱が全部で48本立っており、当時どのようにしてこの柱を立てたのかの模型が内部にあった。柱の周囲を木材の足場で固め滑車を何個も組み合わせて重い石柱(114トン)を吊り上げておりクレーンのない時代の高層建築の技術を勉強できた。広い聖堂内は荘厳な雰囲気で正面中央には美しい”イコノスタス”(聖障)が飾られている。

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(サンクトペテルブルグ:”イサク聖堂”)

16:00 メインストリートの”ネフスキー通り”を少し行くとまたも大きな教会が見える、”カザン大聖堂”だ。パーヴェル1世の命により建てられ1811年に完成した。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂によく似たドームと半円形の両翼に列柱の回廊が続いているが、ロシア正教なので内部に十字架はない。1612年のポーランド軍撃退以来ロシアの守護神となった『カザンの聖母』のイコンが安置されており、今でも敬虔な信者たちが礼拝に訪れる。李さんから女性は頭巾を被るようにとの指示があり妻と娘はスカーフを被って入った。

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(サンクトペテルブルグ:”カザン大聖堂”)

”ネフスキー通り”には大きな商店街や土産屋が並んでいるので買い物の時間をとってお土産を色々と買った。高級食材”キャビア”を買って帰ったが結局冷蔵庫に眠ったままだ、生物は難しい。買い物後は”宮殿橋”を渡って”ネヴァ川”と”ボリシャ・ネフカ川”の分岐点に行くと”巡洋艦オーロラ”が係留されている。1903年日露戦争の前年に建造されバルチック艦隊の一員として日本海海戦にも出撃した。1917年10月、臨時政府が立てこもる冬宮へこの船から砲撃を開始、ボリシェヴィキ部隊が突入してロシア革命が成功した事を記念して戦後は博物館として公開されている。川の対岸には当時砲撃された冬宮、エルミタージュが何事もなかったかの如く美しい姿を見せている。歴史のひとコマを感じる風景である。

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(サンクトペテルブルグ:”巡洋艦オーロラ”から見る”冬宮・エルミタージュ”、右は”旧海軍省”)

翌7月5日09:00 ホテルを出発、サンクトペテルブルグの南25Kmにある”ツアールスコエ・セロー”(皇帝の村)へ向かう。お目当はロシア・バロック様式の傑作”エカテリーナ宮殿”だ。その美しさで人気が高く入場者が多い為団体客優先で個人客は時間帯の入場制限をしている。チケットを買うためには一旦公園に入って長い列を並ばねばならない。庭園で写真撮影をしながら約1時間並んでやっとチケットを購入し入館した。1724年ピョートル大帝が妃エカテリーナ1世の為に建設したのが始まりでその後女帝のエリザヴェータとエカテリーナ2世が改築し18世紀末に全体が完成した。第二次世界大戦でドイツ軍により破壊、盗難に遭ったが戦後再建され美しい宮殿が復活した。

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(サンクトペテルブルグ:”ツアールスコエ・セロー”、”エカテリーナ宮殿”)

二階に上がると目の眩むような”大広間”があり代々の皇帝が謁見の場所に使った。日本人・大黒屋光太夫がこの場所で女帝エカテリーナ2世に帰国を願い出て許可されたとの紹介があったので、後刻映画『おろしや国酔夢譚』をアマゾンでレンタルして鑑賞したが正にこの大広間で撮影されていた。緒形拳が演じる光太夫がマリナ・ヴラディ演じるエカテリーナ2世に拝謁するシーンは当時の絢爛豪華な宮廷風俗を美しく再現していて感動もひとしおだ。奥には壁一面が琥珀で覆われた”琥珀の間”や”絵画の間”、”緑の食堂”など美の極致と思わせる部屋が続く。

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(エカテリーナ宮殿:”大広間”正面の飾り)

