(2月22日まで公開) 米兵のトラウマになった日本戦とは・・・⁉️
日本軍は何故全滅に追い込まれたのか。戦後75年目の夏。悲劇の真実に迫る。|本がひらく
https://nhkbook-hiraku.com/n/n243e6292689b
皇帝🐧ペンギン
2022年2月23日 15:17
アメリカも一枚岩ではなかったそうですね。
その頃のアメリカが、ソ連のスパイに牛耳られていたとはね…
こんな大切な事を、学校では全く教えてくれませんでしたよ。
・ソ連のスパイ:ゾルゲ、尾崎秀実、瀬島龍三、etc.,
・朝日新聞と尾崎秀実
・CIAと、CIAの前身のOSSの謀略について
・etc., etc., 真実は小説より奇なり
今のバイデン政権も、同じ穴のムジナ…ですね。
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(メルマガからの転載です。。。✍️🐧)
大正生まれの日本人は、本当に凄かったですね。もし大正生まれの日本人が、戦後の日本人のような教育を受けた人達だったとしたら、日本は今頃どうなっていたのでしょう? 情け容赦ない列強に侵略されバラバラに分割とかされて、無抵抗な他のアジア諸国のような植民地にされていたのかもしれません… ((((;゚Д゚)))))))
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件名: [クイズ] 米兵のトラウマになった日本戦
宛先: 🐧💦
突然ですが、クイズです。
1941年12月の日米大戦開戦から
ポツダム宣言に調印する1945年8月まで、
日本とアメリカは、
地図上のさまざまな場所で激突しました。
実はその戦いの中に、
日本人の多くは知らないのですが、
日本軍の強さを象徴するものとして、
世界中の人々の記憶に残っている戦いがあります。
それは一体、どの戦いでしょうか?
ヒント1
・77年前の2月19日に戦いの火蓋が切られた。
そして、終戦から今日までアメリカで語り継がれている。
ヒント2
・米軍がトラウマを抱えるほどの抗戦を見せ、
米軍の侵攻に1ヶ月以上の遅れを生じさせた。
ヒント3
・日米大戦 末期の戦いにもかかわらず、
日本軍よりも米軍の方が死傷者が多かった。
いかがでしょうか、
頭の中に答えは思い浮かびましたか?
それでは、答えはこちらからどうぞ、、、
>クイズの答えを確かめる
・・・
「アメリカであれを知らない人は、一人もいません。
いまの若い学生だって知っております。」
終戦から77年、アメリカをはじめ
世界中で今も語り継がれる日本軍の戦いがあります。
日本人の多くが知らない、
日米大戦での日本軍の勇姿を、こちらからどうぞ、、、
>日本軍の勇姿を確かめる
真実の歴史講座「日米大戦」
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<< 米兵が語り継ぐ「悪夢の36日間」 >>
「硫黄島は5日で攻略できる」
硫黄島上陸の際、
日本軍を甘く見ていた
米軍はそう考えていました。
しかし、その予想は
上陸開始からたったの1時間後、
あっさりと崩れ去ります。
一体、何が起きたのでしょうか?
米兵に立ち向かった日本軍の秘策とは?
>今すぐ真相を確かめる
===
ー1945年2月19日 午前9時2分
米軍隊 第1派が
硫黄島に上陸した。
硫黄島は静まり返り、連日敢行された
大規模な空爆・艦砲射撃によって
日本兵は全滅して
しまったかのように思えた。
ー同日 午前10時
第八派の部隊が上陸し、
海岸が米軍と物資、弾薬で埋め尽くされた。
その直後、突如として
日本軍の一斉射撃が始まった。
突然の奇襲でパニックに陥る米兵たち、、、
彼らは為す術も無いまま
日本軍の弾幕に次々と吹き飛ばされ、
海岸のいたるところに死傷者や
吹き飛ばされた肉体の一部が散らばった。
上陸前、米軍内に漂っていた、
「硫黄島は5日で攻略できる」
といった楽観的な予測は、
一瞬のうちに崩れることとなった。
そしてその日から、米軍にとって
悪夢のような36日間が始まることとなる。
一体、日本軍は何を仕掛けたのか?
米軍を悪夢に陥れた、
日本軍の硫黄島防衛の秘策とは、、、
>日本の秘策を知る
真実の歴史講座「日米大戦」
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<< ↓この男は誰でしょうか >>
あなたはこの男が誰か、
知っていますか?
