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ボローニャ絵本原画展と表現技法

板橋区立美術館で開催中のボローニャ絵本原画展を観てきた。ここのところ、印刷とイラストレーションについて書いてきたこともあり、今回は最近の傾向を含め表現技法と技術に注目してみた。
 デジタル化が一般化し、インクジェット・プリントで仕上げた作品も多く、観ただけでは判別しにくい技法がかなりある。そこで、作品に付されているキャプションを手がかりにしてみたが、すっきり頭に入ってこないものもある。大切なのはイラストレーション表現そのものだとすれば、こだわる必要はないのかもしれないが、制作のプロセスと印刷に至る技術的な特性が表現に少なからず関与することを考えれば気になる。
 絵本のためのイラストレーションは、印刷され本になることが前提であり、歴史的にも木版や銅版、石版など版式の特性を活かしながら発展し今日に繋がってきた。パソコン・ソフトが日常的な表現ツールになっている現状では、制作や印刷のプロセスも変わってきた。表現も多彩になり独自の描法も見られるようになった。
 図録から辿ってみると、技法に「デジタルメディア」と記してある作品が78点中46点あった。6割近い作品が何らかの形でデジタル化のプロセスを経ていることになる。多くはパステルや水彩絵の具、鉛筆などで描いたものをベースにして表現を膨らませている。わずかに補正したり描き加えたりしたものから、アプリケーション・ソフトですべて描き込んだものまでデジタル化の方法も幅がある。紙に描画したものをスキャンし、ほとんど手を加えず、インクジェット・プリンターで印刷したと思われる作品もある。
 意外だったのは「デジタルメディア」とのみ表記しているのは8点だけで、全体としてもパソコンやタブレットなどのペイント系アプリケーション・ソフトを中心に描きこんだ作品はあまり見られなかった。8点の作品についても、キャプションを見なければ従来からある表現技法と見え方はあまり変わらない。デジタル・イラストレーションは、アニメーションやゲーム、雑誌などで普通に使われる手法で、もっと多くても不思議ではないが、これまでと比較しても少ない印象を受けた。選考過程で選ばれていない可能性もあるが、秀逸な作品を見出すのが難しかったのだろう。あらためて絵本のイラストレーション、原画について考えさせられた。
 年々デジタル化のプロセスを経た作品が増えてきた中で、絵本の原画やイラストレーションに対する捉え方や定義が曖昧になってきたことが反映しているのだろう。それはキャプションの表記にも表れている。分類しながら作品と技法を重ねて見ると、デジタルの表記は作者によって解釈が異なる。「水彩、ガッシュ、デジタルメディア」とあれば、紙に描いた後スキャンしパソコンで描画を加えていることが容易に想像できる。しかし、「鉛筆、デジタルメディア」では、単色の線画はそのまま生かされ、デジタル化は補正程度なのか、プリントのためのデータ化なのかわからない。
 「混合技法」という表記がある。文字通り幾つかの画材や技法の組み合わせということになるが、これも何通りかある。「混合技法(油彩、鉛筆、デジタルメディア)」のようにデジタル描画も含めて混合技法と捉えているものと、「混合技法」とのみ記したものでも、デジタル描画が加わっていると思われる作品も何点かある。作者にとっても「デジタルメディア」に対する捉え方が違っている。
 「デジタルメディア」の表記は2015年から使われていて、2014年までは「CG」が使われていた。「デジタルメディア」に変更したいきさつはわからないが、タブレット端末やスマートフォンで見るための絵本も想定してしまう。メディアの多様さとデジタル印刷を含め包括的な概念として位置づけたのかもしれないが、技法としてなら「CG」の方がまだわかりやすい。鉛筆や水彩、インクなどと併記するのであれば、「デジタル」だけでいいようにも思う。
 ちなみに、2014年版までの日本語表記は「CG」で統一されているが、作者ごとにdigital、computer graphics、digital processing、digital drawing、digital coloring、digital compositing、photoshopなど作者の申告に基づいた英訳がついている。2015年版から英訳は入っていないが、制作のプロセスを知るうえでは理解しやすい。
 最終形態もリトグラフやエッチング、木版、シルクスクリーンは表記され、リソグラフも含まれている。むしろ、インクジェット・プリントやレーザー・プリントの表記が入っていないことが不自然に思う。どちらも独自の表現特性を持っているうえ、個人から商業印刷まで幅広く使われ、身近な印刷手段になっている。版画のように構想から印刷まで一貫して関与できるメリットもある。
 パソコンやタブレットを使用することによって、さまざまな技法を複合して表現することができる、修正も容易だ。思考を重ねイメージを統合するためにも一連の繋がりがあり組み立てやすい。印刷の仕上がりもその場で確認できる。インクジェット・プリンターはデジタル表現に欠かせない存在になっている。
 デジタル表現を含め絵本のイラストレーションは、表現環境のすそ野がひろがり、それだけ出版の可能性も高まった。コンクールの応募者には作家を目指す若い人たちが多いことを考慮すれば、制作から完成に至るプロセスは、最も知りたい情報ではないだろうか。

 15年前の野間国際絵本原画コンクール審査会で、アプリケーション・ソフト、フォトショップで描いた作品が話題になったことがある。独特の質感や光の描写はデジタル表現ならではのもので、新たな展開だった。審査の過程で、コンピュータを使用しプリントした作品を原画、いわゆるオリジナル・ドローイング、ペインティングとみなすかどうかが議論になった。
 パソコンの普及によって新たな表現方法と作品が登場するのは当然の流れであり、排除の対象にならない、その絵が人に感動を与えるか否かであり、コンピュータによる秀逸な表現を見いだしていくこともこれからは求められるだろう、というのが結論だった。一方で、デジタル加工に頼りすぎ、目新しさや技巧を競う傾向が強まることも危惧された。もう一つの指摘は、そのときスズキコージさんが主張された「言葉では表現することのできない絵が持つ力の重要さ」だった。作者の身体性や筆づかいを画面から感じ取れる作品、オリジナル・ドローイング、ペインティングの魅力である。
 今年のボローニャ絵本原画展を観終えた後、もう一度松井あやかさんの「あのやしきには ゆうれいがでる」の前に立った。カラーインクによる独特の色合いと光の表現は、透明感があり、カーテンの揺らぎや光の微妙な変化さえ感じる。この空気感は直接紙に描画した作品だから感じとれるものだろう。描きこんでいく時間の経過や細やかな筆づかいと息づかいが伝わってくる。
 絵本のイラストレーションは、多様で多彩であることが魅力であり、木版やリトグラフの作品も消えることはないだろう。デジタルならではの表現も加わり、表現領域は格段にひろがった。それだけ楽しみも増えたが、この展覧会でオリジナルの描画を鑑賞できる機会があることも意義のあることだと思う。

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