安寧 全身全霊 道のりは既に短く

人間は人間関係の中で生きておりますね。同じモノは(多分)2つ以上同時に存在しない人類が1人で生きていけないの、致命的なバグだと思います。コミュニケーションが必須の生涯……。

僕はコミュニケーション能力が全くと言っていいほどない。コミュニケーションは呪い、あるいは毒だと思っている。誰かから言われた言葉がずっと引っかかっていること、ありませんか?アイデンティティを形成する上で他者からの何気ない一言がなんかに影響してる人、少なからずいると思います。あるいはそういった言葉がフラッシュバックして苦しむ人々。自分がそうなってしまうのが怖くて、でもそれ以上に誰かの心に毒を盛るのが嫌で、なんとなく他者と関わることを避けたがる。ほぼ親密性回避みたいだね。
こういうのは考えすぎる人の思考なのかもしれない(考えすぎて何が悪い?!本当のこと言って何が悪いんだ😭)が、やはり尊大な羞恥心と臆病な自尊心を抱えるわたしは誰も寄り付かぬ山で一匹の虎として生を全うすべきだったのかもしれない。ミスったな。

ここまでコミュニケーションの毒と呪いの話をしました。したんです。しかし、毒は薬で、呪いはおまじないです。コミュニケーションまだやれます。やらせてください。言葉は容易に誰かを傷つけるが、時として人を救うかもしれない。呪いてェ。俺の貧相なボキャブラリーで、お前を。
誰かの人生において自分の存在が染み込んで、たまに思い出して、穏やかな気持ちになれるなら。それはきっと幸せな呪いだと思う。
だから今日も僕は穏やかに狂い、誰かの記憶に染み込んでいく。俺は生霊で神主で薬師だから。取り憑き、呪い、癒やします。頑張らせてください。

ここまで書いて、やはり愛とは互いを幸せに呪う行為であると思った。恋は燃える氷河を泳ぐような、苦しさと激しさを主とする感情(だよな…?)ですが、愛は穏やかで、互いに溶け出す呪いは相手を守るおまじないとして機能していく。というかそうであってくれ。じゃないと俺は狂っちまう。

早く信頼関係を前提とする穏やかな交際関係による安寧を得たい。特定の民事契約に基づいて呪いたい。呪われたい。(訳:ウワ 結婚してぇ~~~~~)




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