追懐録*カットアップノベル

こちらの曲中に出てくるカットアップノベルをまとめたものです。
著:ユリイ・カノン

それは空の上。
それは海の底。
それは一面に広がる花々の中。
それは一縷の光も届かない闇の中。
落ちているのか、昇っているのか、止まっているのか、浮かんでいるのか、
思い出の水底。そこに淀むのは眩い程に美しい日々と、鳴り止まない音楽。
彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。
いや、今でも彼女は——

だれかの心臓になれたなら
audio novel 追懐録

彼女に憧れて音楽を始めて、もう何年になるだろう。
自分の作品の向こうには、いつも彼女が見える。

今もあの頃のことばかりを綴ってしまうのは、未だ私は前を向けていないからだ。
思い出の中を生き続けるのは、きっとさよならを言えてないからだ。

monologue yuma 201*

その頃、私は二つのものに憧れた。

憧れの一つは音楽家で、もう一つは小説家を志す同級生の男の子。

——創作というのはこの世で最も美しいものだと、彼は言った。

その言葉は不思議と私の心を震わせた。

私はその言葉を理解したかった。

一度はやめた音楽をまた始めたのは、彼のように特別になりたかったからだと思う。

そうして私は、ユマとして生きていくことを決めた。

今日も私は歌う、どこかの誰かに届くようにと。

monologue
rino 201*

私は高校生になっても夢の一つすら持っていない。

後に悔いるのが人生なら、いっそ何もないまま終わりたい。

華のない生活で構わない。ドラマにならない人生でいい。

何をしたって、どうせいつかは全部失くなる。それなら最初から何も要らない。

冷たい風。白い息。寂しさを帯びた冬の街。

ふと聴こえた、少女の歌声。

見覚えのある黒い長髪。

彼女の歌は、私の胸を真っ直ぐに貫いた。

空っぽだったはずの私の中から何かが零れた。

monologue
rino 202*

後に彼女から、あの時の歌の名前を教えてもらった。
「生きるよすが」
その名の通り、それは私にとってのよすがとなった。

あの頃の出来事が、映写機からスクリーンに映し出されるみたいに目の前に浮かぶ。

その記憶の映像は私と彼女を少し離れたところからファインダーを覗くように眺めている。

二人は一台のピアノの前に並んで座って鍵盤を鳴らす。

二人が奏でる追走曲。

彼女の旋律を追いかけたその日から、私はずっと彼女を追いかけている。

私は私が思っている以上に彼女のことを知らないのかもしれないけれど、

私の目には誰よりも特別な存在に映った。

挫けることを知らず、ひたすらに音楽に心血を注ぐ彼女は、

眩しくて、気高くて、美しかった。

私は、彼女のようになりたかった。

monologue
yuma 201*

リノの歌を思い出していた。

自分は特別なんかじゃないと、改めて思い知る。

音楽の神様がいるとしたら、その神様に愛されていたのは彼女の方だろう。

何を書いても、何を歌っても、焦燥感が拭えない。

見えるもの全てが歪んでいく。

いつの間にかどこかへ迷い込んでしまった。

呼吸さえままならない。

だけど、まだ生きている。

どうか私を見つけてほしい。

誰の心も照らせない。
その光に気付いてすらもらえない。

真昼の月だ。

monologue
rino 202*

真昼の月。

それを見る度、在りし日の彼女と、彼女の言葉を思い出す。

創作というのは、この世で最も美しいものだと思う——と、いつか彼女は言った。

今なら、その言葉の意味が少しはわかる気がする。

彼女の意思に寄り添うように、そして彼女を少しでも理解したくて、音楽を続けてきた。

そこに何か救いがあるのだと思い込んでいた。

彼女は、私に《リノ》という名前をくれた。

音楽家としての私の名前。それはもう一人の私。それは本当の私。

それは偽りの私。

彼女を歌にした日から、また世界は形を変えてしまった気がした。それはあらゆる意味で。

思い出がお金に変わっていく。私はこんなことのために音楽を始めたのだろうか。

私自身に、本当の価値なんて無いように思う。

所詮は彼女の真似事をしているだけ。彼女に倣うだけの、偽物だ。

monologue
yuma 201*

幸せの代償、夢の対価。

私の人生で払えるものはもう無い。

身の程知らずの私が、夢を見た結果だ。

高くへと這い上がる程、落ちた時の痛みは増す。

創作を始めてからの五年間、そこからは私の人生の全てと言っていい程、色んなことがあった。

現実は物語のようには上手くいかない。

音のない世界。

自分の声すらも聴こえない。

生きる理由はもう無い。

リノ。あなたは自分の才能を信じていないけれど、私にはわかる。

いつか世界があなたを見つける。

だから、どうか歌い続けて。

私は——音楽の神様があなたを導くためのきっかけだった。

そう、神様の思し召し。なんて考えるのはどうだろう。

それなら、私の人生にも意味があったと思える気がする。

あなたが歌うなら。

monologue
rino 202*

『生きる理由を見つけるというのは、同時に死ぬ理由も見つけるということを、その頃の私は知らなかった』

彼女の残した言葉が、頭を巡る。

生きている限り、彼女の気持ちを本当に理解することなんて出来ないのかもしれない

わからない。

でも、

『リノ、あなたは大丈夫』

それでも、

『どうか強く生きて』

ユマ、

あなたに生きていてほしかった。

音楽なんてどうだっていいじゃないか。

私は——

どんな世界も、あなたがいるから生きていたいって思えたんだよ。

『あなたの作品は、あなたの人生。あなたの人生は、あなたの作品』

それがユマの選んだ結末なんだね。

あなたにとっては、どんなものものも音楽には敵わなかった。

私は、彼女とは違う生き方をする。

誰かの為でも、自分の為でもいい、

私は生きる。

ユマ、あなたの言う通り、音楽で世界は救えないのかもしれない。

それでも——少なくとも私は、

あなたの音楽で救われたと思っている。

思い出の水底。そこに淀むのは眩い程に美しい日々と、鳴り止まない音楽。

彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。

いや、今でも彼女は——




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