ドヴォルザークから学ぶ人生のご縁

3月に会社を辞め、4月はヨーロッパと台湾を周遊した慌ただしい春だった。

GW明けからニースとカンヌの予定であったが、今年は特段大きい仕事もないので、5月は日本に留まりのんびりと法人設立準備に勤しもうと思う日々である。

そんな中での生活は夜20時以降は暇になる日も多い。
もっぱら平日は会食以外は飲みにも行かないので、トレーニングかクラシック鑑賞か世界の車窓からDVDブックスを見ることが増えてきた。

こんな貴重な余暇は自分が何が好きなのかを確かめることで、人生設計をしていくと良いのかもしれない。
ということでyotubeの検索履歴を見てみた。


ヨーロッパとドヴォルザークと神社(スピも含む)が好きなのだ。
確かに将来は1年の1/3はヨーロッパで過ごしたいし、ドヴォルザークに関しては音大生くらい詳しい。(4月はプラハで墓参りもした)
神社は2023年は50箇所くらい巡っている。


ドヴォルザークの墓 (2024年4月撮影)
チェコ プラハ ヴィシェフラド民族墓地にて

今回noteの題目にしたかったことを忘れていた。
そうそう、「ドヴォルザークから学ぶ人生のご縁」について綴りたかった。
私が最も好きな音楽家アントニン・ドヴォルザークは1841年生まれのチェコ国民学派を代表する作曲家である。

ドヴォルザークは肉屋(ブッチャー)を営んでいる両親のもとで生まれ、音楽家ではなく肉屋を継ぐ予定であった。
その為小学校を中退し、肉屋を営む職業訓練学校に行っている。彼は音楽の才能がありながらも行くべき道は決まっていたのである。

そんな中で、彼の音楽の才を無駄にしないでと両親を説得し続けたのがトランペット奏者であるドヴォルザークの叔父であった。

叔父は家庭の経済的な困窮がありながらも、ドヴォルザークをプラハのオルガン学校に通わせ、やがてはスメタナに弟子入りし、
チェコ国民学派アントニン・ドヴォルザークの礎を築き上げた。

あの時に叔父が説得しなければ、ドヴォルザークは肉屋で人生を終えていたであろう。

そんなドヴォルザークは51歳で祖国チェコを発ち、アメリカ合衆国ナショナル音楽院にて院長を務める。
その翌年には後世の残る偉大な名曲 交響曲第9番「新世界より」を作曲した。

ここから先ほどのご縁の話に繋がる。ドヴォルザークはアメリカに発つ前の1890年に交響曲第8番を残したのだが、
この第4楽章はトランペットによるファンファーレから始まり、陽気で明るいボヘミア風の主題で変奏され、曲が終わっていく。
※ボヘミア:現在のチェコの西部・中部地方を指す歴史的地名。昔は移動生活者ジプシーが多く住んでいた。


ここからは私の考察であるが、
第4楽章はドヴォルザークからの叔父とチェコへの感謝の表れだと思う。

音楽への道を導いてくれた叔父・ここまで育ててくれた祖国への愛を胸に
アメリカへ飛び立つドヴォルザークの心意気。

様々なご縁を大切に日々過ごしていきたい。


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