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セクハラ被害を語るということ

どうしてもどうしても許せないことがあって、今回この記事を書くことにしました。

私自身、広告関係の仕事をすることが増え、マーケティングやブランディングについての関心が以前よりも高くなりました。
特にYouTubeやSNS上の広告などは、私も関わることが多く、私自身もよく目にするものであるので、そのマーケティングに感動したり、驚いたりすることも多いです。

何か商品やサービスを認知させる方法の一つとして、炎上商法というのがありますね。
ネットのエンターテインメントに詳しい人なら、私が今何を言わんとしているかは、察しがついているのではないでしょうか。

彼らについて、名前や詳細を語ることはしませんが、今回の件で初めの騒動が周知された時、
被害者に対して、私は自分のセクハラ被害を重ねつつ、共感し、これから応援していこうということを心に決め、Twitterでそっと「いいね」を押しました。

それが、加害者とはグルで、「全部炎上商法だった」というのが公表されました。
いや、ほんとにさ、さっき知ったんだよ。

あーー!
社会全体への諦めというか、、一言で言うならばただただ悲しい感情になったし、
こういうのが「クリエイターの枠じゃおさまらない!すげえ!」って称賛されたり、笑いのネタにされているのが訳がわからないのよ。

クリエイティブってそんなものだったっけ?

私は、セクハラ被害者であり、フェミニストです。
セクハラ被害を受けてきた人々のエンパワーメントをしたいと思い、ものづくりに励んでいます。

日々それのために生きとると言ってもいいよ。

映像やものづくりって、社会を変えられるし、誰か悲しんでいる人の心を救うことができるし、誰か人を傷つけていた人を猛省させることだってできる。私が、そうだったようにね。

私はセクハラ被害に、人生を狂わされ、病気を悪化させられ、
一生消えないような傷を負わされました。

セクハラ加害者集団の映像制作サークルをやめて、映像の世界に見切りをつけたとき、一回死んだから、
こんなくそな社会を変えるために、映像を作ろうと新しい私が生まれて、日々頑張ってるんだけどさ。

「わたし、セクハラ被害者なんです」っていうのを私が語るたび、
「どうせ嘘だろ?」「話盛りすぎ」「被害者面すんな」とか
「女であることを利用している」とか「被害を利用しているだけ」とか言われるわけ。

どんなことをされたのか、ひたすら聞いてくる人も多いよね。
セクハラ被害はそのときだけじゃ、終わらんのだよ。

一生ついてまわる。

語らなくとも、記憶から消すことはできないし、
語ったとしても、語ったことによって新たに心を傷つけられることもある。

自分のセクハラ被害、性犯罪被害を語る人々がどんな仕打ちを受けてきたか、私は知っている。
伊藤詩織氏や山口達也の被害者への社会の仕打ちを見れば、明らかじゃない?


なんで、今回私がこんなに怒っているのか、涙を流しているのか。

それは、今回の騒動の中心となっている彼らも被害をでっちあげた彼女も、当事者である私たちを利用し、傷つけて、
これからも生まれてしまうであろう被害者の口をふさいだから。

被害者「セクハラされました」
加害者「宣伝ありがとう」

被害者「セクハラされました」
周り「どうせ炎上商法だろwwww」

こういう流れを助長しているでしょ。
セカンドレイプって分かるかい?
強者だからこそできる、愚かな行為。

当初、彼女の訴えを聞いて、自分の被害をもう一度思い出し、心を痛め、共感し、励まそうとした本当の被害者たちはたくさんいるでしょう。

性犯罪の被害者たちは顔や名前が知らなくても、強い絆で結ばれやすいです。インターネット上でもね。

私も、多くのフェミニスト(いわゆるツイフェミ)の言葉に救われ、
同じくセクハラ被害者、性犯罪被害者である人々の言葉、行動、運動に勇気づけられました。

彼らは、その絆の信用さえも崩してしまいかねない行動をした。

こんなもんが、クリエイティブだと持て囃され、良いものだとするならば、
クリエイティブ業界なんて消えてなくなったほうがいい。

YouTube、TV、SNS
これが強者が自分の持つ強者的権限を誇示するためのものならば、そんな媒体クソ同然だし、
これがメインメディアとなっている社会全体もクソだと思う。

もううんざり



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