第17話 普通の結末

せわしない日々は翔に考える時間すら与えない。

オフィスで百合子の隣に座るたびに、早苗とすれ違うたびに、脳みそが焦げ付くような感じがした。

相手だって職場で男女の関係をどうこうしようともがく年齢でもない。
ただただ気まずく、期待と恨みを混ぜた視線を浴びせてくるだけだった。

こんな俺のどこが良いのだろうか。

その夜、急遽開かれた飲み会に、翔は嫌々参加した。

山本に強引に誘われただけだったが、あの一件で山本にも借りを作っていた手前断れなかった。

「仲間内だけの飲み会だから、たまにはお前も顔出せよ」

こうゆう面倒な飲み会が嫌で今の仕事を選んだのに…

しかし嫌気を感じながらも波風立てないことが一番だと仕方なく承諾した。

店に入ると、山本と数人の同僚が見える。

その中には、早苗の姿もあった。

踵返そうとした瞬間、
「芹沢〜こっち」と山本に引き止められた。

会社近くのスペインバルは山本の行きつけで、ダサい音楽とほぼ全部同じような味付けの料理が、翔は苦手だった。

でも今日は嫌な顔みせずに、席に座る。

斜め向かいに座る早苗と一瞬目が合ったが、久しぶりにオフィス以外で会う他の同僚と話が弾む振りをして、言葉は交わさなかった。

もうこの際、みんなに借りを作ったことのお礼として、全ての会計を持ち、この一件を相殺したい。

翔のビールが運ばれてきたところで、百合子が店に入ってきた。

「え?渡辺も?」

山本に無言で目配せするが、通じない。百合子は堂々と翔の横に座り、翔との親密さを早苗にアピールする。

それから数時間は、早苗と百合子の視線に板挟みになりながら、酒がかなり進んだ。久しぶりに同僚と飲み、やけになっていたのかもしれない。仕事のストレスなのかもしれない。

