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「財閥たちの真珠湾」 財閥と真珠湾攻撃には…、不可解な関係があった・・・⁉️

西鋭夫氏の講座PRメールを転載します。下記ビデオは8月10日まで公開です。


< 米国が60年隠した1つの箱 >

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「ドクター西、
これは昨日、極秘を解除されました」

アメリカ国立公文書館の図書館員が
そう言って1つの箱を持ってきた。

埃まみれのそれは、
まだ誰も開封したことがないようだ。

箱が、私の目の前に置かれる。

開けようと手をかけた瞬間、
体中に鳥肌が立った…

それもそのはず。

通常、アメリカでは30年以内に
機密文書を公開するのだが…

なぜか、その箱だけは、
60年間もの間、極秘にされてきたのだ。

「一体、この中にどんな秘密が眠っているのか…」

そうして開けてみると…
私は言葉を失った。

60年も封印された米国の機密文書から、
三井、住友といった日本の大財閥の
名前が出てきたのだ…


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< 住友,三井,日産…真珠湾での暗躍 >


真珠湾攻撃直前、
政界にある男たちの名前が連なった...

住友財閥の古田俊之助、
三井財閥の池田成彬、
日産コンツェルンの鮎川義介。

日本を代表する
財閥のトップたち。

実は、
彼らと真珠湾攻撃には
不可解な関係があった..

>財閥と真珠湾攻撃の関係とは?

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「政党の指導者は財閥の“操り人形”であった。」

これは書籍『Japan’s War Economy』
に記された一文です。

当時、政府は一部の事業を
財閥に対して売り渡しており、

三井や三菱は炭鉱や造船所など、
重工業の柱となる事業が有利な条件で
手に入ります。

そのため、いつしか財閥が
重工業を牛耳るようになり...

武器や戦闘機の製造も
財閥が握るようになりました...

さらに銃弾や、大砲、航空機、戦艦などは、
戦争で消耗すればするほど、
それらの製造代で儲かる…

すなわち、戦争があればあるほど
財閥が儲かる仕組みになっていました。

このように戦争ビジネスで
大儲けをしていた財閥...

なぜか、日本では財閥について、
ほとんど語られません…

しかし、
カネの流れを追ってみると、
財閥と政界の黒い関係がわかりました...

>財閥と政界:黒い関係を知る

真実の歴史講座vol.4「真珠湾攻撃の真実と暗号戦」
https://in.prideandhistory.jp/nirk4_2108?cap=HS2

P.S.

政府の売り渡しのおかげで、
儲かった財閥でありながら、
政界に多く進出していった財閥。

実は、真珠湾攻撃に対して、
彼らの影響力がとても大きかったことを
表す“ある事実”が残っていました…

財閥の戦争責任をハッキリと
表した"ある事実"

それは…

>“ある事実”を知る


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件名: 原爆投下から76年…隠される2つの真実
日付: 2021年8月9日 6:57:20 JST


【ビデオの公開は明日10日(火)まで】

原爆投下に至る日米対戦の発端...
「真珠湾攻撃」に隠された真実とは?
一次史料から紐解かれる真相を明かしています。

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本日8月9日は、
長崎に原爆が落とされた日です。

毎年この時期になると
平和祈念講演が放送され、
原爆の恐ろしさを伝える
テレビ特集が組まれます。

その理由は後世に二度と
同じ過ちを繰り返さないよう
正しい歴史を伝えるためです。

しかし、
日本に原爆が落とされたことと同じくらい
伝えられるべき真実なのに
隠され続けていることがあります。

それは、
日本が“原爆の開発に成功していた”
という事実です。

そんなバカなと思いますよね?

