だけども

何者でもない自分の文章を誰かが読んでくれますように。

だけども

何者でもない自分の文章を誰かが読んでくれますように。

最近の記事

人という種類の生き物は好きだけど、「〇〇さん」という個人の“人”になった時、人を嫌いだと思う。人好きの人嫌いである。 個人として扱って好きだと思える人を大切にしたいと思う、そういう人ってすごく少ないから。

    • 幸せについて

      幸せな瞬間があると怖い。幸せであればあるほど、歓びがあればあるほど、楽しさがあればあるほど、それより大きな何か仄暗いことが起こるんじゃないかっていつも怖い。 幸せだったことがそのまま終わることはいつだってない。それを知ってるから、幸せに「なる」という意思を持つことがひどく恐ろしい。

      • 中途半端

        自分は中途半端に見た目がいいと思う。中途半端だから、上の下とはいえないし、中の上では足りないし、下の上では顰蹙を買う。とりあえず、なんとなく「いい」は「いい」のである。 最近の悩みは「かわいいですね」「美人ですね」って言われた時にどう答えてもヘイトを受けるってこと。「ありがとうございます」って素直に受け取っても、「そんなことないですよ〜」って謙遜しても嫌な顔をされる。めんどくさいと思う。顔については純粋に褒める以外なんも言わないでほしい。 かったりぃ世の中である。

        • 愛しさ

          子猫とか子犬とか生まれたばっかりの生き物の、自分の心臓の鼓動に耐えきれず、ヨタヨタしてる姿がたまらなく愛おしい。 この世に生を受けたばっかりで、手や足の動かし方がわからなくて、見るもの全部が初めてで、鼓動の振動に負けて体がついてこないこの子たちが天寿を全うしてほしいと切に願っている。

          家に帰りたい。 明かりがついてて、あったかくて、いい匂いがして、「ただいま」って言ったら「おかえり」って柔らかく返してもらえるような家に帰りたい。 私の家は帰って来ても真っ暗だし、人がいるのに「ただいま」と言っても何も返事が返ってこない。ただ、テレビの音と母の笑い声だけがある。私に対する「おかえり」はない。 なんなら、家に入れないこともある。鍵を開ける、ガシャンッという金属のぶつかる音がする、チェーンロックがかかっている。家に拒絶されている。母の機嫌の良し悪しで私は家に

          甘ったれ

          毎日「かわいい、大丈夫だよ」って言って安心させてほしい。自分で鏡を見てたんじゃ、「変じゃないかな、ブスじゃないかな」って不安で仕方ないから。 「いつでもあなたのそばにいるよ」ってそれが本当のことになるように言ってほしい。「私のそばから離れていっちゃうかも」っていう不安を持たなくていいようにさせてほしい。 話を聞いてほしい。つまらない私の話を聞いて、たくさん笑ってほしい。私が恥ずかしがって目を合わせられなくても、あなたは私を見ていてほしい。あたたかな眼差しを私にちょうだい。

          教室

          高校生の頃のことをふと思い出した。 朝早い時間の人のいない教室とか、西陽が入ってくる人気のなくなった教室とかが好きだった。 普段は全く関わりのないクラスメイト、嫌いなクラスメイト、興味のないクラスメイトとその教室ではなんでか話してみようって思えて、話してかけてみたら案外面白かった。その時間帯の教室は、誰とでも友達だったみたいになれる不思議な空間だった。 普通なら疲れそうなこともその時間帯だと楽しくて魔法みたいだと思ってた。ああいう時間が学生生活において何よりも尊い時間だ

          安売り

          年齢重ねていくとどんどん自分を安売りしていかないといけないのかなって不安になる。 就活とか、婚活とか、転職とか。自分はすごい人間なんだっていう子どもじみた全能感を持ってると何も上手くいかない。自分を採択する側は、自分をそこまで評価してくれないし、その評価はあながち間違いじゃない。自己評価ってのは高くなりがちで、周囲は自分という等身大の評価をちゃんとつけれてる。自己評価を低くみ積もろうとすると今度は低くし過ぎて安売りが始まる。負の連鎖だと思う。

          ピアス

          大学も卒業の年となり、ピアスのあけ時を見失ってしまった。ピアスデビューの機会は今後あるんだろうか。 開けるとしたらどのタイミングかなっていうのを考えた。「写輪眼的な感じで、悲しみを感じる度にピアス開けてこっかな〜」って友達に言ったら、「それ普通に自傷じゃん」と返ってきてハッとした。ファッションの中に自分を傷つける理由を見出そうとしてしまっていた、それも無意識に。ショックだった。 かく言う友達は次の彼女ができたら開けてもらうらしい、ちょいときもい。けど、その開け方の方がよっ

          脆い人間

          例えばさ、リストカットをしてるような脆さを抱えながら生きてる人がいる。そういう人が自分の身近な存在だった時に、自分は中途半端にその人と関わって、向き合うことを放棄してしまったことがある。 「切っちゃった〜」って言われた時に、ほんとはそんなことしてほしくないから「切らないで、自分の体傷つけないで」って言いたいけど、この言葉がその子にとってひどく重い言葉になるんだろうから、「そっか」とだけ言う。こういう会話の積み重ねが自分を苦しめて、最初はその子に寄り添いたい、苦しみを共有して

          私と生きてくれ

          1人で生きていくことにあまり自信がないから犬を飼いたい。自分の元に来てくれる子にはエゴに付き合わせちゃって申し訳ないけど、私と一緒に生きてほしい。私の家族のなってほしい。たぶん人間とは共存していけないだろうから。 お迎えするならシーズーがいい。大型犬を飼って、「アッシュ」とか「多聞」って名前をつけるのもいいけど、きっとシーズーを飼ったら「ハリー」って名付けると思う。

          私と生きてくれ

          サンドバッグ

          自分にはどうでもいい存在が少ない。大事な人にはこの感情をぶつけたくない、でも1人では抱えきれない。誰かに聞いてほしいけど、都合よく話を聞いてくれる人がいない。 大事な人に感情をぶつけたくないのはもちろんだけど、「この人にならこの苦しい気持ちを話してもいいか」と思って何もしてもらえなかった時に落胆するのをやめたい。あまりにも身勝手な期待と失望が気持ち悪い。「一番大変な時に助けてくれないんじゃ意味ないじゃん」という勝手な失望でその人に対して距離を作ろうとする自分が嫌い。

          サンドバッグ

          憧れ

          バスに乗っている。目の前の親娘が眩しい、今日はあいにくの雨なのに。 お母さんの方は腰が悪いのか優先席に座っている。高校生?くらいの娘はその席の前に立っている。バスが大きく揺れて、娘がバランスを崩して母親の席にもたれかかった。 もたれてしまった後、娘はお母さんに向かって「失礼、キュンとした?」と聞いていた。羨ましいと思った。軽口を交わしながら、とまらず楽しそうに会話を続けている。私と母親では絶対の叶わないものをこの親娘は持っている。心底羨ましい。