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職員用トイレと掲示板の間で

こんばんは、いむちです。

今日のトロントは、太陽が眩しく、風が気持ちの良い半袖日和でした。久しぶりの散歩に出かけたのですが、空は青く、木々は若く、思い出しただけでも幸せになるような綺麗な瞬間の連続でした。待ちに待った本格的な春がきてくれたようです。

さて、今日は、32歳になった今でも思い出す、大学受験真っ只中の高校三年生の頃にもらった大切な”言葉”の話をさせてください。

私の大学受験は、推薦入試から始まりました。行きたい学部は決まっていたので、もちろんですが、その学部のある自分のレベルにあった大学を受けることになっていました。

推薦入試は、多くの場合、小論文や面接が試験科目でした。私は、なぜか面接が得意です。人前で話すのが得意というか。今思えば、その自覚がきっとあったのだと思うのですが、推薦入試を前に、私は面接のみ練習しまくっていました。15年経った今でもはっきりと覚えているのが、小論文の練習をしたのは1回だけということ笑

私が通っていた高校は、面接の練習をしてほしいと色んな先生にお願いすることができました。私は、度胸をつけるために、めちゃくちゃ怖かった剣道部の顧問(名前も怖かった)、大好きだった理科の先生、なんか仲の良かった副校長先生などに連日頼みまくっていました。

そして、迎えた初めての推薦入試。手応えはありませんでした。

その後、どのくらい経ってかは覚えていませんでしたが、結果が出ました。不合格でした。合格したにせよしなかったにせよ、面接の練習をしてもらった先生たちに結果を報告しなくてはいけません。すべてのお世話になった先生に報告したはずですが、一人の先生とのやり取り以外は全く記憶にありません。

その記憶にある先生とは、副校長先生です。先述したなんか仲の良かった副校長先生ではなく、もう一人の副校長先生です。私が通っていた高校には、二人の副校長先生がいました。そのもう一人の副校長先生とは、特に深く関わりを持つ機会はなく、面接の練習をしてもらったのが唯一の関わりだったように思います。

秋の放課後、職員用トイレのある廊下で、掲示板の掲示物を貼り替えている副校長先生の背中に声を掛ました。結果が出て、ダメであったことを伝えました。彼女は、掲示板に背を向け、「あら、、そう」と私の言葉を受け止めました。「でも、第一志望校じゃないんでしょ?」と。副校長先生の言う通り、不合格であった大学は私の第一志望ではありませんでした。そして、それを確認した彼女は「大丈夫よ。人はね、行くべきところに行くの」そう続けました。

夕陽の差し込む緑色の廊下。副校長先生のマッシュっぽい髪型、優しい表情、穏やかな口調。この言葉をもらった瞬間のことを私は一生忘れないんだと思います。

17歳だった私は、この言葉に安心しました。大人になった私は、この言葉に安定と自信をもらっています。何か大きな決断をしなくてはいけないとき、本当にこの選択でいいだろうかと悩んだとき、「どんな選択をしても、私は行くべきところへ行く。だから、どんな結果になっても、その結果に意味を見出して、受け止めてやっていこう」と前向きに胸を張れるのです。

歳を重ねるごとに、この言葉に助けてもらうことが多くなりました。カナダに来てからも、この言葉にどれほど気持ちを軽くしてもらってきたか。

人生において最も重要なことの一つは、どれほど素敵な人に出会えるか、そして、その素敵な人に気付くことのできる自分でいるかだと、私は思います。

副校長先生、どうしていらっしゃるでしょうか。あなたの、もしかしたら何気ない一言だったかもしないその言葉に、今でも涙が出そうになるほど感謝している元生徒がいること、いつか伝えられると嬉しいです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!






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