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「いきなりはじめる仏教生活」(感想)仏教とは自己の点検から始まる

ライトな仏教書は本屋さんにたくさん並んでいますよね。確かに手に取りやすく、読みやすい。でも、何冊か読んでいるとなんだか同じように思えてきて自分の成長の無さを実感したり・・・(汗)
専門的な本もいいのですが、この本は仏教、宗教とはなんぞや?という疑問を思想・哲学的に書かれています。
こういうアプローチ、考えの仏教本に初めて会ったのですが、僕は随所に唸ってしまうことになりハマってしまいました。
実は約1年ぐらい前に図書館で出会った本で、その後購入したのですが、まとめるまでに時間がかかってしまいました。(汗)

(上記リンクは単行本ですが、僕は文庫版を読みました。※文庫版は絶版になっているようです)

著者は「釈撤宗」氏。
仏教界ではかなり有名な方だと思いますが、NHKの番組にも出演されていますし、本もいっぱい書かれています。
また、浄土真宗の僧侶(如来寺の住職)でもあります。

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どんな本か(概要)

とにかくこの一冊に幅広く多くのことが書かれています。
自我や認識など精神的なこと、
そもそも「宗教の本質」とは何か?とか、
禅宗の十牛図もでてくれば、浄土宗の二河白道も出てきます。
もちろん、基本的なブッダの教え、「縁起」、「四聖諦」、「八正道」、「貪欲・瞋恚・愚痴」なども書かれているので初心者には優しいです(笑)
しかし、本題?重要なのは、今日常を生きていくうえで、どのように「出世の回路を開くのか」(悟りという意味ではなく、世俗を超えた宗教的体験、価値観)というこです。

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【印象に残ったポイントと感想】

気になった文章はとても多いのですがその中から引用抜粋していきます。
ただし、一般的に他の本でも書かれているような仏法や教えは省略しています。

自我について

私たちの心と身体は認識と現実とが一致していれば幸せを感じるような仕組みになっています。つまり、自分の都合通りにモノゴトが運べば幸せというわけです。

当たり前のことですが、幸せってホントこれなんですよね。
人の幸せの仕組みって簡単ですね。
でもそのようにするのは簡単ではないし、認識に柔軟性がなければ、認識と現実のギャップが大きくなり苦の原因になっていくのです。

また、心理学的かもしれませんが、我々の精神の物語を以下のように書かれています。

かつて近代成長期においては「もっと自我をタフにしろ」「確固たる個人を確立せよ」という言葉が主流を占め、「君には無限の可能性がある」「あきらめなければ夢はかなう」そうやって煽られ続けた。
今のような近代先鋭期では、「君のままでいい」「本当の君になろう」といいうメッセージが発せられ、近代成長期の大きな物語が解体され、ただ自分に興味があるという<私の物語>へとシフトしているように思います。

いつごろでしょうか、個性を大切にするような教育が主流になってきました「ありのままでいい」とか、「オンリーワン」とかね。
でも、今でも自我を煽る考えも健在だし、<私の物語>を重要視して意味を求める考えもあり、両方が混在しているように思います。
後者の中に前者が内包されているようにも思いますね。

宗教の本質とは

この本は仏教の本ですが、ここで改めて宗教とは何かという題材がでてきます。こういうのが釈撤宗さんの面白いところです。

各著名人が言った「宗教の本質」の解釈がいくつか挙げられています。
『宗教の本質とは』=「社会の矛盾に眼を反らせる麻薬」「人間の持つ欲望の投影」「人間における精神療法の投影」「人間という種の保存をするための装置」「スミノーゼ(聖なるものと直面したとき生じる感覚)」などなど。
なかなか正体をつかむのが難しい問題です。

そして著者はこういいます。

宗教とは、不条理な苦悩を引き受けるための体系です。そして、生きること死ぬことへの最終的な意味づけをします。

キリスト教、イスラム教など世界には様々な宗教がありますが、仏教はこういうものだと説明されています。

世界で活躍している「宗教」の中で「神への信仰」を骨格としているキリスト教やイスラム教とは違い、自分の心身をトレーニングすることによって自己変革を目指す宗教が仏教です。

仏教は「神なき宗教」「目覚めの宗教」などと形容され欧米近代で語られる「宗教」という枠組みではとらえきれないフィールドを持っています。

仏教を自ら勉強しようと思わなければ、今の日本で仏教に触れる機会といえば、葬式や法要とか、墓参りでお寺に行くとかでしょうか。また、仏壇があれば家族がお経を唱えているのを目にすることもあるでしょう。もちろんこれらも仏教な訳ですが、大切なのはどんな教えなのか知っているかということです。
今の日本の仏教はあまりに形骸化されて、お寺や葬式に触れることはあっても「教え」はさっぱり知らないという人が殆どです。
仏教なんか年寄り臭いなんていう人もいます。

本にも書かれていますが、仏教は苦から抜け出す方法を教えてくれるものです。精神療法とかいうと大袈裟ですけど、日常の中での生きるヒントを仏教から得るというのでも良いと思います。


