ギガ使い放題とかどうでもいいから、愛の伝え放題プランを用意しろ
こんにちは。わたくしです。授業等で忙しく、ギターを触れない1週間の間にメンタルが破壊されました。同級生にもらったお菓子を食べて泣いたり、ランニングと筋トレの記録データが飛んで泣いたり。と思えばポケ~と空を眺めたり。いやこの時間でギター弾けたな。
という具合に、あまりにも精神の安定を音楽に求めていたことを実感しました。友達少ないし、しょうがないね。
近況報告です。何を聴いているか、何を考えているか。メッセージ性の強い歌詞に自我が共鳴したり、あるいは言葉から抜け出した音に意味を与えたり。もしくは純粋に音の塊を楽しんだり。広がった脳内を整理してみます。歌詞部分は太字で抜いとくので、僕がどこからその思考にたどり着いたかも、合わせて整理させてください。
View From The Soyuz - Ättestupa
VFTSの語彙が刺さってしまう人性になりました。知る由もない感情が頭の中を駆け巡ったり、強欲と知性を天秤にかけてみたり。特に後者ですね。
性被害関係の論文を読む過程で、被害者が愛を求める一方で愛される不安を抱えるアンビバレンスが指摘されているものを見ました。その方は交際相手に身体的接触をさせない合意を経て、恋人に「神」の機能を要求していました。なるほど合理的である。
同意の一方で、どこかそうした話題に対して冷静な視点で観察できるのは恐らく自分の男性性が影響しているなと俯瞰してしまった。若い男(主語デカ❗️悪い❗️❗️)に見られがちな、性への刹那的な関心を尽く排したい俺なのに、そうした男性に傷つけられた異性の内的世界にほんとうの意味でアクセスすることはできない。結局のところ俺はひとりの男に過ぎず、如何に知性と理性を以て取り繕おうとその事実は揺るがない。残された身体が醜い。しかし俺は茨の道を征く。この先も己と戦い続けたいと思います。
ちなみにÄttestupaは北欧伝承における棄老の断崖のことで、恐らくこうした視点で描かれたものではないと思うが、僕は自身の文脈を基にこのような受け止め方をしました。解釈は自由。
swancry - 花
swancryの花とイノセントを相当聴いている。花について話すか。この曲において「花」の概念は某MAPのあの曲と同じものと認識していただきたいが、それに対する認識は真逆である。「世界に一つだけと言えるはずもなかった」「ああ、こんなにも平凡だ きみの目には留まらない」等。花のリアルとはそんなものである。無性生殖によって生まれる命の個性とは何か。花が育つのは環境で、遺伝子の条件は限りなく等しい。人間の才能だって大したものではないかもしれない。特に同じ民族であれば能力差なんて大差なく、本来みんな平凡からスタートしていたのかもしれない。努力できないのも素質の問題と言われるだろうが、痛みを増やすなら眠っていたい。
僕は自分を極めて平凡な人間だと思っている。先の不透明な現実に立ち向かう気力はなく、傷つくことを恐れて自己を開いては閉じる、何もできやしない。そんなんじゃ何も得られないとわかりきっているのに諦めだけつかない。swancryは、そんな平々凡々な人間という存在を受容しつつ、それでも心の中に眠る意思を世界に示せと叫ぶ。
人と関わるうえで、極端に誰かを呪い、呪われることを恐れる僕は、「期待しない・好きにならない・嫌われる」のネガティブ三原則を標榜して生きてきた。しかし、振り返れば人生においてそこまで禍根を残した他者など…結構いた。しかし、いつも顔を合わせる彼ら彼女らは、平凡で無力な自分を受け容れてくれる気がした。多少、自分の心を打ち明けられる勇気をもらった。
cetow - May-Shin
何がMayで何がShinで何がMay-Shinなのかはさっぱりわからない。どうやって曲名決めてんねん。
cetowというバンドは非常にtwinkle-emoの文脈を汲んだバンドであり、繊細に紡がれた感情を徐々に拡大させていくことが特徴だと思っている。言葉による音楽表現を脱するとともに、A→B→サビのような典型的な楽曲の構成からも脱却したインストバンドでは、メインのフレーズをどのように扱うかが重要となる。cetowはその辺が上手い。かなり序盤で登場したフレーズが、ほとんど形を変えることなく、しかし毎度色を変えてに何度も登場する。リズム楽器の高揚や単純なダイナミクスも影響していると思うが、ひとつの感情を大切に育てているような感覚がある。
楽曲レビューっぽくなってしまったが、根っこが変わらないというのはいいことだな、と思った。周りの友人は皆尊敬できる人で、みんながみんな自分の基盤を持っており、それが安定している。僕も何か根っことなるような感情を探してみたが、好きな人に襲いかかる外患すべてを跳ね除けたい ということぐらいしかなかった。あまりにも曖昧。しかもよくブレている。わけがわからん。もう少し自己内対話が必要ですね。
Bullet For My Valentine - Waking The Demon
emoの文脈を踏襲したメタルコアバンドはいじめの描写を扱う楽曲とMVを出さないといけない法律とかあるんか?どうすることもできない環境下で、やり場のない怒りと悲しみに苦しむ様子が描かれる。
サビが強烈に刺さる。微睡みから覚めたくない(Don't wake me from this slumber, ≒現実に向き合いたくない)、傍にいてほしい(Stay with me)。痛みを伴うほどに純粋な願望が押し寄せてくる。Mattの声が叙情的に突き刺さり、優しく包み込むようなアルペジオに救いを求めてしまう。1人で生きることに慣れた一方で常に他人とのかかわりに渇いた木の棒の中に、悪魔が目覚めるのも時間の問題かもしれない。
