第7話 追い込まれた女

ガコン、ガコンガコンガコン

早苗の下卑た笑みが霞んでいく。
さっきまで高台から哀れな早苗を見下していたのに、自分がどんどん小さくなっていくのがわかる。

耐えられない、耐えられなかった。

「えーなにそれ、そんな噂あるの?」
上ずった声を落ち着かせながら、できる限り自然に席を立った。

トイレの個室に入り状況を整理する。
毎日お弁当を作っていることは翔と私の秘密のはず。
特に感想もないけど、別にそんなの気にしてなかった。
それをなぜか早苗ごときが知っている。
翔が早苗に言ったの?
違う、あいつはさっき「みんな」って言ってた。
みんなって誰?
でも翔が言わなきゃ噂も立たない。
きっと「作ってくれてる」って意味だよね?
悪く言うはずないよね?
だって、だってそう、元はと言えば作ってって言ったのは向こうじゃない。
芹沢翔が、私のお弁当を見て、
「俺にも作ってよ」って言ったんじゃない。
別に下心なんてなかった。
仲の良い同僚がランチに困ってるなら、
ついでに作ってあげるって、
それのどこが悪いの?
それのどこを悪く解釈できるの?
翔が悪く言うはずない。
きっと、お弁当を食べてる翔を見て嫉妬した山本あたりが早苗に吹き込んで、
バカな早苗が私が翔を追いかけてるって婉曲して解釈しただけなのよ。
自分が翔を好きだからって、みんなライバルみたいに思って、
これじゃ巻き込み事故じゃない。

翔が勘違いしたらどうすんのよ…

心の声が止まらない。
百合子はしばらく自問自答を繰り返し、結局みんなの勘違いだと自分を納得させた。

そのあと早苗に何と言い繕ったか覚えていないが、してやったりの早苗の顔をなるべく直視しないよう、話題を変え、とにかく早く食事を切り上げた。

翌朝出社すると、周囲からの視線を感じる。
芹沢同盟を結んでいる女子社員からも、同期からも。
耐えられない。
今日は直行直帰になっている翔のデスクを横目で見る。
整理整頓されたデスクは、なぜか自分を突き放しているように感じた。

直接翔に聞けばいいじゃない。
そうすれば、解決する。
「弁当うまいから、ついみんなに言っちゃった」って翔が言えば、済むことじゃない。

よりによって明日も明後日も翔は出勤予定がない。
百合子はあと2日間、宙吊りにされた見世物のような気分でいるのは耐えられなかった。
今日も作っていた自分用のお弁当を机に広げることができず、財布を握りしめオフィスを出た。

ランチから戻ると、カフェテリアで休憩中の山本が目に入った。
正直、すごく苦手。
下品だし、既婚者なのに飲み会ばっかりして、不倫してるなんて噂もある。
でも仕方ない。百合子は山本に近づき話しかけた。

「ねぇ」

思ったよりも強気なトーンが出てしまい慌てて訂正する。

「ごめんね、今少し良い?」

百合子の顔を見て、少し驚いた様子の山本は、コーヒーをこぼさないように口元から離しながら「いいけど」と座るように促す。

「こうゆうの嫌いだから単刀直入に聞くけど、私が芹沢のこと好きとか下らない噂流してるの山本くん?」

頭に浮かんでいたストレートな質問があまりにも幼稚すぎると、出かかる言葉を寸前で抑えた。
好きとか、嫌いとか、良い大人が何言ってんだ。

代わりに出たのは、自分でも考えていない意外な言葉だった。

「山本くんが結婚式挙げた式場について聞きたいんだけど…」

それは山本にも同じだったようで、百合子からの意外な質問に、まずどこから答えようか考えている。

「なに、お前結婚すんの?」
「まだ正確な時期とかは決まってないけど、参考までに聞ければと思って」
「へ〜」
「なによ?」
「いや、あ、そうなんだおめでとう。えーと式場だっけ…」

チャペルがどうとか、料理がどうとか、山本は意外にも丁寧に答えてくれたが、百合子の頭には何も入ってこない。 
それよりも、山本が一瞬おいた間に、何を含んでいるのか気になった。

「そうなんだ、参考になった。ありがとう」

でもこれで私が翔を好きなんて噂、なくなるだろう。
お弁当のことだって、気があって作ってたわけじゃないって広めなくちゃ。

「あ、結婚のことまだ誰にも言ってないから、黙っててくれる?」

そう言いながら、山本に言えば、必要なところまで情報を回してくれるはずと確信していた。

とりあえず、翔の本心なんてどうでもよかった。
結婚するという噂が翔の耳に入るのは多少マイナスだけど、私が追っかけてるイメージが一人歩きするよりましだ。

しばらく翔には冷たくしよう。

だって、なくなって気づく恋愛感情って結構あるでしょう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?