ですが、米国・ソ連・中国・朝鮮で
報道されていた記事には
こんなことが書かれていました。

■1946年10月3日 
米アトランタ新聞
「日本は原爆を開発していた。
 ロシア人は科学者たちを捕縛した」

■ロシア政府系通信社スプートニク
「日本が1945年8月12日に
 核弾頭のサンプルを爆破させた」

■中国政府公式サイト
「日本は1939年から1940年まで
 核兵器を製造したと主張している」

■2018年2月9日
北朝鮮労働新聞
「日本は敗戦まで咸興(北朝鮮)で
 核爆発実験を実施した」

さらに、一次史料を元にした
「JAPAN'S SECRET WAR」では、
朝鮮半島にある日本の原爆工場での、
実験成功が書かれています。

このように世界では報道されていたことが
なぜか、日本では報じられていません。

どうしてでしょうか?

それは開発に携わった関係者にとって
隠蔽するほうが好都合であったためです。

彼らは戦後のGHQ占領以降、
自身が戦犯に問われることを恐れ、
この真実を暗闇に葬ったと見られています。

なんとも日本人にとっては
受け入れがたい話ですよね…

そして…

「知られては不都合だから」と
隠蔽されてきた歴史は
原爆開発だけではありません…

原爆投下のきっかけにもなった真珠湾攻撃…

これに関するアメリカの極秘資料は
「ウルトラトップシークレット」として
60年隠され続け、

近年、ようやく解禁となりました。

日本だけでなく
アメリカにとっても
知られては不都合な内容、
隠蔽したいことが何かがあったのでしょうか?

紛れもない一次史料に
書かれていたこととは…?

>隠され続けた真珠湾攻撃の真実を知る


P.S.

「真珠湾攻撃は日本による奇襲攻撃だった」

私たちは日米対戦について、
学校やテレビでこのように教わります。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

60年経ってようやく解禁された
新たな歴史の真実を紐解けば、

私たちがいかに
間違った歴史を教わって来たか
分かってくるでしょう・・・

ビデオの公開は明日10日までです。

>解禁された歴史の真実とは


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8月10日


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(下記は、ビデオの文字起こし…✍️です。) _φ(・_・ 💦

「財閥たちの真珠湾」

武器・政界・東京裁判…語られなかった3つの謎


アメリカ政府の極秘文書には、日本にはない “時効” がある。

そして、時効を過ぎると、全面公開されるのだ。

さらに極秘文書は、ランクに分けられている。

コンフィデンシャル、
シークレット、
そして、
トップ・シークレットだ。

さらに…
ウルトラ・トップ・シークレット(60年間極秘)

60年間もの間、極秘にしなければならない情報とは何だったのか?

その内容は、日本が戦争を始めたきっかけ「真珠湾攻撃」

真珠湾攻撃:12月7日

真珠湾攻撃の真相は、どうなっていたのか?

当時の日本国内は、どんな状況だったのか…

日本を真珠湾攻撃に導いたかもしれない、ある存在に気がついた…

それは、財閥である。

我々、現代人にとっても見聞きしたことがある、

住友や三菱といった大財閥が裏で絡んでいたのだ…

実際、西先生は財閥と真珠湾の関係について、こう語っています。

「もう一つ話題に上がってこないのは、大企業、財閥と言うグループですよ。 あの当時、財閥が完全に日本の経済を牛耳っていました。 戦争があるたびに儲かるんです。 そうすると、財閥たちも大本営に海軍や陸軍に、イケイケ・ドンドンいったんですか。 その話どこにも出てこない… 」

