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創作「里桜」第一部

 僕はバス停の最後尾に並び、スマホで時間を確認する。家から歩いてちょうど5分、もうすぐ来るバスに乗れば余裕で学校につく。
 スマホをポケットにしまい顔を上げると、バス停のそばにある大きな桜の木が、こっちを見下ろしていた。
 僕は桜があまり好きじゃない。一年に一度のこの時期にエネルギーを使い果たしている姿が痛々しいからだ。
 でも、その向こうに見える空は、新学期にふさわしく晴れ渡っていた。
 高校2年の2日目、今日から本格的に授業が始まる。
 僕は朝の冷たい空気を思いっきり吸い込んだ。
 ちょうど、2つ向こうの交差点を曲がってくるバスが見えた。
「・・・ぶぅー」
 あぁ、まただ。
「まぁーなぁーぶぅー」
 聞かなかったことにしよう。
 派手な音を立ててバスのドアが開く。乗り込む人の流れにそって、ステップに右足をかけた時、またアイツの声が聞こえた。
「ぶぅーちゃん!バス止めてぇ!」
 まるで呪文をかけられたように、その姿勢のまま動けなくなる。
「もう、遅刻しちゃうじゃん、早く乗ってよ」
「乗らねえのかよ」
 バスの中がざわつき始める。
 みんなの視線に負けて上げていた右足を下ろしかけた時、僕を押しのけるように、里桜(リオ)が横をすり抜けバスに飛び込んできた。
「間に合った!」
 ほかの乗客の迷惑そうな視線も全く気せず、うれしそうに僕の方に手をさしのべる。
「ぶぅちゃん、早く乗って!」
 ブーちゃんて呼ぶな!
 なんで?何でもう少し余裕をもって家を出ないんだ。
    毎日同じことを言い続けることに疲れ果てている僕は、黙って自分のリュックを棚に押し上げた。
「あっ、わたしのも」
 当たり前のようにリュックを僕に押し付け、自分はスマホのメールをチェックし始める。僕は、里桜に背をむけ窓の外をながめた。


 里桜は近所に住む幼馴染だ。母親同士が親友だから物心つく前からの付き合いだ。いっしょに撮った写真は山ほどあるが、記念すべき1枚目の写真は、猿みたいに真っ赤な顔で毛布にくるまれている里桜と、二足歩行に始めて成功した笑顔の僕とのツーショット。四月生まれの僕と、三月生まれの里桜との差が歴然としている一枚だ。
 それでも、母親たちは同級生になったと喜んでいた。
「ねぇねぇ」 
 里桜が僕の背中をつつく。
「何だよ」
「ありがとね」
 僕の肩くらいしかない里桜が、首をのばし満面の笑みで見上げる。
「いいよ」
 ムカつくことは山ほどあるけど、この素直さには勝てない。
「今年もいっしょにされちゃったね。何だか悪いねぇ」
「いいよ、別に。もう、あぁいうの、しなくていいって言ってるのに」
「ダメだよ。アレは、私たちのためじゃなくって、自分たちの楽しみでやってんだから。あのふたりは、おばあちゃんになっても絶対やるよ」
 それは、物心ついた頃から続いている里桜と僕との合同誕生日のことだ。僕の方を十日分早くして、里桜の3月27日に合わせてやる二家族合同の恒例イベントだ。
 中学生の頃は参加拒否したくて仕方なかったけど、母さんの悲しそうな顔を見るのがイヤだったのと、里桜の2つ違いの弟の達也が、すごく楽しみにしていたから参加を続けてきた。でも今となっては、反抗期真っ只中の達也が一番迷惑そうだ。

「でもまぁ、あと二回で終わりだしな」
「どういう意味?」
 里桜が不思議そうに見上げる。
 ブー、ガタン!
 停車したバスの揺れで、吊革につかまっていなかった里桜が思いっきり僕にぶつかる。
「痛ってぇ、ちゃんとつかまってろ!」
「だって、届かないんだもーん」
「届くだろ、小学生じゃあるまいし」
「へへっ、あっ、お先ぃ」
 笑ってごまかして、里桜が前の空いた席に座る。
 小学生のころ、一度だけ身長が追い付かれそうになったことがある。六年の時の身体測定で、僕たちの身長差はわずか3センチ。追い越されるのだけは絶対いやで、毎日牛乳をがぶ飲みした。そのおかげか、それともそんな時期だったのか、中学三年間で20センチの差をつけることができた。