美しい部屋の連続に溜息をつきながら宮殿を出て、隣の”学習院”を参観する。エカテリーナ2世が孫たちの教育の為に創設した学校で1811年に開校された。有名な詩人”プーシキン”はその第一期生で当時の部屋や教室が博物館として公開されている。
夕方市内へ戻り、李さん紹介の美味しいロシア料理店で夕食を取った。ロシア人の恋人とデートによく使っていたというお洒落な店で”カザン大聖堂”の裏手にあり、屋上からその大きなドームが見えるテラス・レストランで店名は”GINZA"と日本風だった。ボルシチとムール貝、鶏肉にスパゲッティなどを注文、食後のスイーツも上品な甘みでとても美味しい、サンクトペテルブルグの最後の食事を堪能した。

4. イルクーツク

翌7月6日朝はゆっくりして10:20ホテルを出発、李さんの車で市内から南へ18Km離れた”プールコヴォ国際空港”へ送ってもらう。李さんとはここでお別れだ。次の町にはまた新しいガイドが待っている。ガイドがつかず自分達だけで移動するスタイルにもだいぶ慣れてきた。12:50サンクトペテルブルグ発、イルクーツク行きS7航空の6378便に乗り込む。東へ約4,000Km、ユーラシア大陸の上空を6時間ほど飛んで23:35(現地時間)イルクーツク空港へ到着した。中部シベリアの中心都市だ。時差が5時間あるのでもう深夜だが空港出口に新しいガイド、武さんが待っていた。本人確認と自己紹介の後、車に乗り込んだらトヨタのバン、”アルファード”だった。色はくすんだベージュ、少し年季が入っている感じでよく見たら右ハンドル、武さんに聞いたら日本からの輸入中古車だと紹介してくれた。ホテルに向かう町中でも結構日本車を見た。そう言えばロシアには日本から大量の右ハンドル中古車が輸出されている。モスクワやサンクトペテルブルグではほとんど見なかったが、シベリアの地で沢山使われていることに気がついた。武さんは日本車は性能が良くて壊れないと褒めてくれた。中国東北地方出身の武さんは留学ではなく数年前に商売でこの町へ来てそのまま住み着いているとの事。人口の少ないシベリアの地では中国人は貴重な労働力になっているようだ。夜遅いので市内のホテルにチェックイン後は部屋で軽食をとってすぐに休んだ。

翌7月7日 09:00 ホテルを出発、武さんの車で南へ65Km、”バイカル湖”へ向かう。世界最大の淡水湖(深さと貯水量、透明度)を誇る美しい湖で、湖畔の”ニコラ”という村のロッジ・ホテルに一泊する予定だ。途中”建築博物館”で当地の森林樹木で作った教会や学校の古い建物と民芸品売り場を見学した後、昼前に湖畔の町”リストビャンカ”へ到着、車を停めて市場を覗く。まずは腹ごしらえだ。

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(イルクーツク:”リストビャンカ”の市場)

武さんの推薦でバイカル湖固有のサケ科の魚”オムリ”の塩焼きを注文する。30cm位の魚で淡水魚だが小骨もなくアジに似た味で美味しい。

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(バイカル湖:サケ科の魚”オムニ”)

昼食後はバイカル湖の湖畔を散歩した後、遊覧船に乗って湖に出る。約1,700mもあるという深さの為か湖面は静かで透き通るように青い。冬になると湖面が氷結して膨張した氷が樹木のようにせり上がってくる荘厳な景色が見えるらしい。船を降りると”バイカル湖博物館”に入り世界最大の淡水湖のお勉強をした。

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(イルクーツク:世界最大の淡水湖 ”バイカル湖”) 

夕刻、武さんが湖畔のロッジホテルへ送ってくれたが彼は泊まらず市内へ戻った。
 ”Baikal Seasons Hotel"
チェックインの後、湖畔の野外テーブルに席を取りワインを飲みながら、バイカル湖に沈む夕日の幻想的な風景を見ながら夕食を取った。

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(バイカル湖に夕日が沈む)

翌7月8日 09:00 武さんがホテルへ出迎えに来てくれた、イルクーツク市内観光へ向かう。1825年のデカプリスト(12月党員)の反乱で捕らえられた青年貴族達がシベリアに流されこのイルクーツクの町の発展を助けた。バイカル湖から流れ出たアンゴラ川沿いに広がる美しい街並みは「シベリアのパリ」とも言われるらしい。

