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憧れと劣等感

こんにちは、いむちです。

今日は2ヶ月ぶりにファストフードを食べました。胃が小さくなったのか、油っこいものに弱くなったのか、自粛生活前よりもお腹いっぱいギブアップになるのが早かったです。ダイエットが必要な私には、吉報です。

さて今日は、なぜ私がカナダで暮らしているのかについてお話したいなと思います。

結論から言ってしまうと、海外でふつうの生活がしたかったから。

日本にいた時、旅行で海外へ行くと、それは”特別な時間”となり、非日常でした。私にとっての”ふつうの時間”は、慣れ親しんだ環境である日本で送るものでした。それはそれで楽しくやっていたし、仕事も頑張っていたし、大きな不満はなかったんです。ただ、その生活を外国という環境で、外国の人たちと送ってみたかったんです。

両親が海外への関心が高かったこともあってか、幼い頃から、外国や異文化に触れさせてもらえる機会は多かった方だと思います。そのおかげで、私は見事に、海外大好きに育ちました笑

中学生や高校生の頃は、「留学できたら楽しいだろうな」と漠然と思っていて。何度がそれのために動き始めようとなったこともあったのですが、結局、一歩踏み出すどころか、つま先が少し動いた程度で先に進められず。

大学時代も同じような思いを持ちつつも、少人数制の専門性の高めな学科で、みんな仲が良かったこともあり、一年休学してその環境に二度と戻れないことへの恐怖感と自信のなさに勝てず、長期間日本を離れるという決断はできず。ただ、このままじゃいけないと思い、卒業してから仕事が始まるまで時間があったので、ニューヨーク州にあるとある施設に自らコンタクトを取り、見学実習に行かせてもらいました。この施設は、私が高校生の時に読んだ本の舞台であり、私が進路を選ぶ際の大きな理由となったところだったので、一歩踏み出したことで、ほんの少し自分に自信がつきました。そして何よりも、関わった人たちが、私のことを温かく迎えてくれたことがすごく嬉しくて、今でもはっきりと覚えています。感謝しかありません。

社会人になってからも、海外で生きている自分への憧れはなくなりませんでした。むしろ、留学経験があるという誰かの話を聞いたりすると、劣等感のようなものを感じるようになっていました。

憧れと劣等感を抱きつつ、あっという間に月日は流れ、気付けば30歳。「ワーホリは30歳までしか行けないから、もう私にはその選択肢もなくなったな」と思いながらも、ふと「もう一回ちゃんと調べてみようかな」と思い立ちました。そして、調べてみると、31歳になる誕生日の前日までに申請していればOKということが判明。

そこからは、今思えば、迷いは一つもなかったように思います。いや、もちろん腹をくくるまでは悩みました笑 当時の仕事は好きだったし、周りの人たちに本当に恵まれていたし、もっと積み上げていきたいという熱も持っていたし。でも、これを逃したら、私は一生、”海外生活” ”留学” ”帰国子女” ”英語” こういった言葉に劣等感を抱きながら生きていくことになるとわかっていたのです。この劣等感を抱いて生きて行く人生への懸念が、私の一番の原動力となったかもしれません。

単純だった憧れという気持ちも、長ーい時を経て、劣等感へと一部変化しました。でも、この憧れと劣等感という相対する気持ちが、今私がカナダで暮らしいてる理由なのだと思います。劣等感にのみ込まれてしまわぬよう自らを律することを劣等感自身に求められ、でも、人生を楽しむことを忘れてはいけないよと憧れに肩を抱かれ、そんな風にして、私はカナダで生きています。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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