第9話 嘘の定義

「久しぶり!」

できるだけ、何事もなかったかのような声を取り繕った。
大体の場合はこちらが相手の雰囲気にのみこまれないようにすればなんとか切り抜けられるのだが、今回はちょっとやっかいだな。

「どっかで飲んでたの?ずっと待ってた。」
「そうなんだ、驚いたな。ちょっと会食があって、軽く飲んでたんだ。」
「なんでずっと無視なの?電話もメッセージも、すごいしたのに。私、何かした?怒ってるの?」

希の真っ直ぐ、だけど滲み出る非難の目線が痛い。
涙が目の縁にちょうど溢れようとしていて、街灯の反射をゆらめかせる。さながら映画のワンシーンだ。
元々、希の顔が好きだった。赤ちゃんのようになめらかな肌は必死に手入れをしている想像をさせないぐらい自然だったし、小さいけれど形の良い鼻とリカちゃん人形のような可憐な目は今まで付き合った女の人の中で断トツに好みだった。

可愛いな、と思った瞬間に希を抱きしめていた。

「ごめんな。俺、どうしても仕事が忙しいとそっちに集中したくなっちゃうんだ。希が俺の女友達に嫉妬しちゃうのも、俺の愛情表現が足りないからだよね。でも仕事に集中したいときは正直そこまで気が回らなくて…。不器用で本当にごめん。嫌いになった訳じゃないんだ。分かってくれる?」

いきなり抱きしめられるというベタな憧れのシーンに舞い上がった希は、ここ最近抱え込んでいた怒りと悲しみを一瞬にして忘れてしまった。
「うん。私こそ、ごめんね。翔くんの気持ち何にも考えてなかった。」
「だから、またフラットな状態の二人に戻れるかな?今は仕事が忙しいから、また落ち着いたら関係を築いていこう。しばらくは俺のタイミングで時間があるときに連絡する、っていう感じになっちゃうと思う。」
「分かった。ありがとう、これからも会えるって言ってくれて嬉しい。」

別に嘘は一つもついていない。
希の顔を嫌いになったわけじゃないし、仕事が忙しいのも確かだ。真知のことが気になっているが、まだ彼女と何かが始まっているわけじゃない。
”ガールフレンド”のように常に密に連絡をとらなくても、たまにこっちの気が向いたときに連絡して会いに来てくれる女の子はいるに越したことはない。
一人で時間を弄ぶのは、苦手なんだ。

そのまま希は家に泊まり、俺らは抱き合った。



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