●米国史上最強の敵
彼は硫黄島の戦いで
日本軍を指揮し、その手腕から
「日米戦争屈指の名将」と評価されている。
また戦時中、米兵たちの間では、
「日本軍に、彼以上の軍人がいないことを願う」
「彼こそ、米軍が最も敬意を払うべき強敵だった」
と評され、畏怖の象徴となり、
戦後70年以上が経った今も
「米国史上最強の敵」として語り継がれている。
●優秀な分析眼を持つ現実主義者
彼は、当時の日本で提唱されていた
「水際戦術」と「バンザイ突撃」を否定し、
戦地の地理情報、過去の戦闘記録、
戦局を冷静に分析し、戦術を構築していた。
彼の率いた部隊は非常に戦術的で
規律に則った秩序ある攻撃を展開し、
米軍が「5日で攻略できる」
と試算した硫黄島の戦いで、
開戦初日から米軍に甚大な被害を与え、
36日間の消耗戦に引き摺り込んだ。
●部下思いで、良き父親
彼は優秀な軍人であるとともに、
一男二女の父親でもあった。
彼は駐在地や戦地から日本に残した
妻子へ向け、まめに手紙を書いており、
その内容は軍人色が薄く、情愛に溢れた物だった。
また、硫黄島での最終局面では、
父島の通信隊に向け、部下の功績を電文で伝え、
最期まで従ってくれた部下たちに報いようとしていた。
そしてそれを最後に、彼の通信は断絶する、、、
彼は日米戦争を語る上で、
書くことのできない英雄です。
あなたはこの日本人将校が
誰だかわかりますか?
義務教育では語られない
忘れられた日米戦争の
英雄の名前は、、、
・・・
「戦後、70年以上が経った今も
伝えられることのない真実があります。」
我々の先祖がどんな想いで
苦難苦境を乗り越え、
日本という国を守ってくれたのか。
まずはこちらの動画をご覧ください、、、
>先人たちの勇姿を確かめる
・・・
あの戦いがなければ、日本本島は
もっと悲惨なことになっていたかもしれない、、、
祖国を守るため戦った日本軍、
世界で語り継がれる戦いを
こちらからご覧ください、、、
>日本軍伝説の戦いを動画で見る
真実の歴史講座「日米大戦」
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件名: 教育を脅かすポプラ社の嘘
あの戦いがなければ、日本本島は
もっと悲惨なことになっていたかもしれない、、、
祖国を守るため戦った日本軍、
世界で語り継がれる戦いを
こちらからご覧ください、、、
>日本軍伝説の戦いを動画で見る
今月の7日頃、大手SNSのTwitterにて
#ポプラ社は歴史修正主義に負けるな
というワードがヒットしていました。
一体何が起きていたかご存知ですか?
こちらはポプラ社が出版している
「ポプラディア」という百科事典で、
全国の学校にも所蔵されているものです。
実は先日、この辞典が
ネット上で大問題になりました。
それは、このような記述があったためです。
いあんふ【慰安婦】
日中戦争から太平洋戦争中に、戦地で
日本軍兵士らの性交の相手をさせられた女性。
従軍慰安婦ともいう。
(中略)
朝鮮や中国、東南アジア各地に
占領された地域の女性たちが強制連行で
慰安婦にされることも多くなった。
当然、内容としては
証拠も無いものですので、虚偽の記述です。
そして、この記述を問題視した
自民党の山田宏議員が、この内容を取り上げました。
しかし、ここから世論は思わぬ方向に向かいます。
なんと、多くの人がポプラ社を擁護し、
「言論弾圧だ」
「政治家は表現の自由を奪うな」
「歴史を書き換えるな」
と、山田議員を批判し始めたのです。
なぜ、このように史実に反し、
正しいことが批判される事態になってしまったのか、、、
それは、ポプラ社を擁護した人たちには、
「どちらが正義か分からない」からではないでしょうか。
日本では敗戦後、GHQ主導のもと、
「戦争において、日本は悪だ」
「軍人は戦争犯罪者だ」
という洗脳教育を施されてきました。
その結果、戦争の話題が出ると、
「悪いのは日本」という刷り込みの認識が
生まれてしまったのでしょう。
しかし、このままでは日本は、
害意を持って日本を批判、攻撃する諸国から
延々と賠償金を搾取され続けることになり、
自虐的な歴史観から
抜け出すことができなくなってしまいます。
子供や家族に、自信を持って
正しい歴史を伝え、日本人の誇りを取り戻すために、
他にも、今知って欲しい真実の歴史があります。
こちらの動画をご覧ください、、、
↓
>真実の歴史を知る
p.s.
