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誰にも頼れない誰かのサポートが出来ますように

神経を抜いた歯、詰め物がとれ、
割れて歯茎が膨れ上がっている状態。

通常ならほんともう
抜くような歯だけれど残したい。

100人いたら、100通りとは言えないけど、
いろんな考え方の人がいて、
トラブルが起きた歯に関しては、
抜くしかない、抜くなら上手く抜いて欲しい!が
大半な意見かも分からない中で
(選択肢を知らない)
出来ればどんなでも
抜きたくない、残したい、
そんな声も一部としてある。
本当に様々なんですね。

でも一般的には抜く
選択肢しかないような状態
ぐらんぐらんになり割れている歯
自分の歯のことだけど、
それをどうにか対処したい
対処のお願いをするにあたって
自分を大切にしたいのに
選ぶ余地が99%ない感じ 

改めて思ったのは
『理想とは裏腹に、生きていれば本当色々ある』ように
国境を超え様々に生きる人と状況があるように
『口の中でのドラマも人それぞれほんと様々』で、
いろんな状況というのが実際にはありますね。

もし、どんな状況でも
残したい想い願いがあった時
患者さんだけではなくて
或いは歯医者が一方的にではなくて
双方からの願いと希望が一致して
同じ方向をみていることを願う。

例えば、ぐらぐらの歯が
魔法のようにはもうならないけど、
でも残したいってきもち、よく分かる。
そのサポートが出来たらいいな。

よく思うのが、
合氣道ではないけど
(というか合氣道のことちゃんと知らないけど)
最後、相手を倒す、相手に打ち勝つとかではなく
怪我をしないように最後の最後倒れる床すれすれのところまでお互いの関係性をみながら、床に倒れるまで寄り添うみたいに
治療をしていると、そんな感覚で
その人に向き合っていると思える時があります。

神経や歯を抜くという選択も
痛みを取り去ってあげるという意味では
とても患者さん想いのこと
寄り添うことにそれもなりつつも
もしも神経を取りたくないなら、
出来るだけ最後の最後まで寄り添うように
また抜くような歯でも
トラブルを出来るだけ起こさず
共に生きられるように考えて治療をする。

それはなんか合氣道🥋
みたいなものなのかな?とか
思いつついる。

それが本当にできているかは
正直分からないけれど、
もしも普通は抜くような状況という時に
誰にも頼れない誰かの
サポートになっていますように。

今日は来て良かったと
言っていただき嬉しかったです。

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