 自分のリュックを棚から下ろして後ろの方の空いた席に座る。座ったとたんピンポンとラインの音が鳴る。ポケットからスマホを取り出し開いてみると里桜からだった。
「もしかして、大学、県外行くつもり?」
 ふーっと小さくため息をついて返信する。
「たぶん」
 いきなり振り向いた里桜が勢いよく立ち上がり、僕の隣にどさっと座る。
「他にも席空いてるだろうが」
「いいじゃん、となりでも。ねえ、もう決めたの?どこ?」
「だから、たぶんって言っただろ」
「県外行って、ひとりでご飯とかどうすんのよ」
 背は小さいくせに、態度も声もデカイ里桜。回りの人たちがクスクス笑う。
「そんなこと、誰だってやってるよ」
 小さい頃はかわいい妹みたいだったのに、最近はやたらと姉のような口のききかたをする。母親2号みたいになるのは女子の習性か。
「決まったら一番に教えてよね」
 ツンとした表情で里桜が言う。
「なんで?」
「何でって・・・当たり前でしょ、一番なんだから」
 ピシッと僕の膝をたたいた。
「痛っ!」
 何が一番なんだよ。ワケわかんねぇ。
 叩かれた膝をさすりながら窓の外を眺める。バスが学校のグランドのフェンス沿いに進む。校庭に一列に並ぶ桜並木は見事だが、すぐに散ってしまう桜はやっぱり悲しすぎる。
 となりで大きなあくびをしている里桜。同じ桜でも、散りゆく桜とじゃ雲泥の差だ。
    そんなことを考えていたら、新学期の緊張感もどこかへ吹っ飛んで自然とほほがゆるむ。
 バスが校門のそばで停まった。
 パシッ!
「痛ってぇ!おなじとこばっか叩くなって」
「なに一人でにやけてるの?降りるよ。リュックとって」
 ホント、人使いのあらいヤツだ。
「あっ、詩織ちゃんだ」
「だれ?」
「昨日、友達になったんだ。ぶぅちゃん、先いくね!」
 バスからあわてて飛び降りて行った里桜が、歩いていたクラスメートらしい女の子を追いかけて行く。
 そっか、もう友達できたんだ。人見知りが激しかった僕とは正反対で、里桜は誰とでもすぐに仲良くなった。そんな里桜がうらやましかった。


 新学期が始まって2週間、いきなり週明けにテストなんて有り得ない。それも苦手な英語。英語なんて卒業して本当に役に立つのか。必要性に納得していないせいか全く頭に入ってこない。
 せめて単語だけでも覚えようと、帰りのバスを一つ手前で降りた。歩きながら覚えると効果的だとどこかで聞いた気がする。ホントかどうかは定かじゃないけど。
 僕はバス通りからそれて畑の中を真っ直ぐ伸びる一本道を進む。車も滅多に通らない小学校の時の通学路だ。ブツブツ言いながら歩いてみても、苦手なものは、やっぱり頭を素通りしていく。
「まぁーなぁーぶぅー」
 うん?
「ぶぅちゃんてば……こっち!」
 里桜だ。何べん言ったらわかるんだ。ブーちゃんって呼ぶな!
 あっ、いた。
 畑の真ん中でうれしそうに手を振っている里桜を見つけた。となりで腰を伸ばすように一緒に手を振っているのは中山のおばあちゃんだ。80歳をこえても颯爽と軽トラを乗りこなしている元気なおばあちゃん。少し先の農道にいつもの軽トラが止まっている。


