イスタンブールにてディープステートおばさんとワンナイト以上過ごした話


〈前半〉
ウィーンからの帰り道。トランジットでのイスタンブール空港。
ここは2018年に開港し、地理的にもアジア・ヨーロッパ・アフリカを繋ぐハブとなる新しい空港である。特徴といえば、空港で保安検査場までターミナル内を徒歩20分以上要するくらいデカすぎる。

この空港には2度と経験したくない苦い思い出がある。
2022年初夏。王室のイベントでイギリスに行った際の話である。

このイベントには日本からは通訳のできる学生インターンを連れて、2名×4チームで7日間過ごした。王室主催のイベントにつき、英語の拙い私は留学経験ありのメンバーと同行し、無事イベントを乗り越えることができた。
※宮廷でのテーブルディナーであったが、私の隣には某映画主演の誰もが知る英国俳優が座っていた。日本に来日したら、毎回すき家でチーズ牛丼を頼むらしい。世界で最もかっこいいチー牛である。

そんなイベントを終えて意気揚々とした気分で帰りのフライトの準備を行い、年次が1番低い我々は1日遅れでイスタンブール経由で帰ることになった。今回私と同行してくれた学生ムウちゃん(仮名・女性)も充実した面持ちであった。

ムウちゃんは小学生から12年間ハワイとニューヨークで過ごし、大学から日本というピカピカの留学経験ありのまんまるメガネの21歳。ちびまる子ちゃんのみぎわさんにそっくり。


ムウちゃん


ただ人とのコミュニケーションが苦手な性格の為、齢21にしても全ての事象において親に電話しなければ自分で判断できない子であった。(先月初めての本屋のバイトで怒られてそのまま家に逃走をしたらしい)

そんなムウちゃんとイスタンブールにて8時間トランジットがあったので、市街で観光し、食事を済ませ、コロナの検査を行い、日本行きのフライトを待った。そんなこんなで搭乗時間となり、ルンルンで機内に乗り込もうとした矢先に悲劇が起こった。

空港スタッフより私とムウちゃんの抗原検査の証明書が異なる箇所にチェックされており、日本の渡航ができないとのこと。
既に搭乗15分前・深夜便にて検査場は既に閉まっていた。完全に詰んだのである。我々は諦めるしかなかった。
コロナ検査の通訳を行ったムウちゃんは責任もあってか、泣きじゃくり放心状態。人生初めての挫折というくらい泣いていた。

どうすることもできない為、ムウちゃんのご両親に電話で事情を伝え、我々は次の代替フライトの予約を取る為、カスタマーセンターに向かうことにした。そこで次のフライトを確認すると、スタッフがぶっきらぼうに

「日本行きのチケットは明後日以降ですね。それ以外はないです。今現時点では予約はできません。」

コロナ回復直後で全くフライトがないのは仕方ないじゃん的なスタッフの対応にムウちゃんはブチギレていた。ものの1時間でムウちゃんの喜怒哀楽が垣間見ることができた。

我々も後先がないのでどうすれば良いか聞くと2日後の朝にまた来いとのこと。
ここから約36時間イスタンブールにて過ごすことが確定した。

そんな最悪な状況の中で空港を彷徨っていたら、近くから日本語が聞こえてきた。しかも声がかなりデカい。振り返ると、先ほどのカスタマーセンターでクレームを撒き散らしていた日本人の女性がいた。風貌はネットミームで有名になった"その心笑っているいるねおばさん"にそっくりである。

我々は呆然とその様子をみていたら、おばさんもこちらに気づいた。

「あなたたち日本人? ちょっとさっきのフライトに搭乗拒否されたのよ。次のフライトはまだ分からないって言われて、本当この空港最悪だわ。」

我々も状況が全く同じであることを事情を説明した。

「あーそうなの。じゃあ次のフライトまで一緒に過ごしましょ。3人で知恵を出し合えば乗り越えられるわよ!さあ!」

確かに状況が同じで協力した方が物事が前に進むことは頷ける。
そうして私達は行動を共にすることにした。

ここからさらなる悲劇が待ち受けていた。

〈後半〉
こうして我々は3人で36時間のイスタンブール滞在を共にすることにした。

山内さん(仮名・年齢68歳・風貌"その心笑っているねおばさん")は大企業で定年まで勤めた後、世界中を旅しており、今回はスロバキア・クロアチア帰りとのこと。元気ハツラツおばさんである。そんな山内さんが開口一番に、

