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何かが違って見えた

こんばんは、いむちです。

今日は、汗ばむほどの陽気でした。あんなに長い間寒かったのに、暖かくなる、いや、暑くなるのはこんなに早いのかと驚いた土曜日です。

さて、今日は、今日ふと思ったことを。

私は、自粛期間中は本当にずっと家にいました。週に1回スーパーに行く以外は、ずっと家に。そして、私が住んでいるオンタリオ州が経済活動の再開を段階的にすすめていることと、とっても天気が良かったこともあり、2日前、久しぶりに散歩に出ました。本当に天気が良くて、雲ひとつない快晴に、半袖が気持ちいい気温。私が家から徒歩5分圏内で生きていた間に、木々は葉をつけ、花を咲かせ、鳥たちはさえずり始めていました。目に入ってくるすべてのものがとっても美しくて、心の奥深くからわくわくしました。

今日を含め、3日連続でお気に入りの公園を目指して、往復2時間の散歩をしています。2日前の胸の高鳴りを忘れることができなくて。

そして、今日ふと気付きました。「私は、片道1時間かけてあの公園に行くことの目的を無意識に考えている。これって日本人っぽいのかな」と。

目的や理由なんて、なくてもいいはず。「行きたい」という気持ちだけでいいんじゃないかと。

そして、公園に着き、芝生に座り、周りをゆっくりと見渡しました。友達や家族、恋人とのんびり過ごす人が多い中、一人で来てリラックスしている人も結構いました。「日本で暮らしている日本人のどのくらいが、一人で公園に来て、日向ぼっこしながらぼーっとするということをするんだろう。できるんだろう。」そう思いました。「文化や環境の違いは抜きにして、気持ち的にそれができる日本人はどのくらいいるんだろう」と。

もちろん、公園に来ていた日本で生まれ育っていない人たちが、実際にはどんな気持ちで公園に来ていたかはわかりません。でも、そこには、日本との違いが明らかい存在しているように見えました。

念のためお伝えするのですが、私は日本が好きです。日本のあの忙しない感じも、きちっと仕事をする感じも、身なりをしっかりと整えることを社会的に無言で求められているあの感じも、私は好きです。

ただ違いを感じて、自分にはない感覚が存在するなら、それを楽しんでみたいなと思ったのです。ぼーっとするために公園に行く、穏やかな時間を過ごすためにラフな格好で散歩に出る、良い感じに適当な休日を過ごす。そんなこと、日本にいるときにしたことがなかったので。

自然を肌で感じる時間、それを大切な人と分かち合うこと、一人で楽しむこと。それって、とっても贅沢で、素敵なことですよね。

こういう穏やかな気持ちを忘れない自分でいたいなと思ったのでした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!



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