「おばあちゃんからミニチュアの大根もらったんだよ。ほら、かわいい!」
 世の中の女子が事あるごとにカワイイを連発するのは余り好きじゃない。それにしても、同じ女子でもこんなにこの言葉が似合わないヤツも珍しい。
「里桜ちゃん、そりゃあ二十日大根いうもんや」
「はつか大根?」
「そうや。サラダでも食べれるけど、お漬物にしても美味しいんやぞ。学ちゃんもお母さんに持ってってあげまっし」
 高校生になってマナブちゃんは、ちょっと恥ずかしい。でも中山のおばあちゃんにとったら、僕たちはいつまでたっても小学生のまんまなんだ。
「うん、ありがと」
「学ちゃん、助手席にナイロンの袋あっから取ってきてくれっか」
「うん」
 中山のおばあちゃんは、僕たちと血がつながっているワケじゃない。
 小学四年生の時の学校の帰り道、雷に驚いて一本の傘の中で動けなくなっていた僕たちを、家まで送り届けてくれたのがきっかけで仲良くなった。
 もちろん、その一本の傘は僕のだ。里桜は朝持って出た傘をご丁寧に学校に忘れた。
 

 軽トラの助手席のドアを開け、竹かごからナイロンの袋を取り出す。あの頃の僕たちは、この助手席に二人一緒に座れたんだ。
 あれから5、6年しか経っていないのに、すごく昔のような気がする。
「おばあちゃん、これでいい?」
「あぁ、ありがとねぇ」
 おばあちゃんが腰を伸ばして僕を見上げる。
「学ちゃん、久しぶりに会うたら、ようけ背ぇ伸びたんやねぇ」
「ガリンチョの電信柱、みたいだよね」
 おばあちゃんの隣でしゃがんでいた里桜が、下を向いたままつぶやく。
「おまえこそ。ずっとバスケ続けてるわりには、伸びないよなぁ」
 しゃがんだままの里桜の肩がビクッと動いた気がした。
「学校の桜だって、もうちょっと成長してんじゃないか」
「・・・」
 おい、どうした。言い返さないのか?いつもの元気はどこ行ったんだ。
「里桜ちゃん、ほら立ってみ」
 おばあちゃんが、里桜の手をとり立たせる。
「里桜ちゃんもこんなに大きゅうなって。おばあちゃんは、縮んでいくばっかしやわ」
 おばあちゃんが里桜と並んでみせ「ほら」と背伸びをし、豪快に笑う。
 それにつられて、里桜がやっと笑顔になる。
 そう言えば、小学校の時に初めて会ったおばあちゃんは、僕たちより背も高かったし、腰も曲がっていなかった。
「おばあちゃん、これ荷台に置けばいい?」
 僕は野菜の入ったコンテナを軽トラまで運んだ。
 あの頃は、このコンテナを里桜と二人でやっと持ち上げた。反対におばあちゃんは、一人でひょいと軽々運んで積み上げていた。
 1日1日の差は目に見えないものだけど、5年の時間の流れが僕たちを変えていく。5年後、僕はどこで何をしているんだろう。


「まなぶ!」
 里桜の声に飛び上がりそうになる。
「そんなに近くで大声出すな!」
 わざと忍び足で近づいてきた里桜が
「だって、ぶぅちゃん、またボーっとしてんだもん。作戦成功!」
と言って指でVの字を作った。
「良かった」
「えっ、なにが?」
「里桜なんか今日元気なかったから、なんかあったのかと思った。あぁ心配して損した!」
 僕の声が聞こえないワケがないのに、里桜が無理やり話を変える。
「ねぇ、何で今日ここ歩いてたの?」
「あぁ、週明け英語のテストがあるんだ。歩きながら単語覚えようかなって。っていうか、お前だって西出先生だからあるんじゃねぇの、テスト?」
「あるよ、でもまだ2日あるし」
「もう2日しかないって言うんだ、それは」
「だいじょうぶ。日曜にガーッて覚えちゃうし」
「ガーッてか?」
「うん」
 相変わらずのんきなヤツだ。
 そう言えば、高校受験の時も、無理じゃないかって言う先生の意見を無視して、ギリギリに僕と同じ学校に照準を合わせてきたんだった。何だか、ロックオンされて撃ち落される気分になったのを思い出した。
「里桜は、ここよく通るの?」
「わたしは、おばあちゃんに会いたくなったからだよ」
「そっか」
 何で?と聞きそうになった。でもやめた。会いたい人に会うのに、理由なんて必要ないもんな。