一般的に、「慰安婦」「強制連行」を
史実とする人たちの論拠となっているのは、
・朝日新聞が掲載した「慰安婦記事」
・「河野内閣官房長官談話」
の2つですが、
前者は朝日新聞側が虚偽であったことを認め、
謝罪、記事を撤回しています。
また後者は、河野太郎氏が、
文書で強制性を立証するような
証拠が一つも見つからなかったにも関わらず、
被害者とされる人たちへの
聞き取り調査のみを証拠として、
閣議決定も得ないまま、
独断発表してしまったものであり、
全く証拠能力のないものとされています。
あなたには、
このような曖昧な情報に流されることなく、
真実をもとに判断できるようになってほしい、、、
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件名: 命をかけ国を守った英雄の真実
我々が想像すらできないほどの
死闘が繰り広げられた
「硫黄島の戦い」
戦いの終盤には、米軍に
穴という穴へ手榴弾を放り込まれ、
地下壕は火炎放射器で焼き尽くされました。
米軍上陸から36日目。
日本の守備隊のほとんどは壊滅...
完全に追い詰められた彼らが
祖国のため、できることはただ一つでした。
「総突撃を決行し、敵軍に
できる限りの損害を与える。
そして、少しでも
本国侵攻までの時間を稼ぐ」
日本軍を率いていた栗林中将は、
最後の突撃を前に、部下たちを集め、
宣誓の言葉を言い放ちます。
「日本が戦に敗れたりと言えども、
いつの日か、国民が諸君等の勲章を讃え、
諸君等の霊に涙し、黙祷を捧げる日が
必ずや来るであろう。
安んじで国に殉ずるべし。
矛は常に諸子の先頭にあり!」
そして、栗林自ら先頭に立ち、
総突撃を決行、誇り高く戦死を遂げました、、、
敵国であったアメリカ海兵隊も、
栗林中将の総突撃が脅威であったことを、
このように記録しています。
「3月26日に栗林と他の高級将校が
主導した日本軍の最後の攻撃を
受けたという報告があった。
この攻撃はバンザイ突撃ではなく、
米軍側に最大の混乱と破壊を
もたらすことを目的とした優秀な計画であった」
当時、アメリカは
アジアを見下していたにも関わらず、
敗戦国のいち軍人である栗林中将を、
「我が国が対峙した史上最強の敵」
と評価していました。
そして栗林中将は今日まで、
米軍の畏敬の対象として
語り継がれているのです、、、
日本という国を守るため、
現代の私たちでは想像すら
できない過酷な状況で苦しみ、
戦い抜いた栗林中将ら、先人たち。
愛する家族のため、
祖国を守るため、、、
自分を犠牲にして
最後の最後まで強靭な精神で
戦い抜きました。
先人たちは、
いつの日か将来の日本人が
その「勇敢ぶり」を心の底から讃え、
自分たちの献身を讃え、
涙と黙祷を捧げてくれるだろう…
と思い、散っていったはずです。
しかし、現実はどうでしょうか?
戦後から現在に至るまで、
私たち日本人は大東亜戦争について
「日本は戦争で悪いことをした」
「日本の軍人は戦争犯罪者だ」
「戦前の日本は恥ずべき軍国だった」
このような認識で英霊たちを卑下し、
「戦争」という言葉に拒否反応を示し、
真実すらも見つめず、「知らない」ことで
ハリボテの安息感を守り続ける、、、
そんな状況が続いています。
そして、
・国家防衛をアメリカに頼り、
その資金を支払い続けている。
・度重なる北朝鮮からの
挑発行為に何もすることができない。
・韓国からの従軍慰安婦問題に
明確に抗議できていない
など、海外からも舐められている状況、、、
なぜ、このような事態に
陥ってしまったのでしょうか?
それは、
先人たちの壮絶な戦いを教えない
祖国のことを想い、
愛する家族のことを想いながら
散っていった先人の想いを伝えない、
そして、何より、
先の大戦の真実を教えない、
そういった、
「日本が何をして、何をされたのか」
を明確にしない教育が、
戦後から今まで
ずっと続いているからです。
たしかに、歴史や
戦争の真実を知ることは、
痛みや苦しみを伴うものでもあります。
しかし、正しい歴史を知らず、
真実から逃げ続けるだけの
「日本人」でいいのでしょうか?
