第5話 対処

軽はずみな発言は、すべきではない。

翔はテーブルに置かれた弁当箱を苦々しい思いで眺める。

事の発端は数ヶ月前に遡る。
同期の渡辺百合子がデスクで弁当箱を広げていたので、軽い気持ちで「美味そうだな、俺にもくれよ」と声をかけた。

その弁当が予想以上に美味かったこと、
その時の翔がかなり空腹だったこと、
そして何も考えていなかったこと。

その後百合子が、じゃぁこれからつくってあげる、と笑い、おう、頼むわ。と笑い返したこと。
更に、彼女にバレたら大変だから俺たちだけの秘密な、とおどけて見せたこと。(その時はまだ希と付き合っていた)

ーー今となってはどれが原因かは分からない。

俺が悪いのか?
まさか冗談じゃないなんて思わないだろ?
まして、彼女のようなタイプが、そんな。

思わず舌打ちが出た。
今までは弁当が毎日届くだけで、大した実害はなかった。百合子はそれ以外のアクションは起こしてこなかったし、弁当は捨てればいいのだから。それでも毎日届くのはやはり恐ろしいが。
ただ、母親と接触されたのは面倒だ。しかも、一丁前に彼女ヅラときている。ふざけるな。 今まで放っておいてやったのに、そういう訳にはいかなくなった。

母は、明らかに不機嫌な子供の様子に気付く様子はない。呑気にまだ見ぬ孫の話をしている。そこから未だ未婚の姉の愚痴に繋がっていく未来は見えている。吐き気がする。 どいつもこいつも勝手だ。

母の話に適当に相槌をうちながら、LINEを開く。
同期で一番口が軽く、お調子者の山本悟を選択する。確か今日は会社の奴らと飲み会だと言っていた。好都合だ。

ーー悟、急にごめんな。実は最近、毎日うちのポストに弁当が入っててさ。恐くて誰かずっと確認できなかったんだけど、今日母親がたまたま現場に居合わせてさ。どうやら渡辺が入れてるみたいなんだ。
同期のお前にしか相談出来ない。俺はどうすればいいと思う?

送信ボタンを押す。フッと息を吐いた。
後は悟がうまく調理してくれるだろう。今週中には社内にこの噂が広まっているに違いない。
百合子も少しは懲りるだろう。

プライドが高く周りを見下す所がある百合子に鬱憤が溜まっている女性社員も沢山いるはずだ。
そんな奴が芹沢翔にストーカーまがいの行動をしていたとなれば、彼女たちの格好の餌だ。評判も地に堕ちるだろう。いい気味だ。


それにしても、煩わしい人間関係ばかりだ。
みんな自分のことばかり。さっき俺のことを好きだと言ってきたユキとかいう女も、高スペックの彼氏を持って自分の価値を高めたいだけだろう。周りが結婚していくなか、焦りでもしているのだろう。俺を通した自分しか見ていない。
大体、会って二回目で俺の何がわかるというのが。自分の話ばかりしてきたくせに、笑わせる。

ーーこちらこそ今日はありがとう。また落ち着いたら俺から連絡するね。

悟に連絡ついでに、機械的に先程ユキから届いていたLINEに返信する。
"もうお前に会うことはない"、遠回しな意思表示だ。馬鹿そうな女だったから、真意が伝わるか心配ではあるが。

相変わらず喋り続ける母を尻目に、布団を出す。もう夜も遅い。どうせ今夜は泊まっていくつもりだろう。
さっさと寝てもらおう。

「母さん、洗濯や掃除、ありがとな。疲れてるだろうから、そろそろ寝なよ。布団敷いといた。俺も残った仕事、片付けちゃうから。」

「ありがとう、翔。あなたの優しくて気の利くところが、お姉ちゃんに少しでもあったら良かったのにねえ」

寝る寸前までぼやくのか、母よ。

ーーー

しばらくして母が寝たのを確認し、明日のプレゼンの最終確認をしてパソコンを閉じる。今日は疲れた。
伸びをして、窓に目をやる。

あのバーに行ってみようかな。ふと思った。
心から笑ったあの夜を思い出す。

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