 畑の道具を全部軽トラの荷台に乗せ終わると、おばあちゃんが「そうや」と振り向いた。
「里桜ちゃん、もうちょっと時間ええか」
「うん」
 おばあちゃんが、里桜の手を引いて道路の反対側へ続くあぜ道をスタスタと歩いていく。相変わらず足腰はしっかりしていて小股なのにやたらと早い。わけも分からず僕も黙ってついていく。
「どこ行くの、おばあちゃん」
 手をつないだまま、おばあちゃんが話す。
「さっき里桜ちゃん、桜がかわいそうな木やって。桜って字がついとる自分の名前も嫌いやって言うたやろ」
「う、うん」
 えっ、里桜が? 
 あぜ道の十字路で止まったおばあちゃんが、山の方を指さす。
「里桜ちゃん、あの団地の手前辺りに、小高い丘みたいになっとるとこあるやろうが」
「うん」
「木が一本だけあるんが見えるか?」
「ああ、あった!あれだ」
 先に見つけた僕が、おばあちゃんと同じ方角に手を伸ばす。
 周りの畑を見下ろすように、どっしりとした大きな木が一本見えた。
 里桜が背伸びして確かめる。
「あった」
「もう、花は散ってしもうたけど、あれは桜の木なんや」
「・・・」
 桜から目をそらすように下を向いてしまった里桜。
「あの桜はなぁ、わたしら畑しとるもんには、無くてはならんもんなんや」
「サクラが?」
 そう聞いたのは僕で、里桜はいつの間にかうつむいて両手を握りしめている。
「あの桜はなぁ、芽吹く頃には畑の準備せんなんとか、花が咲く頃にはジャガイモ植えんなんぞぉって、いろんな事を教えてくれとるんや」
 うつむいたままの里桜がゆっくり息を吐くのがわかった。
「咲いてる時期は短いかもしれんけど、どっしりと大地に根をはって、冬の寒さに耐えて、わたしらに色んな大切なことを教えてくれとる。里の桜は、そんなやわな花とは違うんよ。里桜ちゃん、ええ名前付けてもろたんやなぁ」
 やっと顔を上げた里桜の目が真っ赤だった。
 えっ、マジか!何で?
 おばあちゃんが、里桜の背中を何度も力強くさする。
「さっ、冷えてきたから、はよ帰らんと。引き留めて悪かったなぁ。そや、軽トラで家まで送ってあげるわ」
 先にさっさと軽トラまで戻ったおばあちゃんが、助手席を片付け始めている。顔をまっすぐに見られない僕は、同じ歩調で里桜のとなりを歩く。
「ほら、二人とも乗りまっし」
「おばあちゃん、さすがに3人は無理だよ。パトカーに捕まるって」
 僕の言葉におばあちゃんが真面目に答える。
「あら、そうかね。昔は、よう3人で乗ったんにねぇ」
 里桜の方を見ないようにして、僕は付け足した。
「里桜だけ、送ってもらえば」
 大きく息をすった里桜が「いいよ」精いっぱい元気な声を出した。
「今日はブーちゃんと帰ってあげるよ」
「いらねぇよ」
「遠慮しなくていいよ。ブーちゃん」
「ブーちゃんって何度もいうな!」
 勢いでやっと里桜の顔を、まともに見ることができた。
 帰り道、音程のちょっと外れた歌を歌いながら、スキップをしながら少し前を行く里桜には、涙のかけらさえ感じなかった。
 それが余計に、僕の心にどこかに引っかかった。


 玄関で履きなれたスニーカーに足を入れる。ひもを結び直し立ち上がる。
 げた箱の上のスペースに母さんが作ったタペストリーが飾られている。大き目のカレンダーくらいの布地の中で3匹の鯉のぼりが泳いでいる。
「もう、5月かぁ」
 小さい頃は、おじいちゃんが買ってくれたという本物の鯉のぼりが庭に立てられていたが、さすがに中学に上がる頃には、おじいちゃんの気持ちだぞと言い続けていた父さんも諦めた。
「行ってきまぁす」
「あぁ、学。里桜ちゃん今日も休みだって」
「ふぅーん、風邪?」
「らしいけど。早くよくなるといいね」
「そうだね」
 玄関のドアを開けながらもう一度言う。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
 優しい笑顔で小さく手をふる母さん。
 里桜に言われたことがある。学って反抗期なかったねって。でも、あんな風なふわふわした感じの母さんじゃ反抗のしようがない。
 

