第13話 切り札

それから緊急会議が開かれ、翔が担当するはずだった業務は山本悟に引き継がれることになった。

今までの成績や貢献を考慮され、表向きな処分は幸いなことにひとつ仕事を失っただけだ。しかし、積み上げてきたものが確かに崩れていくのを感じた。

「芹沢、お前は人当たりもルックスもいい。人事部に異動したら一番能力を活かせるんじゃないか。」

会議の終盤、上司が笑顔で冷たく言い放った言葉が、脳裏に焼きつく。
その言葉の真意は分かっていた。もう後はない。何度も前例を見てきている。
もう大事な仕事は任されなくなるだろう。何か大きく挽回をしなければ、寿命はあと1カ月、といったところか。

翔は頭をフル回転させる。ピンチはチャンスだ。考えろ。
ふと目の隅に渡辺百合子がとまった。心の中の良心が止めたが、その声は微かなものだった。翔は微笑み、歩を進める。

「渡辺。」

百合子が振り返る。その瞳の奥に揺れるのは期待か、恐れか。

「芹沢くん…今回は災難だったね。」

「ありがとう。これで腐っても仕方ないし、頑張るよ。でさ…もしよかったら、なんだけど。今日飲みにでも行かないか。」

仕事後に会社から少し離れたバーに飲みにいく約束を交わし、席に着く。
百合子は、弁当の一件で評判を落としたとはいえ腐っても社内のマドンナである。上のおっさん連中や、クライアント先にも気に入られていて顔はかなり広い。
翔や悟のような一般社員には普通入ってこないような社内やクライアントの情報も確実に耳に入っているはずだった。

渡辺百合子は、切り札になる。
しかし、ただ協力を請い、頭を下げるだけでは駄目だろう。上手く使わなくては。

20時の約束だったが、引き継ぎや処理に追われ、会社を出たのは21時を回っていた。
百合子の待つバーへタクシーを走らせる。

「待たせちゃったな。」

「ううん、全然。なんかこういうの久しぶりね。入社してしばらくは、よく飲みにいってたのにね。」

しばらく昔話に花を咲かせ、百合子が気持ち良くなってきた頃合いを見計らう。

「ごめんな。」

「え?なにが?」

「ほら、弁当の件だよ。2人の秘密って言ってたのに、つい山本に自慢しちゃったんだ。あんまり美味いんだもん。そしたらあんな形で社内に広まっちゃって。」

「ううん、いいの。気にしてない。私もあの日以来、作らなくなっちゃってごめんね。なんか気まずくて…。」

「また作ってよ。……ってダメだよな。渡辺、結婚するんだって?山本に聞いたよ。旦那さんに、悪いもんな。」

翔は寂しげに微笑む。

「ち、、ちがうの!!!」

「え?」

「あれは、違うの。山本の勘違い。何か、ほら、山本くんの結婚式の写真を見せたら友達がいーなーって。ほ、ほら、いい感じの式だったじゃない?だから、その、頼まれて、それで色々聞いてたら、私の結婚って誤解したみたいで…だから、ちがうの。本当に。」

百合子が焦ったようにまくしたてる。翔はほくそ笑んだ。楽勝だ。

「本当?嬉しい。あんな美味いもの、もう食べられないなんて嫌だなって思ってた。ちょっと旦那さんに嫉妬しちゃってたよ。それなら良かった〜。」

「ーー嫉妬って?」

「うん。なんでだろう?なんか、嫌だなって思ったんだ。」

翔は座り直した。百合子を真っ直ぐに見つめる。彼女の頭上に下がった壁時計の針は日付をまたごうとしている。

「今からうち来ない?ご飯作ってよ。今日は色々あったし、渡辺の美味しいご飯食べたらまた明日から頑張れる気がする。」

百合子に近付き、顔を覗き込む。

「お願い。だめ?」

「……駄目じゃない。」

翔は百合子を抱きしめた。

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