Facebookでオジと揉めた話


▼プロローグ

・大学に行きたい

私は小学校の頃から漠然と大学に行きたいと思っていた。勉強もできないのになぜそんな夢を持っていたのか、ひとつのきっかけを今朝、とある人の曲を聴いたことで思い出した。

うちのばあさんは昔から週刊誌やワイドショーが好きで、芸能人のプライベート系の話題にも敏感だった。私が小学生の頃にテレビでコナンを見ている時、そのばあさんから倉木麻衣がまだ大学在学中だという話を聞いた。周りの友達のほとんどが知っているような有名な人が、大学で勉強をしながら歌手活動をしているということに驚いた記憶がある。今思えば珍しいことではないのだが、当時の私にはそれがとてもかっこよくうつった。

恐らく自分が、大学イコール東大や早慶レベルしかないと認識していたのが大きいと思う。彼女が大学の勉強とは別に英語も勉強して、自ら歌詞も書いているということも、アルファベットしか知らなかった私には雲を掴むような話だった。すごく頭のいい人で、数少ない一握りの天才のように感じたと記憶している。今思うとそこまで…いや、彼女の出身大学や偏差値がどうという話ではないし、充分名門だ。ただ今の私がその話を聞いたのとは違う印象とは違っていたと思う。その衝撃をきっかけに、私は大学へ憧れを持つようになった。

それを今朝Secret of my Heartを聴いて思い出した、というそれだけの話。エモいよねあの曲。



私が大学に行きたくなったことには、うちの家族が学歴の話が好きということも起因すると思う。
先程の話よりは少し後、小学校高学年くらいの話になるが、うちの家族は、誰々さんとこの誰々は何大学だ、俳優の誰々は何大学だ、などという話題が好きだったように思う。だからたぶん周りの友達よりも大学名を知っていたと思うし、興味があった。

また、物心のついた頃より、箱根駅伝を見るのが正月の慣例となっていて、親戚みんなで中継を見ながらそれぞれが自身の出身大学を応援している姿を目にしてきた。それが羨ましかった。
今もそうだが、私は母校愛や地元愛がとても強く、自慢したいタチだ。ただそれを認めてもらいたいとかは思っていない。偏差値低いじゃないか!なんの魅力もない田舎じゃないか!などと否定されたって別に関係ない。完全な自己満足で、いつだかnoteに書いた、推しをアピールしたいのと同じ。そういう性格なのだ。恐らく大学に関してもそうで、推し大学を作りたいと思ったのだと思う。



・大学選び

大学を選ぶにあたり、とりあえず自分の好きなことを考えてみた。野球、アイドル、祭り。ああ、祭りなら学問として成立しているんじゃないか。そういえばじいさんが行きたがってた大学にそれっぽい大学があった。さっそく資料を取り寄せ、勉強に自信がなかったので推薦入試を選び、小論文でも面接でも地元の祭りについてひたすら語った。

相変わらず勉強は一切しなかったが、祭りに関連した本をたくさん読み、推薦は推薦でそれなりに倍率が高かったものの、なんとか大学入学の夢は叶った。といっても、この頃にはもう私は絶対大学に行くだろうと思っていたし、受からなかったら困るくらいのテンションになっていた。嬉しかった。

大学にさえ入れればFランでもなんでもいいと思っていたつもりだったけど、やっぱり箱根駅伝に出るくらいの名の知れた大学がいいとはひそかに思っていた。結果的に入学したのはなかなか名門とは言い難い大学だけど、箱根駅伝にもそこそこ出るし、野球もそこそこ強いし、結果的によかったと思う。なにより、歴史が長いのが気に入っている。私は高校も城跡に建っているような伝統校を選んだけど、そういうのに弱い。いまどきそんな伝統の話をするのは時代遅れかもしれないけど、ついつい誇らしく思ってしまう。


話はそれたが、このように私は好きが高じて祭りについて学べる大学を選び、専攻し、関連する資格も取った。ゼミも祭りや民間信仰に詳しい教授を選んだし、卒論もまた地元の祭りをテーマにした。教養の話は置いておいて、専門知識については4年間でそれなりに深めることができたと思う。