財閥、、、そのつながりを読み解く鍵がこんなところにありました…


①「裏で大儲けした」戦争を利用したからくり

戦争と言えば、銃弾や大砲、航空機や戦艦が欠かせませんでした。

そんな武器や戦闘機の生産を支えていたのが、炭鉱や造船所など、重工業の柱となる事業です。

当時、政府は一部の事業を財閥に売り渡しており、

例えば、三井や三菱は、炭鉱や造船所などを政府から有利な条件で手に入れることができました。

そのため、いつしか、財閥が重工業を牛耳るようになります。

銃弾や大砲などの武器、航空機や戦艦といった戦闘機が必要になればなるほど、注文が増えて儲かる…

つまり、戦争すればするほど、財閥が儲かる仕組みになっていました。

「武蔵」を始めとした名だたる戦艦も、戦争が終わる直前まで日本軍が使っていた零戦も、

作っていたのは、三菱グループ。

真珠湾攻撃をきっかけに、日本が開戦した、1941年に12億円だった資産は、

どんどん増えていき、終戦間際に52億円にまで膨れ上がっていました。

三菱以外の財閥も同じように戦時中に資産を増やしていき、

日中戦争が起きた1937年から9年後の1946年には、財閥に2倍の資本が集まっていき…

住友、安田などの、たった14の財閥だけで、国家資本の半分を保有するまでになっていました。


②「財閥と政界の蜜月」“操り人形” と化した官僚たち

このように、戦争をすればするほど儲かった財閥は、

当時、国全体を動かす政界と非常に近い距離にいました。

例えば、住友財閥の7代目総理事だった古田俊之助けは、第3次・吉田内閣の経済最高顧問へ。

三井財閥の総裁だった池田成彬は、第1次・近衛内閣で、大蔵大臣兼商工大臣へ。

満州で巨万の富を築いた日産コンツェルンの創始者、鮎川義介は参議院議員になるなど、

多くの財閥トップが日本の政治に深く関わっていました。

さらに当時、財閥は政党に対して、資金援助していたことが文書に残されています…

例えば、政友会と三菱財閥、民政党と三井財閥のように、

財閥と政党は、とても強固な関係で結ばれていました。

当時の専門書籍 「Japan's War Economy 」には、

「 政党のリーダーは、まるで財閥の “操り人形” のようだった。

官僚や海軍トップだった人物の多くは、財閥の圧力に従うばかりであった。 」

「なぜ、日本は真珠湾と言う選択をしてしまったのか?」

この問いの答えを見つけるためには、

真珠湾攻撃が起きた当時の日本を動かしていた政界、

そして、その政界と密接に関わっていた財閥の存在を無視することはできないでしょう…


③「A級戦犯だった財閥」死刑を免れた男たちの栄転

そして、戦争に対する財閥の影響力の大きさがはっきりと現れたのが…

終戦後、日本で行われた東京裁判です。

日本開戦のきっかけとして、真珠湾に関わった人物にも注目が集まりました…

石原慎太郎元東京都知事が尊敬していた、池田内閣の法務大臣・賀屋興宣(かやおきのり)

東急電鉄の取締役、ダイヤモンド社の会長にもなった星野直樹

その12人のうちの1人でした…

GHQが復讐のために東京裁判を行ったと考えても、

戦争と無関係な人たちを大量に起訴するとは、考えられません…

さらに、不可解なことに…

A級戦犯として起訴された財閥12人全員がのちに死刑を免れ、

その多くが、その後、日本を動かすような存在になっています。

大罪を犯したはずのA級戦犯が、日本経済を動かす立場になりあがる…

そんな奇妙な事態すら起きていました…

現代にも名を残す財閥が、どのように真珠湾攻撃に関与していたか…

その一端がお分かりいただけたかと思いますが…

人の生死をかけた戦争で、商売で急速に勢力を伸ばした財閥の存在。

こういった側面は「真珠湾攻撃」の話題では、あまり取り上げられる事はないのではないでしょうか…

真珠湾攻撃には、我々、現代の日本人に教え継がれることのない事実がいくつも眠っています。

例えば…

真珠湾攻撃の日、奇襲を成功させようと狙いを定めて、敵地に旅立っていった日本兵だったが…

そこには、最も叩いておきたかった米国空母2艦は、姿を消していた…

ヨーロッパの戦争で多数の戦死者を出した米国…

90%以上の国民が戦争に反対するほどの反戦ムードでした。

当然のように、「戦争をしない」と言う公約のもと、ルーズベルト大統領が当選。

しかし、突然、戦争ムードへと変わり、日本との残酷な戦争に乗り出していく…

終戦後、2年6ヶ月もの歳月をかけ、徹底して犯罪者を暴いたはずの東京裁判。

でも、真珠湾攻撃で宣戦布告を遅らせた犯人については、一言もふれられないまま、裁判は終了…

など、いくつもの謎が、戦後70年以上が経った今でも、

解決されることなく、そのまま残されています…

なぜ、こんなことになっているのか?

