4番目のかな

書きたいところだけ書いた短いやつ。 

母は私を「かなよ」と呼んだ。

小学校に上がって初めて私の戸籍上の名が(その時は「戸籍上」などという言葉では覚えなかったけれど。)加奈だと知って、先生たちに呼ばれる「加奈ちゃん」に戸惑った。配られたプリントに書く「かな」を物足りなく感じた。それほどまでに徹底して母は私を「かなよ」と呼んだし、あだ名が尊重される保育園までは私は正式に名付けられなくても問題にならなかったのだ。

 「かなよ」の理由が分かったのは中学2年生の頃だ。自分の名前の由来を英語で説明するという授業があり、小さな発表を作るために母に尋ねた。「かな」の部分が持つ理由は忘れた。私にその事実を受け入れるだけの十分な精神力、寛容性のようなものが備わったと思ったからか、母は「よ」の理由も明かしたが、それが今日まで私の心を占めてしまったのだ。

理由を掻い摘んで説明すると、私は4人目の加奈なのだ。1人目、2人目は流産し、3人目は保育器を出られなかった。私は母が授かった4人目の女の子で、かなよと呼ばれた。
これを授業で説明するのは中学2年生の時分であってもなんとなく憚られたので、単純にかなに込められた意味を説明して終わったと思う。

この理由を聞いた当時はただ茫然として、それでもあきらめず私に生を与えた母に感謝と同情すらした。しかしのちに私は私自身に選択を迫った。母が私の前に逝った3人を尊んでいるだけと解釈するか、私の人生に勝手に他者を重ねた倫理観のトんだ女だと軽蔑することの二択だ。母は私の前に、その前になくなってしまった3人のかなの面影を見て私を育て、その分の愛情を注いできたのかもしれないが、あいにく私はどのかなの人生も受け継いでいない。何に対してとは分からないが、これは不当な扱いだと思った。私の選択は後者に傾いていた。

3人の子を亡くした影響で母は私を生んだとき既に40代前半であり、私が初潮を迎えるのとほとんど同時に閉経した。母は閉経のことなど娘に伝えるのもなんだけど、ストックしてあった生理用品が無駄にならなくてよかった、などと冗談を言った。
この時は私が母に「かなよ」の理由を聞いてから数か月だったので、まだその事実に対する考えが頭を占めており、そこに、我々の体が胎児を作り出す機能を備えた/失ったという状況が重なった。不思議な偶然であった。私には、母が5人目6人目のかなを作り出す機能を永遠に失ったという証明に感じられた。ねえ、私の年下の姉たち、もうあなたたちの妹が生まれることはないよ。

そして、ああ、今だったら、このグロテスクな偶然について話しているこの機会であれば、言えるだろうか。母が無邪気にも私をナンバリングしたことについて私はずっと静かに憤っているが、子供を亡くした母の大きな悲しみと混乱の前にずっと太刀打ちができなかった。それを断罪するための経験があまりにも不足していた。それは身体的に当時の母と同じ機能を備えただけの今も変わらないが、私が今なぜそれに考えを巡らせたのかは母もわかるはず。

ねえ、そろそろかなでよくない?と短く私が言うと、
母はいたって冷静に、
そろそろって何、いいよ、そのほうが好きなら、と返した。
私の提案はあっけなく聞き入れられて、
小さいころ、その方があなたがよく返事したの、かなよのほうが。だから3人の前の子たちとなにか、ああ、こういうのはダメだね。よくないわ。まあなんでもないから。かなにしよ。かな。分かった。

この反応に私はとても満足だった。短いやり取りだったが、母は自らの感情を理解させることより先に私の提案を受け入れることを即決したし、現状に至った理由に説明しようと試み、それが自己満足に行きつくことを恐れて中断した。この時の私には、この母の感情の追跡が容易にできた。
母はただ、小さな偶然から3人の姉たちと私の連帯があると信じたかっただけで、結局私にこの素朴な空想を責める気は全く起きなかった。ここまで聞くに恐れることはなかった。満足だった。さようなら、3人の年下の姉たち。母を慰めるために、かなと呼ばれた私の耳をそっと塞いだかもしれないし、あるいはもういかなる存在も持たないかもしれない。でも確かに今日でいびつな連帯が一つ終わった。



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