ハルシュタットからのお便り~退職・独立・東京湾アクアライン~


現在ハルシュタットにいる。
"世界一美しい湖畔"と呼ばれる村のベンチでぼーっとしている。
7年前の大学での卒業旅行で座っていた同じベンチでぼーっとしている。

10時を過ぎるとザルツブルグからの始発列車が到着し、観光客が押し寄せるので
早朝の散歩が最もも優雅なひと時である。(私も観光客なのだが、)

一昨日パリで仕事の打ち合わせを済ませ、数時間だけ滞在し、列車でザルツブルグに飛び立った。7年前初めてヨーロッパに来た時と同じ旅程で、
ザルツブルグ→ハルシュタット→ザルツブルグ→プラハでの一人旅である。
数年ぶりに時間を弄んでいる。
もっぱら旅の目的なんてないし、コーヒーを片手に街並みを散策すれば魂を養うのには十分だが、あえて22歳の時の旅路と同じ場所に行きたかった。
感性が鈍っていないか確かめたかった。
よかった。鈍っていなかった。

先月に新卒からお世話になった会社を退職した。約7年間勤めた。
転職・起業が当たり前の令和の時代で会社を退職するなんて大したことないと思っていたが、いざとなると"まあまあ大きな決断"だった。
大学の野球部を辞める時くらい。

"組織から外れること"と"人前で話すこと"は昔から苦手であった。

お世話になった会社の上司・チーム・取引先には
「今までの知見を活かし〜、昔から志していた事業を〜、社会にインパクトを〜」などかっこつけた理由を伝えたが、本音はもっとシンプルだ。

"もっと自由になりたかった"

30歳になる直前で、この感情に抗えなかった自分がいた。
そして、幸せが飽和してしまった。業界用語でいうとサチった。

晴れた日は東京湾アクアラインから、朧げに見える東京タワー・スカイツリー・聳え立つビル街。それに憧れたまま一生を終える市民たち。
(ストロー効果、木更津現象、キャッツアイ現象ともいう)
そんな場所で育った私は、デフォルトの劣等状況から抜け出し、こうなれば相対的・物理的に幸せになるというレールを自ら定めて走った。15年間走った。
幸運にも大学も企業も一流と呼ばれる場所に身を置けた。
※ただし、地元を捨てたわけではない。としまやのバーベキュー弁当は世界に出ていく究極の弁当だし、氣志團はリスペクトである。おじいちゃんになったらエリート臭漂わせて市政にも挑戦したいかも。(老害)

そんなこんなでレールを走ってきたわけだが、そのレールが凝り固まっていることに気づいた。

「まあまあお金が貰え、世間的にも"大企業の名の下"で仕事ができ、働いている仲間も素晴らしく、自慢できる」という凝り。この凝りを30歳でほぐすことにした。

さらに気づいてしまった。デッカチャンのように。

東京湾アクアラインから1番綺麗に見える景色って、東京じゃなくて羽田空港からの飛行機じゃん。飛行機といえば世界だ。世界を飛び回ろう!

意味不明な文脈だが、心は正直であった。世界に出ることにした。

"世界中の文化・歴史・ヒトに触れ合い、美学や知性を高め、社会と経済に貢献していく人間になる"

当時22歳のハルシュタットでの自分の旅程メモにこのように綴ってあった。
今の自分が過去に自分に堂々とできるかというと、今のところYESではないがREADYはできていると言える。

軽やかに真っ直ぐに進んでいこうと思えた。


ハルシュタットからのお便り

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