 一週間過ぎても、朝のバスを止めさせようとする里桜の大きな声は聞こえることがなかった。
 父さんが残業で遅くなると連絡があった夜、母さんと二人だけの夕食のテーブルに着いた僕は、母さんに聞いてみた。
「ちょっと、長すぎるんじゃない?」
「え、何が?」
 母さんが箸を持ったまま首をかしげる。
「里桜のこと」
 名前を行った途端、母さんの顔がくもる。
「そうだね」
 母さんのはっきりしない態度に僕の想像はどんどん悪い方に傾いていく。
「本当に、風邪?」
「そう、らしいんだけど、ね」
 母さんが箸を置いて大きなため息をつく。
「何か、隠してる?」
「えっ?」
 僕も箸を置いて母さんの次の言葉を待つ。
「隠しているわけじゃないけど、和希もどうしていいか、わかんないのよ」
 和希は母さんの親友、里桜のお母さんだ。
「相談しようと思っても、ご主人は単身赴任だし」
 里桜の病気ってそんなに悪いのか?
「どこに入院してるの?」
「えっ、入院?」
 母さんが驚いて僕の顔を見つめる。そしてぽつんとつぶやく。
「入院はしてないんだけどね」
「じゃあいったい何なの?」
 大きなため息を一つつくと、母さんが話し始めた。
「病気、ではないんだけどね。あんなに元気な里桜ちゃんが、部屋にこもったっきりで、食事もほとんど取ってないらしくって」
「えっ、何!アイツまさか登校拒否してんの?」
 自分の勘違いに安堵した分、余計に腹がたった。
「・・ったく、何やってんだ、アイツ!」


 翌日、学校から帰ると、台所の方から香ばしいいい匂いが漂ってきた。
「ただいま」
「あ、おかえり。ちょうど良かった。これ、里桜ちゃんとこ届けてくれない?」
 母さんがお重箱に詰めていたのは、タケノコご飯だった。それとは別に小さなお結びが3つ皿に並べられていた。
「うまそう!」
 手を出そうとした瞬間「だめ」と止められた。
「それは、里桜ちゃんの。和希には夕飯にってメールしてあるから。ただ、里桜ちゃんが鍵開けてくれるかは、あなたの努力しだいね」
「えっ、何それ?」
「玄関の前に放置しないでよ」
「はぁ」
 大きなため息が出た。
「そのタケノコ、中山のおばあちゃんが、わざわざ届けてくださったのよ」
「おばあちゃんが?」
「そう。はい、じゃあ、がんばって」
 僕は母さんからお重箱と、小さなお結びが入った籠を渡された。

