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オーストラリア日本語教師奮戦記140戦争は絶対ダメ!

イマニュエルカレッジ日本語教師2年目。Year 11 日本語クラス。大学受験学年1年目の生徒たちは大学入試の語学科目を日本語で受ける。イマニュエルカレッジで日本語の勉強を始めてから、前任の先生の指導を含めて今年で4年目になる。ひらがな、カタカナはもちろん漢字の読み書きもかなりのレベルのものをマスターしている。

今年から授業の初めの10分間、自分たちの身の回りのことを題材にして質疑応答をすることにした。私の方から話題を振ることもあれば、生徒の方から問いかけてくることもある。その中で出てくる難しい言い回しや単語の確認などが、生徒たちの日本学習の進み行きにプラス効果をもたらすことを期待していた。話題は3週間連続で「コアラ」。そしてその後2週間は「カンガルー」。そして「ウォンバット」、「クオッカ」、「エミュー」。その後はオーストラリアの州、都市談議。次はオーストラリアと日本の間にあった第二次世界大戦時の、私も知らなかった「カウラ事件」のことを説明してくれることになり、一回目、2回目と続き、今回が3回目になる。

生徒:S 私:K
S: ARAISENSEIWA KAURANOKOTO SHIRINAKATADESUKA
(アライ先生 カウラのこと 知りなかたですか)
K: HAI ZANNENNAGARA SHIRIMASENDESHITA
(はい ざんねんながら 知りませんでした)
S: WATASHIMO SHIRINAKATADESU TOSHOKANDE SHIRIMASHITA DAKARA ODOROKIMASHITA
(私も 知りなかたです 図書館で 知りました だから おどろきました)
K: WATASHIMO HONTOONI ODOROITEIMASU 
(私も 本当に おどろいています)
S: IMA OOSUTORARIATO NIHONWA TOTEMO NAKAYOSHIDESU
(今 オーストラリアと 日本は とても なかよしです)
K: HAI BOOEKIMO KANKOOMO SAKANDESUNE
(はい ぼうえきも かんこうも さかんです)
S: BOOEKI KANKOO SAKANWA EIGO NANIDESUKA
(ぼうえき かんこう さかんは 英語 何ですか)
K: BOOEKIWA trade KANKOOWA tourism SAKANWA thriving DESU
(ぼうえきは trade かんこうは tourism さかんは thriving です)
S: HAI HONTOONI SOODESUNE ZANNEN MUKASHINO REKISHIDESU
(はい 本当に そうですね ざんねん むかしの れきしです)
K: IMA KAURANIWA NANIGA ARIMASUKA
(今 カウラには 何が ありますか)
S: SENSOO prisoner SHIATAAYA NIHON gardenYA SAKURA avenueYA NIHONJIN grave peace bell ARIMASU NIHONGO WAKARIMASEN OSHIETEKUDASAI
(せんそうprizonerシアターや 日本gardenや さくらavenueや 日本人grave peace bell あります 日本語 わかりません 教えてください)
K: SENSOO HORYO SHIATAA NIHONTEIEN SAKURADOORI NIHONJINBOCHI DESU
(せんそうほりょシアター 日本ていえん さくらどおり 日本人ぼち 平和のかね です)
S: ARIGATOO GOZAIMASHITA ARAISENSEIWA KAURA IKITAIDESUKA
(ありがとう ございました アライ先生は カウラ 行きたいですか)
K: HAI KANARAZU IKIMASU TOTEMO TAISETUNABASHODESU
(はい かならず 行きます とても 大切な場所です)
S: KANARAZUWA EIGO NANIDESUKA
(かならずは 英語 何ですか)
K: KANARAZUWA definitely DESU
(かならずは definitely です)
S: DOOZO KANARAZU ITTEKUDASAI
(どうぞ かならず 行って下さい)
K: SENSOOWA HONTOONI IYADESUNE
(せんそうは 本当に いやですね)
S: HAI HONTOONI IYADESU WATASHIHA SENSOOWA DAIKIRAIDESU
(はい 本当に いやです 私は せんそうは 大きらいです)
K: WATASHIMO ONAJIDESU SENSOOWA NAKUSANAKEREBAIKEMASEN
(私も 同じです せんそうは なくさなければいけません)
S: HAI SENSOOWA ZETTAI DAMEDESU
(はい せんそうは ぜったい だめです)
K: HI SOODESUNE
(はい そうですね)
S: IMA OOSUTORARIAMO NIHONMO HEIWA TOTEMOIIDESU
(今 オーストラリアも 日本も 平和 とてもいいです)
K: HAI SEKAIGA HEIWANINARUTO IIDESUNE
(はい せかいが 平和になると いいですね)
S: HAI MINNADE HEIWANASEKAI TUKURIMASHOO
(はい みんなで 平和なせかい つくりましょう)
K: HAI MINNADE SHIKKARI KANGAEMASHOO
(はい みんなで しっかり 考えましょう)

生徒が「戦争は絶対ダメ」と真剣な顔をして言ったときは少し感動した。私が今こうしてイマニュエルカレッジで日本語教師をしていることも、しっかりと平和について考えようとしている生徒たちに出会えたことも、平和であるが故のことだと改めて思わされた。


1944年8月5日、カウラで近代軍事史上最大の戦争捕虜脱走事件が起こった。日本軍捕虜は、武装して戦って死ぬことで、捕虜の不名誉を免れることが出来ると信じて、収容所の看守と守備隊役のオーストラリア兵士に、大規模な自殺攻撃を仕掛けた。

手製のバットやグローブなどの粗末な武器で武装した4グループの日本人各々約300人は、有刺鉄線を乗り越えようとしたが、看守や守備隊の銃弾を浴びた。野球のグローブと毛布とコートだけで身を守りながら、仲間を人間の橋として使い鉄条網を渡り、350人以上の日本人が脱走を試みた。翌週には脱走者は全て捕まり、怪我人多数、234人の日本人捕虜、4人のオーストラリア軍人が死亡した。

戦闘とカウラ脱走事件の悲劇から、カウラの人々と日本との間に永く続く友情が生まれた。今日のカウラには、これらの出来事を記憶に留める多くのものがある。

戦争捕虜劇場(POW劇場)。カウラビジターインフォメーションセンター内にあり、カウラ脱走事件とその後についての物語を伝えている。そこのホログラムの映像には驚かされる。

カウラ日本庭園。美しい5ヘクタールの遊歩庭園で、このタイプの庭園としては南半球最大。1979年に公式オープンし、平和の場所、そして日本とオーストラリアの和解のシンボルとして残っている。脱走事件の跡地とサクラアベニュー側にある昔の戦争捕虜キャンプと接している。英語でCherry Tree Avenueと訳されるこの記念通りは、カウラ日本庭園とPOWキャンプ跡地を結び、オーストラリア人と日本人戦没者共同墓地へと続いている。

オーストラリア世界平和の鐘。ニューヨーク国連本部前庭にある鐘のレプリカ。シビックスクエアにあり、全ての国々が平和のために努力し続ける必要性を訴えている。カウラの世界平和への長きにわたる貢献と国際的認識により1992年に賞を受賞した。主要都市以外にある、世界で唯一の世界平和の鐘だ。


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