第15話 裏返し

「ふふふ」
思わず笑えてきた。
喉から手が出るほど欲しかった翔の心を、その手で握りつぶしたい。
ぐちゃぐちゃにかき混ぜて、生ゴミと一緒に捨ててやる。

傷ついた翔の顔を想像して、百合子は自分の乱れた感情を取り戻そうとした。
完璧に仕事をこなす、クールな才色兼備。
怒りと恥ずかしさと惨めさでまだ赤い頬を、なんとか微笑で打ち消しながら、百合子はトイレを出た。

ガサツそうで百合子の人生で最も関わり合いの無かったタイプの男は、ソファーでイビキをかいている。
ふと翔を探すと、ベランダで新しいワインと共に夜風を浴びていた。

とことん絵になるひとね。
そういって百合子もベランダにでる。

「のむ?」
「ありがと。」
ワインを一口飲んで、百合子は明るく言う。
「いまクライアントにメールしておいた。翔なら絶対に気に入られると思うよ!」
「ほんとにありがとう。渡辺のおかげでなんかやる気が出たよ。どうやってお礼をすればいいかな?」
翔はじっと百合子を見つめる。
ほろ酔いの翔は美しかった。目が少し潤んで、いつもよりもあったまっている体温が百合子の心を溶かしていく。
「お礼なんて。同期なんだから、お互いたす…」
百合子が思ってもない偽善的なセリフを言い終わらないうちに、翔が口をふさいだ。
「ごめん、渡辺の目を見てたらつい…」
百合子はなるべく大げさすぎないように、でも心の底から頬をゆるめた。

次の日、会社で翔を見つけたらまず言ってやるんだ。
クライアントからあんたがNG出されたよ、って。
あんたじゃもうダメなんだよって。
ふふふ、翔はどんな顔をするかな?誰よりも高いプライドを隠して、心の中ではみんなを見下してるんでしょ?でも私に傅いて、懇願するのなら許してもいいわ。あなたのお世話をしてあげる。

百合子は目の前の現実と内側の醜い感情をかき混ぜながら、翔に身を委ねた。


一旦自分の家に戻って着替えてから出社した百合子は、真っ先に翔に近づいていった。
放っておくと上がってしまう口角をなんとかおさえて、自分でできる1番申し訳ない顔をした。
「おはよう。あのね、昨日言ってたクライアントなんだけど…。」
「おはよ、どうした?」
「実はね、言いにくいんだけど、、、。」
「うん。」
翔は一切表情を変えない。
「芹沢くんの名前を出したら、なんかクライアントの態度が変わっちゃって…。もしかしたら誰かが悪いデマをクライアントに言っちゃったのかも…。芹沢くんじゃ不安だ、みたいなことを言われちゃって。そんなことないです、確かに失敗はあったけど、たった1度のミスだし、その他は本当に信用のできる人ですってちゃんと伝えたんだけど…。やっぱりダメみたい…。」
少し驚いた顔をした翔は、すぐにいつもの笑顔になった。
「そっかー。わかった、ありがとう!手間とらせちゃったな、ごめん。」
「でも私も同席したら大丈夫なんじゃないかなって思うんだよね。結構信頼関係築けてると思うから、なんとか説得してみるよ!作戦会議にランチいこっ!」
百合子はしてもいないメールを餌に、今日も翔を独占するつもりだった。できると、当然思っていた。
「あ、ごめん。今日は飯田と行くことになってるんだ。飯田もクライアントを紹介してくれるみたいで、今日の夜会食なんだよ。事前にクライアントの情報とか聞きたくて。」
翔は全く悪びれず、平然と爽やかな笑顔を百合子にむける。

飯田って、早苗…?
嘘でしょ?
いつのまに2人は接触してたの?連絡先さえ知らなかったじゃない!
どうせ早苗のクライアントなんて、早苗のタイトスカート目当てでしょ?
私のクライアントの方がずっとずっと誠実よ!
待って、翔。行かないで。

百合子が混乱で動けなくなっていると、後ろから甘ったるい早苗の声がした。

「翔くんっ。おまたせ。いこ?」
「おー、飯田。どこ行こっか?」
「もー、早苗でいいってー。同い年なんだし。」
百合子に気付いた早苗が、勝ち誇ったように笑いかける。
「あ、百合子。今日のランチは翔くん、お借りしますっ。」

百合子は何も言えずに、楽しそうに喋る2人の後ろ姿を見えなくなるまで眺めた。

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