この分野においての私の強みは、間違いなく生まれてから一度も欠かさず地元の祭りに参加してきたことだ。大学でどれだけ勉強しても、実際に地域で行われている祭りの深いところまでは知り得ない。逆に祭りを生きがいにしている地元の人の中で、それを学問として勉強した人も数えるほどしかいない。勉強したから偉いとかいう話ではなくて、それが私のステータスだ、ということだけ。



▼Facebookでおっさんと揉めた話

・Ep.1

先程からチラチラ話しているように、私の地元は祭りが盛んだ。といっても一般に有名な祇園祭や三社祭のように大社の例祭というわけではなく、十数社の小さな神社からそれぞれ神輿の渡御がある寄り合いの祭り。五穀豊穣を祈念して毎年2日間斎行される海の男たちの勇壮な祭りで、大声を出して走って渡御したり、神輿を投げたり海に入れたりもする。京都の厳かな祭りでも、東京の粋な祭りでもない。ローカルルールの蔓延るガラの悪い祭りだ。

他所から見たら、神様をのせている神輿をそんなに乱暴に扱うなんておかしいという指摘もある。あるだろうそれは。でもそれが伝統。他所の地域だって神輿の上に乗ったりするところもあるはずだ。

私は本に書いてある作法よりも、培ってきた伝統のほうがその地域内では正しいと思っている。それが大学に行く前も卒業したあとも変わらない私の結論だった。だから大学で学んだ作法と地域の祭りで行われていることが違っていても、それが間違いだとは一切思わなかったし、地元の人に指摘することもなかった。


・Ep.2

大学に入学した頃、地元の組合長から、地元に私と同じ志で同じ大学を卒業した人がいると聞いた。その人も同じく卒論で地元の祭りのことについて取り上げたようだが、その卒論というのが本にして出版するほどの内容で、私とは「勉強した」のレベルが違った。
私は入試の時の小論文も卒論にもその人の本を参考文献として用い、組合長から教えてもらった連絡先に御礼の連絡もした。連絡を取り合う中で、相手も田舎の少ない人数の中に同じ経歴の人間がいることが嬉しかったようで、実際に会って話がしたいなどと言われていたが、正直興味本位で大学を出た私とは温度差があると感じたし、できれば関わりたくなかった。


・Ep.3

詳しくは知らないけど、その人は隣の隣の神社の氏子の50歳くらいの人で、大学では資格を取ったわけではなかったらしく、普通の仕事をしているという。最初はメールでやり取りをしていて、その中で電話番号を聞かれ一度だけ通話した。うちの地元にしては方言もないし、暗いトーンで淡々としていて緊張感のある話し方だったように記憶している。はっきりとは覚えていないが、良い印象はなかった。

連絡を取らない期間が続き存在も忘れかけたその頃、放置していた私のFacebookに友達申請の通知が来た。Facebookなんて今時友達でやっている人もほとんどいないけど、仕事で会うおっさんたちのために残してあるアカウントだ。今回もまたおっさんからの連絡。仕事だと思って適当に済ませよう。
にしても田舎の情報網はすごいもんで、言ってもない私の今の職場まで知っていた。どこまで情報を持っているのかがわからないから適当に返すのにもなかなか骨が折れた。


・Ep.4

連絡があったのは昨年。コロナで地元の祭りが中止になったところだった。

 『お久しぶりです。〇〇大学を無事卒業して、〇〇で働いているそうですね。〇〇さんから聞きました。』

私「ご無沙汰しております。今年はおまつりがなかったのでお会いする機会がなく残念でした。また来年よろしくお願いします。」

 『神輿の渡御がないだけで、祭りはやりましたよ。神輿の渡御より神事が大事だと思うよ。』


ほんの社交辞令のつもりだった。祭り好きな地元のおっさんにはこう返すのが1番だと思った。私が悪い。以前電話で感じた第一印象を忘れるべきでなかった。私がいつも話す地元の人たちとの差を、もっと大げさに感じ取るべきだった。また、地元の人じゃなくても、普通の大人だったら適当に返事してくれると思った。そのどちらでもなかった。

この人が私と話したがっていたのはこういうことだった。地元の人間としてでなく、祭りを学問として学んだ人間として話したかったのだ。それを忘れていた。

だったらお話しましょうか。珍しく私も火が付き長文で返信した。


私「そうですか。では改めて、今年もおまつりができて本当に良かったですね。

私の”おまつり”という言葉選びが悪かったと思います。申し訳ありません。もちろん神事を斎行したことは存じ上げております。毎年やらなければならないことです。当たり前です。