「もう次まで時間あるし、宿泊まりましょう。私が交渉してくるわ、こういうの得意なのよ!」

と言い、空港にいたホテルのキャッチの兄さんに駆け寄っていった。

3人で70€、空港から45分、車での送迎あり。怪しすぎる好条件である。

しぶしぶ山内さんの勝手ながらの交渉で全身タトューの兄さんに黒色のバンに乗せられ、拉致に近いカタチでその宿に向かうことになった。

しかし宿に到着した瞬間、言葉を失った。
まず周辺になにもない。真っ暗な平野である。
そして宿は半分窓ガラスがない。スタッフは朝しか来ないらしい。
そして電波が繋がらない。

部屋においてはもっと酷かった。
当たり前のように3人1部屋にて、2人は2段ベット・1人は床でシーツにて寝る。
灯りはランプひとつ。シャワーは5分まで。壁からカサカサという音がする。

明後日の朝に迎えにくるから待っとけと言われ、タトュー兄さんは我々を置いて帰ったしまった。

「チュニジア風な部屋ね!チュニジアの生活を思い出すわ。」

いや山内よ、お前の感性どうなっとんじゃい。ただのオンボロ小屋だろうが。

そんな声が出そうになったが、ここで喧嘩していたら共倒れになってしまう。
ムウちゃんの為にも、ここは踏ん張るしかない!と思いながらムウちゃんを見ると、既に瀕死状態であった。明後日の朝まで我慢すれば×100と念じて、その日は眠りについた。

翌朝、3人は食事と飲み物を探しに40分ほど歩いた所のガソリンスタンドにて、ホットドックと水とスニッカーズを購入した。
しかし、電波が繋がらないとはこんなにも不便なのか。送迎までの約20時間やることがない。そんな中で山内おばさんが奇妙なことを語り出した。忘れもしない午後3時くらいのことだ。

「私たちがこんな目に遭うのもコロナがあったからなのよ。人口削減計画・ニューワールドオーダーが既に始まっているのよ」

疲労困憊していたからか一瞬耳を疑った。そしてムウちゃんがその発言に対して、

「ニューワールドオーダーとはなんでしょうか?」と質問してしまった。

そして山内さんは怒涛のトークを繰り広げる。

「あなた若いのに知らないの。新世界秩序よ。コロナや戦争によって大量に人口削減を行い、ニューワールドオーダーを築くのよ。その集団がディープステート。トランプはその勢力と戦っているの~~~~ファ◯ザーはロ◯チャイルド~~~今の貴族は地球外生命で爬虫類~~~2025年には世界人口が50万人になる~~~」

そんな話が4時間~5時間ほど続いた。夕方にはムウちゃんは既に白目を向いていた。それを見て山内さんは、

「ねえ、あなたから質問したんでしょう!ちゃんと話聞きなさい!だからディープステートは間違いなく存在し〜〜某大統領は宇宙人で〜〜ユダヤでもシオニストは〜〜666は〜〜」

カオスである。

結局話は深夜1時頃まで続き、ムウちゃんが寝不足につき発狂してしまったのを機に、約半日のディープステート話に幕を閉じた。

その後、無事にイスタンブール空港に送迎してもらい、何とか成田行きのチケット(1人30万くらいした)をもぎ取り、帰ることができたのである。

ただ、帰り際にも山内おばさんは話を続いた。
「私がコロナ渦でも旅できているのは、絶対にコロナにかからない方法を知っているから。それは食塩水とクエン酸と飲むのよ。日本◯◯会はディープステートだからこのことを公にしないのよ」とか言い放っていた。ここまでくると害を超えて称賛ものである。

そんなこんなで無事日本に到着した。山内おばさんとはもしものことがあったらと電話番号は交換した。数日後、山内おばさんから下記ショートメッセージが届いた。


山内おばさんはコロナにがっつり感染していたのである。そして今でも旅と新世界秩序の公演には頻繁に出席しているらしい。

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