マジシャンマインド

職場の先輩のお疲れ様会でダイニングバーに行った。
その夜、私はここ5年間で最も心躍る出来事を2つも体験した。
本稿はその時の話をしたいと思う。

バーに到着し、席に案内されるとすぐに「マジシャンいます。」的な張り紙が目に入った。
しかし、そんなことは眼中にないかのように各自スマートフォンでバーコードをスキャンする。
その店のアプリケーションは非常に使い勝手が良く、先輩は「これだけでもう十分満足した」と冗談混じりで言った。
近頃タブレットやスマートフォンで注文できる店が増えたのはよいが、店によって使い勝手がまちまちだ。
信じられないくらい使い勝手が悪いアプリに出会うことも少なくない。
なので先輩の気持ちは正直わかる。

各々が好きなように注文し一息つくと、「マジシャンいます。」的な張り紙の話になった。
皆気づいていない訳ではなかったようだ。
先輩のうちの一人がマジシャンについて話し始めた。
彼は学生時代に大道芸サークルに所属しており、マジックをする人との交流もあったらしい。
私はその話の中で、とあるマジシャンマインドに感銘を受けた。

それは「マジシャンは場の雰囲気づくり、演出を重要視する」ということだ。

マジシャンは高度なマジックを披露することが仕事ではない。
彼らの欲しているものは、「へー、すげー」ではなく「心からの拍手」だ。

では、心からの拍手をお客さんからもらうにはどうしたらいいだろう?
観客に感動体験を与えるためにはどうしたらいいだろう?

彼らは、観客個々人の関心や感情の動きを観察し、それらに合わせてテンポやお客さんとの絡み方の調整、時にはマジックのプランの変更(つまりアドリブ)を行う。
最終的には観客を巻き込んでマジックを作り上げることで、観客を傍観者から当事者にする。
やはり当事者意識というのは感情増幅器であるらしい。

そんなこんな話をしてご飯を食べていると、一人の青年がテーブルにやってきて、「マジックを披露してもいいですか?」と声をかけてきた。

その申し出を快く受け入れると、名刺を渡したいと名刺入れを開く…
と途端にそこから炎が燃え上がった!
我々は一斉に驚きの声をあげた。
考える暇もなく一瞬で引き込まれた。

そこから次々とテンポ良くマジックが進んでいく。おそらく客はマジックを見にきている訳ではなく、食事を楽しみに来ているということを重々理解していたのだろう。

彼は、我々の行動やリアクションをまるで初めからそうなることがわかっていたかのようだった。
我々が全く注意を払っていない、先輩の腕時計の下からコインが出てきたり、コインを燃やすと曲がるかと思いきや、まさかのライターが曲がったりなど我々の固定概念を破壊するような出来事が起きた。

しまいには、「観客が指定したカードが一番上にある」的なマジックの際に、先輩の一人が「どうせ〇〇のカードなんでしょ」と言いながらカードを捲ると「そんなこと言わないで♡」的なメッセージが書いてある始末。
引くほど優秀な先輩が目の前で手のひらの上で転がされている光景は二度と見られないなと思い、脳裏に刻み込む。
我々一人ひとりの性格を考慮して捲る人を選んだのかよくわからないが、何はともあれ絶句するほど凄かった。

引くほど優秀な先輩はお気持ちとして、1万円を財布から取り出した。
私は現金を持っておらず、200円しか出せなかった…
なぜあの時200円しか持っていなかったのかと後悔の念が込み上げる。
キャッシュレスの弊害をこんな所で受けるとは…

帰りの電車に揺られながらこの夜の体験について考えを巡らせる。
「場の雰囲気づくり」や「場に応じて臨機応変な対応」などの言葉はありふれたものかもしれないが、どれだけの人が突き詰められているのか?
マジシャンマインドを目の当たりにすると、我々一般人はまだまだ下の下だということを思い知らされる。
驕らず、周りをよく観察し、人と真摯に向き合い、日々生きていこうと思った、そんな夜となった。

そういえば「心躍る出来事を2つも体験した。」と私は言ったが、その2つ目というのは、ジャンボタニシの話を小学生振りにしたことだった。


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