しかしこの文脈であれば、神輿の渡御もしくは寄合の意味で捉えるべきではないでしょうか。ほんの挨拶程度で、そんなに難しい話をしようとしたわけではありません。”お会いする機会がなかった”という趣旨をお伝えするために、簡単に”おまつり”という言葉を選びました。

神事はできたからといって、「今年もおまつりができてよかったですね。来年もよろしくお願いします。」とは私には書けません。大学で学んだ身ですが、地元の方に「今年はおまつりできなかったね~」と言われて、「いややりましたよ。神事が大事ですから。」とは私には言えません。

それから私は、寄合も大事だと思っています。正確な祭式・作法も大切ですが、それぞれの地域でそれぞれの伝統を守っていることがなにより大切だと感じます。この地元の方々のように、頭の中に常に祭りがあること、氏子としての誇りを持つこと、それは当たり前にできることではないです。祭式作法のように、勉強したら誰でも身につけられるものではないです。私はそれが誇らしいですし、大学で勉強した今でも、この地元ではこの地元の方々の言うことが1番正しいと思っています。

神事を大切に思うのは当たり前のことで、地元の方々もそれをわかって祭りに向き合っているはずです。しかしその想いを、「大切なのは神事だ」と改めて言葉にして発さなければならないのだと、今回大変勉強になりました。感謝いたします。」


 『別に謝ることでもないよ。祭りの捉え方はいろいろあるからね。大学で同じ学問を学んだ人間として、話をしたかったけどね。』

私「私は同じ地元で祭りに関わる人間としてお話をしたかったです。長々と失礼しました。」

 『”今年もおまつりができて本当に良かったですね。” この言葉は俺に対する侮辱かな?』



ここで終わりにした。おはなしできたからむこうも満足だろう。いつもなら無視しただろうけど、日付を見たら祭りの次の日の朝5時だった。祭りと徹夜のテンションだ。まあスッキリしたので結果的にはよかった。感情的だけど後悔するようなことは言ってないし。

お互いこの先も地元にいるだろうから、不意に会ったりするかもしれない。例により情報はだだ漏れだろうし、全く関わりがなくなることはないと思う。でもこの人に嫌われたからと言って、私が地元から追い出されることはないという自信があった。なんなら私のほうが味方が多いくらいに思っていたから、強気だった。



▼エピローグ

田舎にとって敵味方の話は冗談ではない。なにかあれば本当に追放されかねない。1人で生きていけないのが田舎。関わるのは面倒だが、味方は多く持っておいたほうがいい。

だからこの地元にいる以上この地元のルールが1番正しい。地元のみんなが誇りをもっている祭りならなおのことそうだ。知識や学問でローカルルールを制したら、つまらなくなってやめてしまうかもしれない。

神棚だってそう。おそなえを毎朝あげて毎夕さげて毎日掃除するのが正しいのだろう。でもそれを億劫に思ってやめてしまうくらいなら、自分で決めた日や気の向いた時だけにして、続けていくことに重きを置いたほうが私はいいと思う。

神事も大切と言ったのは社交辞令ではない。神事だって伝統だ。ただ神事が正しくてローカルルールが間違っているというのは違うということを言いたい。田舎の祭りは人の心が離れてしまったらそこで終わりなのだから、我々の祭りに対する譲れないプライドを傷つけるもんじゃない。

ただでさえ近年は道路交通法などの問題で警察の理解を得られず、祭りをやめていった人も多くいる。やめていく人にしてみれば、伝統を継承しているのに褒められるどころか怒られるのだから気に入らないのだろう。「ああ迷惑っていうならこっちは別にいいよ。やりたくてやってるわけじゃねえんだよ。伝統なんかなくなればいいってことだろ。」って。
法律が1番守らなければならないことなのはもちろんそうだ。現代で祭りを続けていくには法律が絶対だ。ただ今のやり方は、警察がどうにかして祭りを無くそうとしているようにしか感じられない。じゃあ署内に神棚祀るなよ?初詣にも行くなよ?と言いたくなってしまう。警察だって取り締まるのが仕事だから正しいし、甘く見て欲しいとかそういうことじゃなくて。

うまく共存していけたらいいな。

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