第11話 思い出してよ

終電はもうない。
秋の心地よい風が、夜の12時半を回った六本木を通り抜ける。
なんの根拠もないけど応援されている気がした。
今日はきっと、あの人に会える気がする。
ショーウィンドウに飾られたブランドバックを眺め、あの人はいつかこんな素敵なバッグをプレゼントしてくれるだろうか、と妄想だけが早足で進んで行く。

酔った勢いで「好き」と言ってしまって、逃げるように別れてからもう一ヶ月以上経った。
あれから何回か連絡をしてみたけど、忙しいのか断りのスタンプが送られてくるだけ。
バカじゃない、だからその気がないのはわかってる。
だけど、いくら忘れようとしても、彼の残像が蘇ってくる。
今日だって、まぁまぁ良い相手との合コンだったけど、誰と話していても、彼だったらもっと優しく、もっと強引に、もっと穏やかに、彼だったら、って頭から離れてくれない。
忘れるためにも、せめてもう一度会わなければ。

ユキはお店の住所を確認して、
「終電だから先帰る」と切り上げたさっきのカラオケとも、駅とも、逆の方向に六本木通りを歩き出した。
まだ人通りの多い道を目的地へと進むうちに、周りの酔っ払いにテンションを吸い取られ、だんだんと酔いが覚めて冷静になる。
そして同時に不安になる。

私がしてることって、もしかしてストーカー?
違う、、、

たまたま気がついちゃっただけ。
最近立て続けにインスタに上がるバーの存在に、たまたま気がついちゃっただけ。

SNSにマメなタイプじゃないし、きっと何か理由があるんだって思った。
でもそんなのどうでもよくて、もし1ミリでもあの人がいる可能性があるのなら、偶然を装っての再会を願ったって良いでしょ?
もし会えたらそれってすごく運命的だし。

目的のバーは思ったよりも近く、勢いで入って行くには勇気がいる外観だった。
「ここ…?」

雑居ビルの表には電源が切れた看板がいくつかぶら下がり、一番下にポツンと、シンプルなバーのロゴが弱々しく光っている。

「ここだ…」

もう一度お店の内装や、営業時間を確認する。
バーカウンターが10席の小さなお店。
もしあの人がいれば、嫌やでも気づく。

でも、もし本当にいたとして、何て言う…?

インスタを見て…、なんてとても言えない。
ユキが考え立ち止まっていると、女性が一人、階段を上がってくる。

「別にふらっと立ち寄った」
それでいい。
「たまたまこの辺で飲んでいて、終電もないからせっかくだから寄ってみた」
それで十分。

女性をよけ、階段を降りようとするともう一人誰かが上がってくるのが見えた。
先に出た女性を追うように一段とばしで階段を上る男性の足。
ふと顔を上げると、それはあの人だった。
私が今日会いに来た、あの人だった―。

「翔さん…」

驚きのあまり素の声が飛び出す。
ふいに名前を呼ばれ振り向いた彼は、ハテナマークを浮かべこちらを見た。

「ユキです。こないだご飯連れてってもらった、」

それから5分後、ユキは初めて入ったバーの端の席で、独りで本日のおすすめのカクテルを飲んでいた。

一瞬の出来事でよく覚えていないけど、めんどくさいというより少し驚いた顔をして、最低限度の言葉を残し、一緒に来ていた女の人と歩いていってしまった。

さっきまでの期待と不安とときめきが、一瞬にして安堵と落胆に変わり、ため息と一緒に漏れる。

彼は、何を思っただろう。
おしゃれなグラスに浮かんだラズベリーをマドラーでいじりながら、どうしたら彼の心に爪痕を残せるのか、回らない頭をフル回転させる。

「さっきは偶然でしたね!」
ラインを打ちかけては、返ってくるであろうスタンプお想像してしまい、また消す。

「初めてですよね?」

よほど暗い顔をしていたのか、マスターがグラスを磨きながらユキの様子を伺う。

「はい。あ、でもさっき上で偶然知り合いに会って…」
「真知ちゃん?」
ユキがピンときていないのを見て、
「あ、翔くんの方か?」と聞き直す。

気さくな対応にユキは調子に乗って質問する。

「あの方って、翔さんの彼女さんですか?」

ほろ酔いだからってデリカシーがない。
そうとわかっていても好奇心が暴走する。

「いや、違うよ。たまたまここで会って仲良くなってね。最近は毎週来るかな。まぁ僕はここでの2人しか知らないけどね。」

不安を100%は拭いきれないようなマスターの答えに、もっともっといろいろ聞きたくなった。
あれは誰?
彼にとってどんな人?
あの人に会いに来てるの?
出会ってどれくらい?
ここ以外でも会ってる?
私との一瞬の挨拶も、彼にとっては迷惑だった?
それとも、迷惑にもならないくらいどうでも良かった?
次から次へと湧き出てくる問いに息が詰まった。

一杯目のカクテルを飲み終わった頃、ユキは目を疑った。

彼から、翔さんからラインが来てる。

胸の高鳴りをマスターに見破られないように密かに落ち着かせる。
ここにたどり着く前以上の期待と不安とときめきが押し寄せて、自然と背筋が伸びた。

「さっきは驚いた。あの店よく行くの?」

なんて返そう。
でもここで変に嘘をついても後でばれる。

「いえ、今日たまたま終電逃しちゃったんで寄ってみたんです」
「翔さんはよく行くんですか?」

白々しいけど、自然の会話の流れを装った。
思った以上に早い返信が、また心臓を突いた。

「そうなんだ。たまに」

しばらく待ったけど、続きは来ない。
何を確かめたかったんだろう。
もし私がもともとの常連だったらどうなの?
なんなの?

バカ正直に送ってしまった事を後悔しながら、また半ば酔いにまかせて、
「良いお店ですね!今度は一緒に行ければうれしいです~!」
と能天気を装って返信する。

内心、怖かった。また落ち込む自分が目に見えて。
そんなユキのことは全く気にかけていないように、ペースを落とさずサクッと返信が来る。


「いつも常連と飲んでるから、一緒には行けないかな」


遠回しに「来ないで」といっているなら優しくない。

自分の翔に対する誠実な想いを、冷たくあしらわれた気がした。

好きなことは変わらない。
でもこの人は私を幸せにしてくれる人じゃない。
もう、そう言い聞かせるしかない。

ユキは最後に強いお酒を注文して、翔との会話を削除した。
ブロックまでできないのは、まだどこかで期待しているからなのかもしれない。

帰り際、重いドアを開け見送ってくれるマスターが笑顔で当たり前のことを言う。

「またお待ちしております」

ユキはもう来ることはない心に決めながらも、笑顔を見せ、良い客を装った。

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