第10話 ハリボテ

結局こうなったか。希は触れ合うことで温まる体温に逆らい、心が急速に冷えきっていくのを感じていた。

こいつの正体は分かっている。その場しのぎの優しさであることも、希との将来のことなど何も真剣に考えていないことも。でも、逃すのは惜しいと思っていることも。

いつも人を見下してーーいや、違う。上にいることに馴れすぎている。幼少期から容姿端麗スポーツ万能成績優秀、そして家柄の良さ。劣等感をも抱かせない完璧さは周りを羨望させ、遜らせる。彼にとって、周りに人がいて愛を与えられることは当然のことであり、そこに対してなんの感謝もしていない。する意味もない。望まなくても与えられることに対して、むしろ鬱陶しさを覚え傲慢になる。

かつて希もそうだったので、翔の気持ちは分かるつもりではあった。希の持つ圧倒的ともいえる容姿は、周りの人間が遜るには十分であったし、翔と出会った時も自分の方が立場が上だという奢りがあった。しかし、彼は希のさらに上をいった。

希は初めて、恋は人を変えると知った。翔と付き合ってからというものの、いつも不安で、片時も側を離れたくなかった。向こうから連絡が途絶えると、このまま会えなくなるのではないかと気を揉んだ。気付けば、翔の交友関係をSNSを駆使して洗いあげ、翔に関わる女性の相関図をノートにまとめるまでに追い込まれた。

そんな精神状態が翔にも伝わり、距離を置こうと告げられてからしばらくは精神的に疲弊して毎日泣いて過ごした。どうしても受け入れられず、何度も電話もしてラインも入れた。折り返しもなければ、返事がくることもなかった。人はこんなに冷たく出来るものだろうか。かつてあんなに愛し合ったというのに。

しかし二週間もして、外に出るようになると自分がいかに恋という病に侵されていたかを知った。翔は確かにステータスだけ見れば完璧な男だ。でも、完璧だからといって幸せにしてくれるわけではない。その事実に気付いた。大事なのは、人間力にある。それを気付かせてくれたのはほかでもなく翔、そして亮太である。


亮太とは、ホームパーティで出会った。港区の高層マンションの一室で、知り合いのイベント会社の社長が異文化交流会、とかいう名目でパーティを開いたのだ。まぁ、平たくいえば合コンである。

そこにたまたま居合わせた希の大学の同級生で、広告会社で働く佐々木徹と一緒に来ていたのが、亮太だった。

「よお、希。久しぶり。元気?あ、こいつは同期の柴崎亮太。良いやつなんだ。仲良くしてやって」

「よろしくね」徹に紹介されると、亮太は無邪気に笑った。

そこから三人で、主に徹と希の学生時代の笑い話から始まりいい意味で中身のなく、くだらない話で盛り上がった。そこから徹を通じて急速に仲良くなった。

亮太は実に気持ちのいい男で、みんなに優しく対等だった。人を見た目やステータスで見ようとせず、いかに楽しい時間を過ごせるかに重きをおいた。常に笑顔で優しく誰に対してもオープンで、自分のためより皆のために人一倍気を使い動いていた。亮太なら翔とは違ってどんな自分の醜いところを曝け出しても、全てを温かく受け止めてくれる。そう思わせてくれるような人だった。

仲良くなるにつれ、亮太にどんどん惹かれていった。翔のことも忘れていった。

しかし、亮太は全員に対して優しく同じ態度で、特別になることなど不可能に思えた。それに仲良くはなったものの、いつも徹や別の友人などを交えており二人で会ったことは一度もない。それに亮太は新しいプロジェクトを任されたとかで、とても忙しく合流も夜遅くになることが多かった。

亮太の前では、自分の人より少し優れた容姿など意味のないものに思えた。もっと人として成長しなくては。亮太に誇れる自分でありたい。頑張ろう。本当に私がやりたいことってなんだろう。成長した自分で、亮太に好きになってもらいたい。そんな風に思っていた矢先のことだった。


「このプロジェクトが終わったら、真知にプロポーズしようと思うんだ」

いつものように飲んでいる和やかな空気の中、急に亮太が口火を切った。

「え?お前、真知ちゃんとまだ付き合ってたのかよ。最近俺らとばっかり遊んでるから、もう終わったのかと思ってたよ」徹が希の顔が瞬時に硬直したのに気付いたのか、こちらを心配そうに伺う。

「うん。プロジェクトが本当に忙しくてさ。ちょっと落ち着くまで真知とは連絡取らないって決めてたんだ。ほら、俺、甘えちゃうから。」

「それにしたって2ヶ月半だろ。流石に真知ちゃんも捨てられたって思っちゃってるんじゃない?」

「うん。不安にさせちゃってると思う。もしかしたら、ほかに男がいるかもね。でも、俺には真知しかいないから。もしいたとしても、また頑張るよ」

柔らかく亮太が笑う。

良いな。浮かんだのはシンプルな嫉妬だった。真知が羨ましい。亮太にこんな顔をさせるなんて、きっと凄い子なんだろう。きっと叶わない。頑張りたかったのに、頑張る理由を見失った。所詮私みたいな見掛け倒しの薄っぺらい女は、釣り合わなかったんだ。神様の意地悪。せっかく前を向こうとしてたのに。

「私、そろそろ行くね。亮太、プロジェクトとプロポーズ、頑張って。」

ひと通り亮太への激励が終わり、空気も落ち着きを取り戻した頃、希はにこやかに告げ席を立った。

「あ、送ってくよ」目に同情の光をいっぱいに溜めた徹を振り切り、笑顔のまま店を後にする。余計惨めになるじゃない、ばか。

その笑顔が張り付いたまま、かつて通ったマンションに勝手に足が向かう。言い聞かせる。良いじゃない。似た者同士がくっつくべきなのよ、結局。一瞬だけど良い夢を見せてもらった。一歩足を出すたびに、どんどん昔の自分に戻っていくような感覚があった。

私に亮太は無理だったけど、翔と私は同類だもの。お似合いよ。そう。結局私には翔しかいない。翔、あなただってそうでしょ。あなたみたいな見かけ騙しの薄っぺらい男は私が合ってる。


カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。光が翔の美しい顔を縁取り、何かの芸術作品のようだ。これでいい。このまま関係を続けて、妊娠でもして結婚に持って行けばいいか。今度はもっと上手くやれるだろう。これでいいはずだ。そのはずなのに。希の心は沈んでいた。が、気づかないふりをした。考えたって状況は望む方向に好転しない。徹から届いていた心配のラインも読まずに削除する。

「うーーーん・・・希、起きてたの?おはよう」

「おはよう」

自分がどんどん後退していくのを肌で感じながら、希は優しく微笑んだ。


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