年寄りは変化を怖がる生き物で
推しの人気が止まらない。それはファンにとって嬉しいことのはず。
人気が出る、CDが売れる、賞をもらう、大規模なコンサートができる、多くの人に認知される。それはすなわち推しの夢が叶うということ。
嬉しいことのはず。ファンならよろこばないといけないことのはず。
まるで嬉しくないかのように書いたけど、普通に嬉しい。むしろ私は売れてないと推せないから、売れてくれないと困る。そのためオーディション系はあんまり見ない。特に理由はないけどあんまり得意ではない。デビューしてから追いたい。し、有名になってくれたら嬉しい。
逆の人もいる。軌道に乗ったらもういいやってなる人。私の身近にもいたが育て屋系のファンだ。その人は本当に若手のファンになっては世に羽ばたかせ、はい次の子はい次の子とファンになっていた。子育てのような感覚なのだそうだ。親元を離れていくような。もちろん実際は子供と違うから自分のおかげで大きくなっていくわけではないのだが、そう感じるらしい。
私が推しに出会った時、彼らは既に人気があった。しかし、この1年で更に人気が出て、次々に音楽賞を受賞し、ついにはビルボードのファイナリストにもノミネートされた。
ここまで来て私はなんだか不安になってきた。嬉しくないわけではない。推しの努力が認められて嬉しい。よかったねがんばったねと心から思う。
彼らの国には不動の1位がいる。正直そこを抜かすことはしばらくの間ないだろう。数字にすると、何に関してもダブルスコア程の差がある。
その1位の存在に安心している自分がいる。
本来、ファンであれば、ダブルスコアだろうと抜かして欲しいと願うはずだ。寝る間も惜しんで投票したり布教したり必死に奔走するはずだ。
私はそれができなかった。
人気が出て欲しいと思ってきた反面、そこでいい、そのままでいい、と願っている自分がいる。
そもそも他のグループのほうが上にいるかもしれない。音楽賞やネット上のアンケートだけで2番手だと主張するのは愚かかもしれない。けど確実に近いところにはいる。それは盲目でなく明らかだと思う。でなければこんなに不安にもならない。
1位はもう世界的に有名で、グループ名は誰もが一度は耳にしたことがあるような、もはや一般常識の域にいる。うちのじいさんばあさんだって名前くらい知っている。
たぶん推しがその域に達してしまうのが怖いのかもしれない。
兵役の特例の件もそうだが、結果の良し悪しは関係なくそういうエンタメ以外の話題にまで名前があがるようになって欲しくない。気にしてなくても目に止まる存在になって、何も知らない人らにちょっとしたことでとやかく言われたり、そういう存在になっていくのが怖い。
今は1位の彼らがその役をしてくれていて、盾になってくれていると感じる。1位にならないとしても、推しがそういう存在になっていくのが不安なのだと思う。
正直最近は、その不安から今の位置すら怖くなって、若手たちもっと頑張ってくれと思うようになった。いい若手がたくさんいるじゃないかと。推しが埋もれるくらいもっと人気出てくれと。
こんなのはファンじゃない。彼らの夢を応援しなければならない。一緒によろこんであげなければならない。
いっそ不正して投票する人とかのほうがファンらしいファンなのではないかと考えたりもした。
ファンの定義は人それぞれだとどこかで言った。そうだけど。そうだけどこれは我ながらひどいと思う。自分で自分が恥ずかしい。
推しに出会った時、デビューから既に5年が経つところだった。それでもネットを遡って、曲や動画など全ての情報を得ようとした。アルバムもそれまで出ていた分全て入手した。それで追いついた気になった、というか一旦追いついたことにしておいている。
この先もっと人気が出ればもっと早いスピードでたくさん新しいものが出てくるわけで、これから彼らを好きになる人は、私が遡ったのとはくらべものにならない量を遡ることになると思う。
私だってかなりスタートが遅かったくせに、そのほんのちょっとのリーチが心の余裕になってる。
そうやって少しずつ余裕を見つけて、彼らが有名になっていく心の準備をしているのかもしれない。
今までペン卒という文化がいまいちよくわからなかったけど、こういう瞬間なのかもしれないと思ったりもした。一瞬離れてしまいそうだったけど、やはり推しは偉大だった。
偉大な推しに引き留められ、今日も私はCDを買う。
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