 コツン・・
 さっき拾い集めた松ぼっくりを、里桜の部屋の窓めがけて投げる。
 携帯は切られているし、玄関のチャイムは何度押しても反応がない。
 松ぼっくりなら山ほどある。根気なら里桜には負けない自信がある。僕は5個目の松ぼっくりを投げる。
 6個、7個、・・・・
「何だよ。聞こえてるんだろ!」
 思わず怒鳴ってしまって辺りを見回した。二軒先の庭にいたおばさんがビックリした様子で立ち上がった。
「す、すいません」
 小さな声であやまると、おばさんは怪訝そうな顔でひとにらみして、家の中に入って行った。
「もう、いい加減に、出てきてくれよ。うん?」
 最後の松ぼっくりを投げようと2階の窓を見上げた時、2階の窓がほんの少し開いているのが見えた。
「里桜っ」
 小さな声で呼んでみたが聞こえるはずがない。でも大声を出すと今度は通報されそうだ。
「よし、おれのコントロール見せてやる」
 コツン!
 松ぼっくりは窓枠に当たると、むなしい音をたてて足元に戻って来た。
 ガチャリ
 玄関のドアがちょっとだけ開いた。
「里桜!」
 慌てて荷物を拾い上げ玄関に向かう。パーカーの帽子をすっぽりかぶってうつむいているからか、顔が全く見えない。
「・・・」
「えっ?」
 ボソッとつぶやいた里桜の声が聞こえなかった。
「なに?聞こえないって」
「へたっぴ・・・」
「うっせいな」
 ちょっと大きな声を出しただけで、里桜がビクッと肩をすくめる。
「おっ、そうだ。タケノコご飯持ってきた。中山のおばあちゃんが持ってきてくれたタケノコなんだぞ」
「・・・」
 下を向いたまま、里桜がほんの少しうなずく。
 何か言わないと。そう思ってもなかなか次の言葉が出てこない。つばを飲み込む音まで自分の耳に聞こえそうだ。
「上がっていいか」
 返事を待たずに上がり込む。勝手知ったる里桜の家だ。小学生のお使いじゃないんだから、このままのこのこ帰るわけにはいかない。
 ソファに腰掛けようとした僕をほったらかして、二階の自分の部屋へ行こうとする里桜の手を、あわててつかむ。
「手、はなして」
「いやだ」
「痛い」
 つかんだ自分の手に思った以上に力が入っていたことに気がつく。
「ごめん」
 ゆっくり放すとあきらめたように、里桜が階段の途中に座り込み、さらに深くパーカーをかぶりなおす。
「どうしたんだよ」
 返ってこない返事を諦めて、廊下に胡坐をかいて座る。
「おれじゃ頼りないかも知れないけど、話すと楽になるって、何かで読んだけど」
「・・・」
 言葉にできない息を苦しそうに吐き出す里桜の呼吸だけが聞こえる。
「おれが、女だったら良かったのな。女同士なら何でも話せただろうし」
 ふぅっと里桜のため息が聞こえた。
「あっ、今想像してわらっただろ」
「・・・ない」
「えっ?」
「笑ってない」
 小さいけど、やっと里桜の声が聞こえた。
「ここ、笑うとこだぞ。想像してみろ、おれがカツラかぶってスカート履いてるんだぞ」
「しないよ。まなぶは、そんな、こと」
「そうだなぁ、やっぱり、オレには無理だよなぁ・・・」
 うつむいたまま動かなくなった里桜の頭のてっ辺をしばらく黙って見つめていた。
「そうだ。お結び食べろ。母さんが里桜の分だって握ったんだから、おれ見届けるまで帰れないんだ」
 母さんが用意した籠の中にはお茶とおしぼりまで入っていた。
「ほら、手ふいて」
 手渡したおしぼりで素直に手をふいた里桜に、お結びを一個取り出して渡す。
 ラップをゆっくりを開いた里桜が、深呼吸してからお結びに口をつけた。
「どうだ?」
 こくんとうなずいた里桜が小さな声で言った。
「・・・おいしい」
「だろ」
 ホッとしたのと同時にお腹がグーっと音をたてた。
「学も、食べたら」
「ダメだって。さっきつまみ食いしようとして母さんに阻止された。里桜が全部食べて、その籠持って帰らないと、うち入れてもらえねえかもな」
 かすかに笑った里桜が次のひとくちをほおばる。
「ゆっくりでいいから」
 うなずき食べ続ける里桜の手がかすかにふるえている。
 あんなに元気だった里桜に、いったい何があったんだ。
「おばあちゃんの畑、よく行ってたんだって?」
 ほんの少しうなずいた里桜が、鼻をすする。
「おばあちゃん、心配してたって。急に来なくなったから」
 涙がポツンとお結びを持った里桜の手に落ちる。
「おれの前で、我慢しなくていいんだぞ」
 そう言ったとたん、里桜が声をあげて泣き出した。 
 小学校に上がったばかりの頃、二人だけで出かけた公園で思いっきり転んでしまった時と同じ泣き方だった。
 あわててリビングまで取りに行ったティッシュと、里桜が手に持っているお結びと交換する。何枚も抜き取り思いっきりビーっと鼻をかむ。そして、仕切りなおしたみたいに、またしゃくり上げ泣き続ける。
 僕にできることと言えば、里桜が泣き止むまで、そばにいることだけだった。




 



 
 


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