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(イルクーツク:アンゴラ川と市内の風景)

川沿いに”カザン聖母教会”、”キロフ広場”、”スパスカヤ教会”、”シベリヤ開拓者記念碑”など見て回り途中で昼食をとる。武さんお薦めのロシア料理店でボルシチを注文したらなんとウォッカが一緒に出てきて驚いた。極寒の冬にはこの強いお酒で体を温めるとの紹介にも納得した。

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(イルクーツク:市内の風景)

映画『おろしや国酔夢譚』で西田敏行が演じる庄蔵が凍傷のために片足を切断、悲嘆にくれてロシア正教の信徒となり現地で日本語の先生となるのもこの町だ。帰国前の光太夫と会って自分はご法度のキリシタンとなったので生涯日本へ戻れないことを伝え陰で泣き崩れる姿に感動した。
市内観光の後、出発まで少し時間があったので最新のショッピングモールに案内してもらい最後のお土産買い物をした。

夜、イルクーツク空港へ向かいチェックイン後に武さんと別れる。空港ロビーで時間待ちをしていると呼び出しがあり、3人共フアーストクラスにアップグレードしてくれた。Full-Fare(正規料金)航空券の為か或いは我々が日本人だからか理由は分からないが有難い。深夜01:30発、S7航空 北京行き6311便に搭乗する。機体はエアバスA320で8席しかないファーストの大きなシートでゆったりと座れた。フライトはモンゴル上空、1,500Kmを約3時間弱で飛んで、7月9日早朝の04:40北京首都空港へ到着した。経度はほとんど同じなので時差がないのが助かる。空港内の専用カウンターでレンタルのWiFiルーターを返却する。3人で北京の自宅へ戻り休憩後、次女が午後のフライトで日本へ戻る為北京首都空港へ向かうのを送り出した。家の中はまた夫婦2人きりとなった。

エピローグ

2019年6月30日から7月9日までの10日間のロシア旅行を終えた。今回モスクワ、サンクトペテルブルグ、イルクーツクの3都市で王さん、李さん、武さんと3人の中国人ガイドにお世話になったがいずれも当地に住み現地事情に詳しいナイスガイ、ロシア語も上手で車の運転も安心できた。世界各地に住む中国人のネットワークを活用した”オーダーメイド・ツアー”を初めて経験したが、団体バスツアーよりも便利で融通が聞くのでこれから流行るかもしれないと思った。

2019年7月末に長女が孫を二人連れて北京へ来てくれた。2017年3月生まれのお兄ちゃんと2018年6月生まれの弟、可愛い2歳と1歳の年子の兄弟だ。上の子はこれで3回目、下の子は初めての北京である。88歳の岳母は孫娘(長女)が二人を連れて北京まで会いに来てくれて本当に嬉しそうだった。良い思い出になったと思う。

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(二人の曾孫を自分の車椅子に乗せて遊ばせる岳母:2019年8月4日)

2019年11月下旬、岳母の病状が悪くなり長女が上の子だけをを連れて見舞いに北京へやって来た。ドイツに住む妻の妹も心配して母親の見舞いの為に帰国した。岳母は久しぶりに会う娘二人と孫娘、曾孫との対面を心から喜んでいた。そしてそれが最後の思い出になってしまった。

この紀行文を書いている最中の2020年12月25日、クリスマスの朝に岳母は旅立った。4日前に満90歳の誕生日を迎えたばかりだった。知人は「喜寿」だと言ってくれた。確かに大往生ではあるが何歳になっても別れは悲しい。妻と二人で8月に日本から北京へ見舞いに戻り、生きているうちに会えて良かった。約4ヶ月の看病ができて良かった、最後の親孝行だった。ドイツにいる妻の妹、日本にいる孫娘二人皆な北京へ来れなかった。12月29日の寒い日に告別式を行い北京西郊外の八宝山へ見送った。妻は初めての親の葬儀に随分と悲しみ苦労した。岳母の供養の為に4ヶ月間の看病と葬儀の記録を残そうと思っている。

2021年2月5日 於北京

(完了)

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