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ユネスコ世界無形文化遺産の能楽を次の世代にも伝え続けたい 能楽師“水田雄晤“さん

650年の歴史を持つ能は、ユネスコ世界無形文化遺産に指定されるなど、日本だけでなく、世界的な舞台芸術のひとつとされています。
心筋梗塞を発症・2回の脳梗塞で寝たきりになりながらも奇跡的に復活し、後遺症と共に舞台に立ち続け、同時に能楽普及のため日本全国を駆け回り様々な活動をされている能楽師の水田さんにお話を伺いました。

■水田雄晤(みずたゆうご)さんプロフィール
能楽師 観世流能楽師シテ方
京阪神・四国を中心に舞台活動をし、並行して能楽の魅力を子供達に伝える活動・神社では子供達や一般の方々による新春の謡・仕舞の奉納活動、子供・親・祖父母の3世代による謡の稽古活動を進める。13年前に心筋梗塞発症(強烈な胸痛を訴えるも2つの病院では肋間神経痛との診断)、1年後には脳梗塞を発症(心臓に2,5cmの巨大血栓発見)、2年後2度目の脳梗塞では寝たきり、会話も出来ず言語障害・記銘障害が残る。リハビリを続け8年をかけて現在へ奇跡の復活。

記者 水田さんが能楽師として活躍されるきっかけを教えてください。

水田雄晤さん(以下、水田 敬称略)
私は内弟子修業を経て独立、翁の「千歳」能「石橋」「猩々乱」を披き、大病を患らった事で辿り着くまで随分年月が掛かりましたが、昨年の5月に能「道成寺」を披露させて頂きました。(道成寺は能楽師の大きな目標で一人前の能楽師と認められる指標にもされております。)
5月に父の十三回忌追善公演を開催、多くの方々のご協力を賜り、目怠い披露だったかと思いますが、怪我もなく無事に終える事が出来ました事は、蔭ながら私を支えてくれました多くの方々のご協力の賜物だと、この場をお借りしまして心より御礼・感謝申し上げます、有難うございました。

私が能楽師になった軌跡は「道成寺」無くしては説明出来ず、少しお付き合い下さいませ。

それは私が3~4歳の時、父親が道成寺のお稽古合わせの時に起こった大事故・大怪我で始まります。

夕方に自宅近くで遊んでいたら、ストレッチャーに乗された父と対面。
両脚の爪先から太腿までギブスに巻かれた父を見て
「お父ちゃんがミイラになっちゃった~!」と号泣。

父は鐘入り(舞台の天井に吊られた80キロほどの釣鐘の作り物の真下に入り飛び上がる瞬間に鐘が落とされる所作の事)の時のタイミングが合わず、鐘の作り物の下敷きになってしまった、と聞いております。

想像でしかありませんが、数ヶ月~数年舞台に立てず、今までのように正座も出来ず、満足なお稽古を生徒さんにつけてあげれない父が母親・姉達・私を養えたの?と本当に感服、いや驚きでしかありません。
今の私も同じ様な境涯、大病後の生活は貧窮しながらもこの道を志す気持ちは変わらず、似なくて良い所が似てしまったんだと思う事があります。

父が能楽師故に幼い頃より普通に馴れ親しみながらも、私は小学校2年生より剣道ばかりしておりました。
父は無理矢理お能のお稽古をさせず、自由奔放に育ててくれました。

そして私が高校3年の春、就職・進路相談のタイミングで父が「道成寺」に再挑戦。
「道成寺」はやはり命懸け、見所(けんしょ=客席)で父を見守る私。
小鼓とシテ(主人公・白拍子)との真剣勝負「乱拍子」、静かで重苦しい空気を打ち破る「急之舞」から一気に鐘入りをする。
無事に鐘入りをした後は薄暗い鐘の中で独り装束を脱ぎ替え般若の能面を付け、ワキ(シテに相対峙する役=道成寺住僧)の祈祷・念力で再度吊り上げられた鐘の中から蛇躰に変身、祈り伏せられない様に足掻くも最後は日高川に飛込む所作をしながら幕の内に帰って行く、その父の姿を見送った瞬時に『これは自分の子供に見せないといけない』と直感し、帰宅した父に『能楽の道に、能楽師にして下さい』と懇願しました。
父は『能の道は険しく修業を始めるには遅すぎる』と反対しましたが、私の思いは強く揺るぎませんでした。
そこから大学進学・勉強と並行し能のお稽古が始まり入門・修業・独立、そして現在に至ります。

今の私が能楽師で存在しているのは、間違いなく父の道成寺の再挑戦です。
そして、5月の公演では子供達が同じ舞台で演舞してくれて、勿論私の「道成寺」を観て応援してくれました
父から私、私から子供達に繋げて行く『能楽』。
更なる精進を続け能楽普及に尽力して参ります。

世界で一番古い歴史を持つ能楽を途切れることなく次の世代にも伝えていきたい!