ひとひら - 風船
「悲しいことに振り向く暇がない」「人には人の地獄があるでしょう もう咎めないで」M1になり、あまりの忙しさに毎日分離しては沈んでいく意識の破片を心の皿に多数確認しています。日常だっていいことばかりではないが、悲しいことを悲しいと受け止める前に明日が始まってしまう。自分の苦しみに向き合えない人間が他者の悲しみと向き合えるのだろうか。苦しいですね。
心理学を学びに来る人にはそれぞれ心理学に救いを求めた背景があると思っていて、そのすべてが平等に地獄だと思っている。その地獄に対し、外から「それは違う」と言われることはその人を最も苦しめるものだと思っています。地獄が語られた際には、どうか否定せず受け容れてください。あなたの世界ではなく、その人の世界に立って話を聞いてください。
「つくる」はコンセプトアルバムだと認識しています。「つくる」から始まったすべての曲が連綿と続き、「こわす」ことで一つの作品として完成する。どこまで計算していたのかしら。僕は風船が歌詞メロどちらを取っても一番好きです。最後の「その風に乗って私と逃げ出そう」というフレーズ。地獄に生きる風船に囁く一陣の風になろうかしら。
Hibria - Tiger Punch
Tiger Punch!!!!これまで真面目に歌詞に感銘を受けてきた話とかしてますが、音楽ってのは別に感傷に寄り添うだけのものではないです。ときにはこちらが猛ダッシュしても追いつかないようなエネルギーで駆け抜ける熱に当てられるのも良いでしょう。ランニングのときに流すとめちゃくちゃ足速くなるのでおすすめです。この前1キロタイムが3分を切りました。このまま水平線を斬る一筋の光になってやろうかな。
ちなみにブラジルのバンドなので(?)滅茶苦茶なかっこいいサンバって感じです。ジャケット鬼ダサいけど。歌詞もダサい。というか光の速さでパンチを繰り出す虎の話しかしていない。虎なのに空の王者だし。サメ映画みたいな世界観だ。
Protest The Hero - C'est La Vie
フランス語で「なるようになるさ」みたいなニュアンスの慣用句(らしい)。直訳では「それが人生」らしいけど。諦念を含んだネガティブな楽観的思考。僕の思考にも似ているかもしれない。おれってフランス人?
MVを見れば察する方もいるだろうが、これは自殺の歌でありながら生きるための歌です。前半はかなりカオティックなバンドの音楽性が現れているが、躁的なものを感じる。一方で落としからラストにかけてはドラマチックに展開され、なるようになるさ、生きれるだけ生きなよと訴える。
死ぬことは存外簡単(He briefly made a news)で、しかし運命を自分で決める代償は限りなく大きい(Oh, what a price to pay, to be a author of your fate)。そんな状況でありながら、関係ない他者にとって一人の自殺というものはただの情報として認識されるくらいである(made the trains run fifteen minutes late)。15分の電車遅延の代償に捧げなければならない代償がデカすぎる。
なるようになるさ。死ぬときは死ぬ。ということ。病気かもしれないし、温暖化による日本沈没かもしれない。そうした皆を「殺す」運命は放っといてもそのうち来る。皆死んでしまうまで、生きる歌を歌い続けよう。
Lop Abuse On Somebody - 001
申し訳ないのですが、皆さん。この曲だけはMVを見てください。貼っとくから。
タイトルの001の意味。MVでサブリミナル的に登場するカウントダウン。これらは一見すると意味が取りにくいですが、ある点に気づくとすべてが鮮明に意味を持ち始めます。これは僕が組んでいるバンドのドラマーが極度のLopオタクなので気づいてくれたんですが、最後の激情解放パートから曲の終わりにかけての時間がジャスト1分なんですよね。そして00'00'001で止まるカウントダウン。恐らくこのカウントダウンは終末時計で、世界が終わる最後の1分に全ての感情を解放したものと解釈するとすべてが繋がってしまう。
Lop Abuse On Somebodyはインストの中でも異質だと思っていて、鬱屈した言葉にならない激情を音で表現してくれる。落としと最大値の差、テクニックよりも感情をむき出しに表現する作品。あまりにも激情系のエッセンスを感じる。言葉は無力で、本当に伝えたい気持ちなんてのは全く表現できない。言葉を脱した後にはじめて表出される激情こそが、真に伝えるべき愛なのかもしれない。インストバンドを始めて、言葉の枠組みを脱したことは僕に逆に感情と語彙を与えたかもしれない。最近はそう思うようになりました。
本当はもっとたくさん曲を聴いているが、課題も残っているのでこの辺でやめとこう。どうあれ、僕が好きな曲たちは、新しい人間関係の中で僕に意味を主張し始め、それを通じて生きる目的と元気をくれるらしい。自他ともう少し向き合いたいなと思う5月でした。お疲れ様でした。
余談ですが、先日「ジョハリの窓」という自己理解の手法をやってみました。あまりにも愛しい時間だったので、具体的内容はお前たちには見せませんが。
ひたすら褒められてやりましたわ。僕のいいところがたくさんあると言ってくれて、それを言葉にまとめられないのが苦しい、と言ってくれた人々がいました。その「言葉にならなさ」に僕は救われています。言葉にならない感情の大きさとあたたかさを知っているから。伝わりました。ありがとう。
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