答えは簡単です。

60年もの間、誰の目にも触れられず、箱の中に閉じ込められていた不都合な真実があったからです。

ようやく、本国アメリカでは極秘資料は解禁されました。

でも、日本には、なかなか真実は入ってきません。

翻訳されなかったり、この事実をよく思わない人もいます…

そのため、長年、はっきりとした根拠がないまま…

いまだにGHQが作り出した、アメリカにとって都合の良い歴史教育を、小学校から大学まで教え続けるばかりか…

メディアによる洗脳・妨害工作が続いているため、私たち日本国民は、真珠湾攻撃の真実を知るすべがありませんでした…

このような背景から、ほとんどの日本人は、真珠湾の真実を学校で正しく学ばず大人になりました…

そのせいか、「宣戦布告が遅れた日本が悪かった」のように

一次史料を検証することなく、憶測だけで議論をしたような話ばかりが、

真実を知らないメディアや学校、政治家、コメンテーターから垂れ流され、無意味な議論は終わることのないままです…

そういった表面的な意見ばかりをきかされているためか、

日本が奇襲攻撃を仕掛けた。
日本が悪い。
という一方的な意見がほとんどで、

まるで洗脳でもされているかのように、抜け出すことができません・・・


( 文科省はいらないね〜 )🐧💦



件名: アマチュアリズムの歴史

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From: 岡崎 匡史
研究室より

「プロ」と「アマチュア」の違いは何か?
そもそも、「アマチュアリズム」という言葉は、いつから日本で使われはじめたのか?

それは、明治に入ってから。明治日本は、欧米列強の知識を貪欲に取り入れた。
啓蒙思想家・西周(にし あまね・1829〜1897)は、『百一新論』で「哲学」や「芸術」や「定義」などの西洋の言葉を大量に紹介した。

この知識の大波に乗って、アマチュアリズムは、大英帝国イギリスから明治日本に入ってきた。
スポーツと金儲け

アマチュアリズムは、いまでも日本のスポーツ教育の根底にある。スポーツで金儲けをすることが「悪」という風潮が根強い。

一昔前まで、プロ選手がオリンピックに出場することが憚れていた。

お金の為、営利目的ではなく、純粋にスポーツに打ち込むべきであると。

日本で花開いたアマチュアリズムの精神は、本家のイギリスでどのように誕生したのか。なぜ、「アマチュアリズム」の考え方が生まれたのか?
階級とスポーツ

アマチュアリズムの発祥地イギリスは、階級社会。上流階級は、余暇としてスポーツを愉しんでいた。

当時のイギリスでは、スポーツ競技の種類を区別できた。ラグビーは上流階級、サッカーは労働者階級というように。そんな折、サッカー選手たちがプロリーグを結成。彼らは金銭的報酬を得た。これを見た貴族たちは、プロスポーツを軽蔑する。

上流階級の貴族たちは、スポーツの世界に上下関係を創り出す。それが「クラブ制」である。テニスやゴルフは「クラブ制」をとり、会員になるために審査を実施し、閉鎖的な組織となっていく。労働者階級は、クラブに入ることが許されない。スポーツで報酬を得るのは恥ずべき行為だとし、プロスポーツは「邪道」という時代精神を創った。

明治日本は、英国の階級制度とスポーツの背景を深く理解せず、アマチュアリズムという言葉の表面だけを吸収してしまったのだ。


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