第3話 年下の女

代官山へ向かうタクシーの中で、週明けの大事なプレゼン資料を確認していた。
今日は何時に帰れるだろうか、、

画面に割り込んで来るラインの通知をいちいち指で払いながら、リスケになるのをめんどくさがり、断らなかった自分を責めた。

だいたい、「もうすぐ着きます」「翔さんは?」の二言を2回に分けて送ってくる意図がさらさらわからない。

正直、仕事が山積みでデートどころではない。
同期の渡辺百合子から来る呑気な打ち上げの誘いをスルーして、上司からの最終判断を待っている。
返事次第ではすぐにでも取り掛からなければいけないデータ処理があるのに。

どうせ一人でも腹は減るし、酒は控えて、ただの晩飯だと思えばいい、、
そう割り切ってタクシーを降りると、ユキはすでに店の前に立っていた。

「ごめん、待った?」
「全然、今来たところです。」

このいかにもインスタ映えしそうなイタリアンはユキが選んだ。
「すみません、なんか最初から行きたいとこあるなんて言って」
席に着くなり、ユキが恐縮そうに言う。

「ほんとだよ、、しかもアクセス悪い代官山なんか…」という心の声を抑え、
「いや、むしろ言ってくれる方が助かるから」とさらっと流す。

医療事務をしているユキとは先月の飲み会で会った、と思う。
こんなに化粧が濃かったっけと思いながら、記憶を辿る…
確かお酒はあんまり飲めなかったような…
こちらとしては好都合だ。

「翔さん、お酒好きですよね?今日は私もたくさん飲めます、明日休みなので」
おいおい、俺は休みじゃないよ?むしろこれから働くよ?
苦笑いを隠しながらメニューに目を通し、2番目に高いコースとグラスワインを頼んだ。

それでも少し緊張気味に話すユキは可愛かった。
3つだけとは言え、あまり社会に揉まれていない年下の女の子を見ると、守ってあげなきゃと思う男心もわからなくはない。
黒のノースリーブから伸びる白い腕、ゆるく巻かれた髪、グラス一杯ですでに頬がピンクになり、恥ずかしそうにうつむき気味に笑う。
会話の間を埋めるように頻繁にバケットに手を伸ばし、自分から誘って来た割には会話を委ね、質問を質問で返して来る。
おかげでこっちはユキのデータベースが作れそうだ。

高橋ユキ
27歳
A型
趣味はこれといってないが、週に2回ヨガに通っている。
目黒区に一人暮らし
週末は友人と会うか、一人で散歩。
料理はそこそこできる。
実家は浜松。
彼氏なし。
現在、転職活動中。

会話は主に転職についてだった。

「医療事務って女の子多くて、正直それも面倒くさいんです。でもこれと言ってスキルもないし。なんか中途半端だなって…」

そう、わかってるじゃないか、「中途半端」って。
三十路手前の女性は、結婚して仕事やめていく人もいれば、ばりばり働いて仕事が充実していく人もいる。
中途半端な自分に不安を感じる年頃だ。
そのうち、暇があれば集まっていたような友人は一人二人と減っていき、
「結婚」とか「出産」とか「転職」とか、何かしらのタイトルを欲する。

なら、やりたいことを見つけて努力しろ、と言ったところで女性に通用しないこともわかっていた。

それより今やらなければいけないのは、
なんとなくユキが満足するアドバイスを与え、トイレに行っている間に会計を済まし、さらっとタクシーを拾いユキだけを乗せ、一人になった瞬間に上司から来ているメールを確認することだ。
“でもでも星人”が出てくる前に、なんとかこの会話を丸く納めなければ…

「時間もあるし、資格とか取ろうかなーって思うんですけど色々ありすぎるじゃないですか〜」
「うんうん」
「でも、やっぱり女の人って子供産むこととか考えると、転職も結構むずかしかったり」
「そうだよね~」
「今はシフト制なんで、土日が潰れるのも嫌なんですよね〜」
「うんうん」
「でもやっぱり手に職があるって良いですよね〜看護師とか美容師の友達って、もう転職って概念がないから、良いなーって思うんですよね」
「うんうん」
「でも、今からなんか専門技術習得するなんで無理だし、」

おっと、出て来たか、出て来てしまったか、
“でもでも聖人…!