出世の回路が開く道筋

※出世とは仏教用語の「出世間」のことで、煩悩などのけがれに汚染された、この世界のすべての存在を世間というのに対し、それを超越しているものをさす。

さて、ようやく出世の回路のお話です。

仏教といえども、初めに触れた宗派によって様々で念仏であったり、座禅であったり、戒律であったり、あるいは原始仏教や他国の仏教もありますが、共通している教えを紹介します。

仏教とは「一体自分はどんな枠組みで生きているのか」を点検し、その枠組みをできる限り強くしないように心身のとレーニングをする宗教。

ブッダ(覚者、目覚めた人)と呼ばれたゴータマ・シッダッタ(釈迦)を起点とし、ブッダになる道を説く「宗教」またブッダの教えを実践する「宗教」

他の宗教に比べるとトレーニングとか実践とか何か習い事のように思えますが、まさにその通りだと思います。
礼拝とか儀礼の要素の無いこの宗教っぽさが無い(?)のが良いと思うんですけどね。
こういったことから仏教は科学だとも言われています。

このように見てみると、やはり仏教は哲学的、学問的だったりするのですが、一方で念仏や座禅(瞑想)、戒律など実生活で行い、自分で体感しなければなりません。どの宗派を選ぶことで内容は違ってきますが、「一度世間の枠組みを外す、私という枠組みを外す」、そこが「出世の回路が開く」きっかけになるのではないかと思います。


快をよしとしない

私たちは日々、快、不快に振り回され、どちらかに引っ張られるような生活をしています。快と不快を差し引きして、快が多くなるような道をよしとします。
しかし、仏教ではそうは考えません。執着こそが苦悩をもたらしているので(一時的にも)快や不快から離れることが肝要です。

普通は快を求めます、快があれば気持ちいいからで落ち着くからですね。でもそのような揺れ動くことではなく、そもそもそれから離れる、執着しないということです。中道とも言えますね。

感じる仏教

仏教は「こうでなければならない」、「役に立つ・立たない」、「損か・得か」、「敵か・見方か」という枠組みを疑わない限り、その醍醐味を味わうことはできません。いくら仏教を学んでも<自分>という枠組みを温存したままでは自分勝手な理屈を振り回すだけの思想オタクになるだけです。
また、仏教を学べば「自人生の苦しみがすっかりなくなる」とか「極楽への切符を手に入れることができる」などというものでもありません。どれほど、深い信心があっても、人生苦悩は尽きません。それをはっきり自覚するところから仏道は始まります。

自己を点検するだけではなく、枠組みを外す、執着を外すってことなのですね。この件はとっても大事です。
そうはいっても頭ではわかっても実際に行うかどうかは別。実践あるのみです。このあたりが科学的な宗教と言われるところかなと。

死後の霊魂

仏教において、死後の霊魂が存続する(常見)も、死んだらおしまい(断見)も否定するんです。そこが仏教の唯識論、認識論のユニークなところ。
つまり、常見も断見も執着の産物だということです。
(「死」や「存続」について仏教は)あらゆるものは様々な要素が関係しあって、一時的に成立しているといいうのは仏教の基本的立場です。

誰でも死後はあるのかという疑問は持ちます。知りたいですよねー。でもこれも執着なんだと・・・ここは深い部分なので今回はノーコメントで(汗)


肥大した自我をおさめる

生きるためのマニュアルはなく「こうしなさい、さすればこうなる」ということは仏教からずいぶんズレた方向なのです。
仏教は着地点をなかなか提供してくれません。だからこそ現代社会を生きるための「智慧の宝庫」なのです。

初めにも出来てた「自我」というキーワード。仏教は超能力や神通力で人を助ける宗教ではないんです。頼る、貰うではなく自分で(自分が)なんとかせえよというのが仏教の基本なんだと思います。しかも明確な答えが無いというもどかしさ。これぞ仏教ですね。

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【まとめ】

結局何を始めればいいのか?

自分の枠組みを外し、自分を疑い、外部への回路を開き、自分を相対化し、点検すること。
手段の方法として、教え、仏法、禅や念仏、その他もろもろが今の日本にはあるので、自分が心に響くもの、惹かれるものに触れていくのが良いのだと思います。

こんなに哲学的、科学的でしかも答えが無いような摩訶不思議な宗教です。しかも伝わった国々での違い、同じ日本の中でも宗派によっての考えの違いもあります。ほんとうの初心者には難しいというより、ややこしいんですよね。(って僕も初心者ですが)

この一冊にあらゆる要素が詰まっていて読み物としてもボリュームがあります。ライトな仏教書から一歩踏み出したい人におすすめいたします。

ただ、本の中にも書いていますが、禅の話や悟りの話は詳しくは書かれていません、そちらに興味のあるかたは「この書を捨てて、禅を教えてくれる師の門を叩きに行かねばなりません」と。(笑)

何はともあれようやく本書のことを纏められて安堵してます(^^;


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