第2話 百合子の場合。

ガコン。落ちていく、音がする。愛される、そう実感する音だ。

ーゆりこぉ、今日飲みに付き合って。

お昼休憩にコーヒーでも淹れようと給湯室に向かうなり、背後で声がした。
振り向くと早苗が下卑た笑みを浮かべながら、どこか甘えたような、それでいて様子を伺うような少し怯えた目で百合子を見据えていた。

「どうしたの?もしかして芹沢くんのこと?なにかあった?」

「そう。実はさ、色々あって。どうしても百合子に聞いてほしいんだ。」

「オッケー!なになに、気になるなぁ」

またか。
心の声が漏れないように、声をわざと弾ませる。早苗は、同じ会社の芹沢翔に恋をしている。彼女は三月ほど前に百合子と翔のいる部署に異動してきた。そこで、翔に一目惚れしたらしい。

百合子と翔は、同期入社である。見た目もさることながら、仕事も出来た翔は入社した頃からよくモテたし、彼を巡る女のバトルは何度も見てきた。しかし彼は、自分を巡る抗争などどこ吹く風で飄々としていたし、百合子もまたそんな抗争の輪に入るつもりなど一切なかった。
恒例行事のように毎年繰り広げられる、芹沢翔の恋愛事情を外から眺めているうちにいつしか相談役のようなポジションになっていた。

女は愛するものではなく、愛されるもの。
百合子のポリシーである。
恋は追われるものであり、追うものではない。恋愛において無様な姿など、絶対に見せない。

事実百合子は、全てのパーツが小ぶりでありながらも、完璧に配置された甘く整った顔立ちに華奢でありながら丸みのある体、そして人をけっして否定しない柔らかな物腰から男に不自由したことはなかったし、入社当時から会社のマドンナの名をほしいままにした。

そのルックスを活かし、翔と並んで会社の顔として社報やホームページにも何度か掲載されたこともある。
二人は付き合わないの?お似合いなのに。と周りから何度かからかわれたが、その度にお互い、そういうんじゃないんですよ、ねえ。と交わしてきた。

百合子としても社内一の色男とお似合いだと言われることは満更でもなかったし、何度か想像もした。
ーやっぱあの二人、付き合ったんだ。
ーお似合いだもんね、仕方ないよ。百合子なら。
妄想の中での周りの嫉妬や賞賛はとても気分の良いものであったが、彼を取り巻く哀れな女達と同列になることはプライドが許さなかった。

翔の周りの女はみんな不幸に見える。必死で滑稽。馬鹿な女達。あなた達なんて相手にされるわけないじゃない。

それに比べ、私はどうだ。追ってくる、自分を愛してくれる男は沢山いるし、彼らは自尊心を満たしてくれる。そしてあいつらと違い私は確かに愛されている。幸せだ。良いものだ。

そうして百合子は、女達から一目置かれる存在となっているのだった。そのはずだ。

「ねえ、それでね……ゆりこ、聞いてる?」
ふと我に帰る。早苗の前に置かれたカシスオレンジの氷は溶けきっていた。

「ごめん、ぼーっとしちゃって。で、9日の鍋パに芹沢くんは来てくれるんだ。良かったねぇ」

「うん、ダメ元で誘ってみて正解だった。勝負だと思ってる、わたし。いつまでも芹沢くんはっきりしないから、仕掛けようかなって。」

はっきりしないのは、お前に興味がないからだよ。馬鹿。

「でね、ゆりこ。」
早苗は改まった口調になり、座り直した。百合子は早苗が苦手だ。
派手なネイルに、タイトスカートにピンヒール。毛先がいつもパサついている。ラインのアイコンは自分の水着姿。下品な女。

「なぁに?改まって。」
「芹沢くんの好きな食べ物って何かなぁ?鍋パの時に作っていこうと思ってるんだ。ゆりこならよく知っているでしょう?」

落ちる。

「ーーどうして?知らないわよ。」
「誤魔化さなくたって。だって、ゆりこいつも芹沢くんにお弁当、作っているんでしょう。知ってるんだから。」

「どうして」どうして、それを。

「毎日、彼氏でもなくて、好きでもない人のお弁当を作るなんて本当に凄い。毎朝ポストに入れてるんでしょう。みんな噂してるよ。同期愛、って感じで素敵だよねって。私には出来ないな。尊敬する。で、そんなゆりこなら絶対に芹沢くんの好み網羅してるんでしょう。」

ガコン。こんな音は知らない。この音は私のポリシーに反する。
ちがう。ちがう。このことは私と翔の二人の秘密のはずだ。どうしてお前が。お前ごときが。

「ねえ。どうしたの?」

早苗が下卑た笑みを浮かべる。


#リレー小説

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