「ユキちゃんなら、良いお母さんになりそうだから大丈夫だよ」
大抵の場合なら、この一言で丸く収まる。もしくは、話題をシフトできる。
良いお母さん像っていうのは社会的にも家庭的にも褒め言葉意外のなんでもないからだ。
遠回しにどちらとも取れる褒め方をして、適当に切り上げれば良い。

しかし、ユキには言ってはいけない一言だった…
それまでワイン3杯でふにゃふにゃになっていた顔が急に引き締まり、とたんに獲物を狙う女豹のような鋭い視線を向けられた。
かともったら、二つの大きな瞳は潤み出し、優しい笑顔になる。

怖い…

この既視感のある表情は、2、3ヶ月前、無意識に「子供」というワードを口にしてしまったときに見た、希の表情だ。
それ以来、外堀を埋められ、容赦なく無言のプレッシャーをかけられ、耐えられなくて別れた。

ユキは十分に含み笑いを浮かべた後、
「…そうですか~?ありがとうございます」と一言。
ウェイターが食後のコーヒーを運んでこなければ、微笑のメデューサに石にされるところだった。

エスプレッソを一気に流し込み、「そろそろ、」と声をかけようとするが、ユキはまだホットコーヒーにミルクと砂糖を入れている。
「甘くないと飲めないんです…」
もう、引きつる顔を無理やり笑顔にするのがやっとだ。
ユキの取る行動がいちいちスローモーションに見えてくる。
コーヒーを一口、いや0.5口飲むたびにナプキンで口元を拭き、顔にかかった髪を耳にかけ直す。
自分が見られていることを確認するように、時々視線をこっちにやる。

「ちょっとごめん」
我慢できず席を立ち、トイレに向かう。
思った以上に長引く食事に、いい加減携帯を確認せずにはいられなかった。
上司からのメールを見ると以外にもあっさりOKの返事がきていた。

結局店を出たのは21時過ぎ。
タクシーが拾いやすいお大通りに出ると、
翔の様子を探りながら、ユキが見計らったかのように視線を合わせてきた。
「今日ここ来る前に通ったバーがあるんですけど、さっきレビュー見たら良さそうで。ちょうどのこの通り入ったとこなんですけど」

行かない、行きたくない。

「へ~どこ?」

「すぐ近くです、よかったら…」
と、大通りから一本入った路地に早足で向かうユキに、思わず誘導されるところだった。
しかし、ここはさすがに断れる。
「ごめん、今日はまだ仕事が残ってて」
嘘ではない。
上司からOKはでたものの、プレゼンのシミュレーションをしたくて、うずうずしていた。
俺が向きあいたいのは君ではなくパソコンだ。

本当に残念そうに瞳を潤わせるユキを目の前に、つい禁句がぽろり。

「また今度…」

あ、、言ってしまった。それは言わないと決めていたのに…
しかしもう遅い、
待ってましたとばかりの上目遣いで「そうですね!また今度」と言葉を拾われてしまう。

今度は今度だ、今決めることではない。
ペースを自分に戻そうと、再び大通りを歩く。
こうゆう時に限って捕まらないのがタクシーだ。
まるでユキの味方をするかのように、緑のランプを光らせ素通りしていく。
視線を合わせなければ視界にも入ってこないユキは、ラジオのようになにかを話し続けていた。
ほろ酔いで緊張もとけてきたんだろう。
図々しくなる前にタクシーに乗せなければ。

っと、そこにきたー!!
赤いランプがだんだん近づいてくる。
後はスマートにドアを開け、ユキを乗せてタクシー代を渡せばミッション完了…!

と思いきや、
タクシーを止める俺の手を止めるユキの手…?
「ん?どうしたの?(せっかくきたタクシー行っちゃったよ??)」

「翔さん、きっと忙しくて次いつ会えるかわからないんで、気持ちだけでも伝えておこうと思って」

きもち?

それこそ今度でいいじゃないか?
ここは日曜22時前の代官山。
人通りもそこそそあるし、いい感じに酔っているとはいえ、きもちの話をするのは早くないか…?
そんな翔のきもちは伝わらず、ユキは話し続ける。
「まだ会うの2回目ですけど、私、翔さんのこと好きです。ごめんなさい、急に。あ、別に今すぐどうこうとかじゃなくて…また会えたらいいなって、思ってて…」

いうだけ言って、相手に託す。
女の常套手段だ。
その手には乗らない。
翔が何も言わないのがよほど不安だったのか、ユキは視線をアチラコチラに駆け巡らせる。
そして思考停止したのか

「今日はごちそうさまでした。楽しかったです。また今度、あのバー行きましょうね!」

と一方的に言葉を放ち、自らタクシーを止め、足早に去って行った。

ユキの乗ったタクシーがまだ先の交差点で停まっているうちに、ラインが来た。

「今日はごちそうさまでした。なんか最後すみません!また気軽に誘って下さい~!」
「お仕事頑張ってくださいね」
「おやすみなさい」

画面に割り込むラインの通知を指で払いながら、その後すぐに捕まえたタクシーに乗り込む。

一通り、必要なメールの返信を終えたところで、自宅に着いた。
エレベーターを降り、カード式の鍵を解除して自宅に入る。
エアコンをつけっぱなしにしておいたのは正解だった。9月とはいえ、8月の酷暑を引きずってまだまだ蒸し暑さが続いていた。
パソコンの明かりで照らされるリビングをスルーして、洗面所に向かう。

…あれ、電気つけっぱなし。消すの忘れたのかな…と思った矢先、
まわした覚えのない洗濯機がピーっと鳴り、乾燥終了を知らせた。


…え、だれ?

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