記者:能楽師として一人前になるための書生時代、約10年住込み修業された水田さん。今年の5月にはご自身も道成寺の公演を成功をおさめられました。
能楽の素晴らしさを伝える活動だけでなく、脳梗塞で大変な目に合い後遺症に悩まされながらも舞台・普及活動を続け、脳梗塞発症後のリハビリで同じように苦しむ方にも自身の体験を伝え・勇気づける活動もされており、バイタリティに溢れていらっしゃいます。ぜひ、美しい時代をつくるヒントについて教えてください。

水田:能楽は室町時代より脈々と口承・口伝・伝承・相伝され、平成30年現在でも変わらず演能されている世界一長く演じ続けられている伝統芸能、ユネスコ世界無形文化遺産では『後世にも伝え遺すべき芸能』の第一号で認定されております。
しかしながら、日本での評価は『敷居が高くて難しくて高尚なもの』と敬遠されがち。
世界は日本の能楽を注目しているのに、日本人は『難しいのであまり知りません』と説明が出来ないのが現状です。
もっともっと身近な存在になる様に、次世代の子供達が馴れ親しめる機会を作り、世界と日本との温度差を縮めれる様に尽力して参ります。

日本人が留学や転勤や旅行で海外に行ったときに、能楽の事について聞かれた時に「知りません」とならないように、まずは子供たちに能を知ってもらう活動を15年以上続けております。
体験教室では子供たちの前で実際に能の演舞を見てもらい、能面体験・謡体験・仕舞体験・能で使われている楽器体験をしてもらっております。
それを続けることで、「僕、能が習いたい!」という子もいて、これからはサッカーや水泳などと同じように、習い事の中に選択肢としてお能が入ってくるようにと頑張っております。

実は、親御さんのひとつ上の世代、子供たちのおじいちゃんおばあちゃんの世代は、お能の事は知っていて実際に謡える方も数多くいます。
お孫さんが練習する姿を見て、「それ私も謡えるよ!」ということで、発表会では親子3世代で参加し、一緒に謡いを披露するという姿もありおじいちゃんおばあちゃんにも喜んで頂いています。

また、日本人は神様・仏様との繋がりを大事にしてきましたが、最近は希薄になってきていると思います。
日本の正月には「神様今年もよろしくお願いします」と家族や村・集落で新年祝いの謡を謡う文化が有ったり、死者の霊を弔い鎮魂する習わしがありました。
私は地域の神社やお寺での謡・仕舞教室にも力を入れ、また忘れられがちな震災や不慮の事故で亡くなられた方々に・空に向けて合掌・弔いの謡を謡い鎮魂させて頂いております。

子供たちが大きくなった時に、そのまた子供たちに日本が誇る美しい文化を伝えられるように、世界で一番永く演じ続けられているお能を、途切れることなく次の時代へ繋げ伝えていきたいと思っています。

記者:水田さん 今日はお話をありがとうございました!

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水田雄晤さんに関する情報はこちら↓↓
ホームページ
https://press992.wixsite.com/-mizutayugo?fbclid=IwAR1zowlBSFbqMpMaKRmUfY8UqfSeqa9W111bplMZK-hl6ArJlNjLDX2q90U

お稽古場
蕎麦処『仙酔庵』 大阪市城東区鴫野東2-27-4 
電話:06-6961-1031 水曜日定休
営業時間月曜日11時半~15時 他は11時半~15時/17時~21時

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【編集後記】

歌舞伎などの伝統芸能に比べ、敷居が高いと思われる能楽ですが、水田さんは「そんなことないんですよ!」と情熱的に、かつ分かりやすくお話してくださるので笑いが溢れる楽しい時間を過ごさせて頂きました。伝統芸能を繋ぐ熱い思いと日本の美しさを感じ魂が揺さぶられました。



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