ぜんぜん有名人の幼馴染として度々インタビューの話題にだけ登場する人になりたかった

こんにちは。冬物と夏物をようやく整理しました。個人的にはまだロンTとかでいける気がするが、そんな中途半端な物は基本的に買わないので大汗かきながらパーカーを着ている日々。辛うじて暑い季節。朝は寒い。と言っていたら夏終わった。長い冬が、ひとりの冬が、始まる、、、。
夏物、というと爽やかそうだが、爽やかな白TよりもメタルバンドのTシャツの方が遥かに多いし、それは冬でもライブの時は着ている。ダサいけど同じ趣味の人の集まりでしか登場しないので気にならない。部屋着としても優秀である。よく着ているのはIN FLAMESの非メロデス期のやつ。

先述の衣類大整理大会を深夜に実施したところ、多趣味な文化人なので様々なものを発見した。以下に面白かったものを示す。

藤浪のレプリカユニフォーム(黒地に白縞のビジター、2015とかか?)
イチローのTシャツ(ブルーウェーブ時代のデザイン)
内川聖一のマフラータオル(2009頃?)
渡邉理佐のマフラータオル(二人セゾン、卒コン)
渡邉理佐の卒コンTシャツ

これらをジャージ等スポーツ関連のフロアから発掘し、一通り爆笑した後に世の中の移り変わりを感じて苦しくなった。藤浪は海外に渡り、イチローは引退し、ベイスターズは球団名にDeNAが入った。そして理佐(さん)はアイドルではなくなった。好きな場所にいた好きなものたちが、別の場所で頑張っているのを見ると、嬉しい傍ら一抹の寂しさがある。僕のジレンマはもう見れないのか。苦しい。ぼくはいつだって渡邉理佐の卒コンを見てセンチメンタルユニバースを構築している。なんだそれ。
振り返れば、これらに限らず、多くの概念を見送ってきた気がする。解散したバンド、潰れた地元の飲食店、とか。レポートが終わらないときに「始まれば、終わる」と言って作業を進めているが、その通りなのである。形を持つものはすべて滅びへと向かっている。人の縁や感情、ストレス反応など、形のない概念ですら芽生えた瞬間から消滅にゆっくりと近づいていく。諸行無常の世界で、誰もそのままでいることはできない。変化し続け、時に消えていくことを受け容れなければ、苦しいだけかもしれない。好きなものがなくなる経験は、程度がどうあれ誰しも経験する。どのように受容し、再建していくことができるのか。

わかんないよね~~~~~~~~~。生きていくのって大変ですね。

推しは推せる時に推せと言うが、別に何かを応援できなくなることって自己都合だろと思っている。直接応援を届けることができなくなっても、応援できなくなるわけではない。むしろ高校の同期に「あいつ元気してるかな」とふと思うような感覚で想うことができる。なんで俺は高校の同級生のLINEを有していないんだ?ただの友達への連絡できなさが引退した著名人と同等なのヤバすぎるだろ。
おれたちが忘れない限り、見えなくてもみんなそこにいるんだよ的な。ぼくはこれを「人を情緒的に再配置する」と表現している。

つまりぼくは今、早川聖来を高校の同期だと錯覚している。


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