日本は素晴らしい国です。
世界中から尊敬される
「人間性」という財産を持っています。
その日本がこれからも
誇り高い国であるために、
私たちが、世界に誇る
「日本人」であり続けるために、
真実の歴史を知ってもらいたい。
そんな想いで、
スタンフォード大学フーヴァー研究所
西鋭夫教授と制作したのが、
西鋭夫の「歴史講座 日米戦争」です。
真実の歴史講座「日米大戦」
この講座では、
学校教育では決して教わることのない
フィリピン戦、ミッドウェー開戦、沖縄戦など
日本軍の壮絶な戦いの真実のほかに
・「真珠湾攻撃」
その時モスクワで何が起きた?
大本営に無視された日本のスパイ
・「世界に誇る武士道」
人の本質は戦いの後にわかる…
乃木将軍とマッカーサーの決定的な違い
・「原爆投下の真実」
原爆は劣悪民族日本に落とせ!
マンハッタンプロジェクト
など、一次史料を元に
40年以上の研究を行ってきた
西教授だからこそ語ることのできる
内容になっています。
p.s.
「歴史講座 日米大戦」
のご購入を迷われているあなたに、
実際にご視聴いただいた方から寄せられた
感想の一部をご紹介します。
「日本の全ての人が、知るべき真実」
ーー松谷様
とても素晴らしい内容で、
日本人全ての人が聞くべき!!
と思っております。
特に、小中高の子ども達には、必須。
私は娘と一緒にみましたが、
心の底から、すべての日本人に!
せめて、小中高学校の
社会の歴史で教えてもらいたい、と感じました。
私の祖父は、パプアニューギニアで
戦死しています。16年生まれの父親は
幼くて、顔も覚えていないとのことです。
父は、お酒を飲むと戦争の話しをしていました。
幼いながらに、相手は爆弾と鉄砲。
竹やりでは勝てない・・と思っていたそうです。
また、実家の近くには、特攻隊の基地があったので、
あと数日で出陣の時に戦争が終わった、
というご年配の方々の話しもよく聴いていました。
ですから、少なくとも、普通の人よりは
戦争に興味があり、学んでいたつもりでした。
しかし、真実は異なっていて、
多くの犠牲者が飢えと作戦の不甲斐なさに
苦しんだことを知り、非常に心が痛くなりました。
西先生がおっしゃる通り、
戦争に対し、日本人は禊をしていないし、
学んで行動に移していない。
真実を国民に話していないし、
総理大臣の日本人としての魂が
感じられない、と思いました。
日本の国の魂を受け継ぐ若者たちに、
1秒でも早く、この真実を届けたいし、
届けるべきだと思っています。
もちろん、何も学ぼうとしない
大人たちにも、見せるべき。
西先生のような方が、
日本にいらっしゃることを
心から嬉しく思っています。
本当に素晴らしい内容であり、
魂が再び蘇るようなインパクトがありました。
ありがとうございます。
ーーーーー
「戦後教育の嘘が見えてしまった」
ーー三並様
私は昭和20年4月生まれです。
小中学生のクラスには必ず
父親が戦死した人が何人か居りました。
そんな中で学校で教えられる
戦争についての話は全て同じで、
日本は悪いことをアジアに対して来ました
という事ばかりでした。
しかし叔父や叔母父母から聞いた話と
まるで違う話でどちらを信じれば良いのか?
本当に戸惑ってしまいました。
しかし今回改めて冷静に西先生のお話しを聞いて、
そうだったのだと納得した次第です。
戦争で亡くなられた方々を
後の国の責任者(首相)がお参りしないのはなぜなのか?
どうも未だに納得がいきません。
国の命令で戦争に行かされ亡くなったのにどうしてだろう?
これは先の戦争の事に触れたくない、
という事なのでしょうか?
責任を取りたくないからなのでしょうか?
ーーーーー
「呪縛が解けた思いです」
ーー岩田様
1949年8月生まれ。
父はシベリアに4年抑留されていました。
女房の父親は土木が専門で
餓島の道づくりを一木支隊の為にしてきたそうです。
よくまあ生きて帰って来てくれたものだと思います。
父方の祖父はシカゴ大学で医学を学んで
大阪で病院をやっていたそうです。
私の中では先の大戦はどう捉えたらよいのか、
ずっと悶々とした内患のような存在でした。
外人に接する機会の多いホテルに30年近く在籍し、
ちょうどアメリカ軍がベトナムからの一時帰休する
東京ホリディのお世話もしました。
何か見えるかとキリスト教会で洗礼も受けました。
おかげで今は祈りにより救われていますが、
もうすぐ70才になるのに
何かし忘れているような気がしていました。
この講座はそれに対するヒントを
与えて下さったように感じています。
感謝。
ーーーーー
真実の歴史講座「日米大戦」
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