普段酒に飲まれるなんてことはないのに、次から次へと運ばれてくる安い酒が、翔をどんどん悪酔いさせていった。

翔の横に張り付くよに座り、空いたグラスを片付けたり、食べ物をこれ見よがしによそったりする百合子にだんだん苛立ちを覚えた。

「だいたいさ、お前なんで急に結婚するとか言ったの?」

酔っ払った勢いで、つい百合子の悪あがきをいじってしまった。
百合子の顔が凍りつく。

フォローしたのは意外にも早苗だった。

「だから、それは百合子の友達の話だって。山本さんが勘違いして広めたんでしょ〜」

「えーおれ?おれのせい?(笑)」

周りの温度と違い、明らかに引きつった百合子の顔がギリギリ視界に入る。
だが翔は気にしなかった。
それどころか、酔った勢いに乗って百合子にトドメを刺す。

「いやでもさぁ、彼氏くらいいるんだろ?もう俺の弁当はいいからな!」

冗談交じりの一言でその場は一瞬静まり返った。
「いいなー俺も食いてー」という山本のフォローがなければ、百合子はその場を逃げ出していたかもしれない。

翔はかまわず飲み続けた。

翔のおごりで会計を済ませ、店を出たのが23時ごろ。
少し冷たい風に当たると冷静さが戻ってきた。

2件目に誘う山本を上手く断り、百合子とは目も合わせずに、みんなと逆方向に歩き始めた。

後ろから追ってくるヒールの音がする。

「翔くん、私もこっちだから」

早苗はほろ酔いの勢いで、ガードの甘い翔の腕を掴んできた。
いつもなら交わすところだが、今日はどうでもよく思えた。

「楽しかったね、久しぶりじゃない?翔くんが会社の飲み会いくの」

そうだね〜と片手間な返事をする。

この際、早苗にも嫌われてもらおう。

「てかお前さ、ほんと誰とでもやるんだな」

早苗の顔が一瞬冷める。

「会社で噂になってるよ、部署荒らしって。」

噂を聞いたのは本当だった。
嘘か本当か知らないが、男の同僚の間では早苗はすぐに股を開くと有名だ。

「だからさ、俺となんかあったみないな雰囲気出すのやめてくれる?俺さ、いるからちゃんとした相手」

思わず立ち止まった早苗を置いて、翔は歩き続けた。

もっと穏やかな解決策があったかもしれない。

でも仕事の失敗を餌に、2人に振り回されている自分がどうしても許せなかった。

プライドの塊でできたような百合子は、オフィスで会っても冷たくするくらいしかできないだろう。

早苗は、俺から手を出したとかデマの噂を広めるかもしれない。
でもそんなのもどうでもよかった。

この数週間肩に乗っていた重しが取れ、翔はそのままバーに向かった。

今日なら、少し強引にでも彼女を誘えそうな気がした。

重厚なドアを少し開けたところで、真知の声が漏れてきた。

自然と緩む頬をおさえながら、いつものように入っていく。

翔が中に入ると、マスターが「おめでとうー」とグラスを交わしているところだった。

マスターと真知と、真知の隣の男。
真知の誕生日か?
いや、違う。
初めて見るその男性が誰だかすぐにわかった。

真知から何度も聞かされていた亮だ。

真知が会いたいと懇願していた亮だ。

少しあっけにとられている翔に、マスターが声をかける。

「翔くん、いいタイミングじゃない。座って」

真知も翔に気づくなり「ひさしぶり」と笑顔を見せ、隣の男を紹介する。

どこか他人行儀な真知に翔は余計なことは言わず、会釈をする。

期待していた雰囲気と違っていた。

でも具体的に何を期待していたんだろうか。

いつものように落ち込んだ真知と朝まで飲み、前の男なんて忘れて俺にしろ、とでもいうつもりだったのだろうか。

翔がぼーっとそんなことを考えていると、マスターがいつものお酒を差し出した。

「結構飲んできたの?」

「まぁ」

「今日はね、いいニュースがあるんだよね、ね?真知ちゃん?」

真知は少しかしこまって翔の方に向き、左手の薬指を強調して見せた。

「…え?」

酔っ払っているのか思考が追いつかない。

真知が嬉しそうに結婚の報告をしてくるが上手く頭に入ってこない。

こうゆうとき、なんて言えばいいんだっけ…


「(そうだ、)おめでとう」

絞り出した一言は間違いではなかったが、あまり心がこもっていたなかったのか、真知は一瞬困ったような顔をした。

「おめでとう、いや本当によかったじゃん」

はにかむ二人を前に、精一杯の笑顔を作る。

真知から最初にこいつの話を聞いたとき、絶対に戻ることはないと確信していたのに。

散々、音信不通で放ったらかしにしておいて、いきなり結婚って虫が良すぎないか。

その間、真知を慰めて、平日から朝まで酒を飲んで、歌いたくもない歌を一緒に歌い、積み重ねた時間はなんだったんだ。

その努力が全部この男のためになっているようで腹立たしくさえ思えた。

「翔くんも、いい人いるならあんまり待たせちゃダメだよ?」

真知が悪気なく翔を追い詰める。

翔は引きつる顔を抑えて、「そうだよな、じゃ俺も帰んないと」と、わざと意味ありげに答えた。
ほぼ無意識に希に連絡を入れていた。

あいつのことだから、まだ近くで飲んでいる。

今呼んだらすぐにくるだろう。

もう数週間も連絡していなかった希を翔は平気で呼び出していた。

案の定、一杯目の酒を飲み終わる前に希から返信があった。

翔は静かに席を立ち、バーをあとにした。


結局、恋愛なんてこんなものだ。

俯瞰してみれば、みんな同じように無様で、駆け引きなんてものは一瞬の感情に流される。

亮にとっては真知が鬱陶しい希のような存在だったかもしれない。

相手がいると見栄を張った翔は、百合子とどこが違うのか。

なんとなく誰かにいて欲しいと思う一時の感情で、翔はまた希を利用するのだ。


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