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神奈川の障害当事者運動を振り返って②

この原稿は渋谷が2022年4月から2024年3月まで、一般社団法人神奈川人権センターの「人権センターニュース」に連載したものです。

愛と正義を否定する
われらかく行動する
一、われらは自らがCP者である事を自覚する。
 われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且、行動する。
一、われらは強烈な自己主張を行なう。
 われらがCP者である事を自覚したとき、そこに起るのは自らを守ろうとする意志である。
われらは強烈な自己主張こそそれを成しうる唯一の路であると信じ、且、行動する。
一、われらは愛と正義を否定する。
われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且、行動する。
一、われらは問題解決の路を選ばない。
 われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。
われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我等の行いうる運動であると信じ、且、行動する。
 
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、1970年10月25日発行の「あゆみ」No.11に掲載された神奈川青い芝の会の行動綱領です。
 この綱領については、当時編集責任者をしていた横田弘さんが他の役員に相談することなく言わば独断で掲載してしまったという大きなエピソードがあります。
 横浜市金沢区内で起きた「障害児殺し」の直後であり、横田さんとしては事件を自分の問題として捉えきれていない仲間たちに強い危機感を抱いていたようです。
 神奈川の障害当事者運動の歴史は青い芝の会抜きには語れません。そして青い芝の会の運動はこの行動綱領抜きには語れないのです。とりあげる以上は解釈が必要な文章だと思います。横田さんに「お前はまだ何もわかっていない!」と𠮟られそうですが、私なりに解釈をしていきます。
 
現代社会における自らの位置を認識することから
 まず第一項です。
 「現代社会にあって『本来あってはならない存在』とされつつある自ら」とはどういうことでしょう。人の歴史における差別の根源など到底明らかにできませんが、私たち障害者に対する差別と、その他の差別の問題では本質的と言っても過言ではない違いがあると考えています。私たち障害者に対する差別は生産性がないこと、介助が必要なこと、つまり社会に物理的な負担をかけることに由来していると思います。やや近いものは高齢者への差別かもしれませんが高齢者は長い間社会に貢献した実績があり、その意味では大きく違うでしょう。
そして、中世以前近代以降では、差別の在り方が変わったように思います。近代の合理主義は生産効率で人の価値を測っていきます。そのような社会に障害者が位置づけられる事はないでしょう。優生的な価値観が「学」あるいは「思想」として明確にされたのは近代です。第一項冒頭の現代社会は近代の延長線上にある現代だと思っています。そのような社会の在り方は常に障害者をあってはならない存在へと追い込んでいく。自らがそのような存在であることを認識することから出発せよと言っているのだと思います。
ただし横田さんは、革命が起きれば障害者は解放されるという考え方は明確に否定していました。このことは強調しておきたいと思います。
 
ありのままの自分で生きる
 続いて第二項です。
 横田さんは常に「俺たちは叫びつづけなければ生きられない」と言っていました。健全者と同じように歩くことも話すことも働くこともできない。その状況を自ら改善しようとすれば健全者の価値観を追い求める事になり、自らの存在を否定する事になる。
 ありのままの自分で生きるんだと、それを認めろと叫び続けること、それが脳性マヒ者の自己主張である。その自己主張こそが唯一の自分を守る方法であり、この社会を生きるための術であると言っているのだと思います。
 
愛と正義という言葉がどう使われてきた(いる)のか
 第三項は当時の障害者の家族や福祉関係者に強い衝撃を与えた、そして現在でも与え続けているフレーズです。
 私はこれを愛と正義そのものを否定するものだと言っているのではないと考えています。
 人々は愛と正義という言葉によって何を語ってきたのか、語っているのかを問うているのだと考えています。先ほどお話しした、障害がある子を自らの手で殺してしまった母親もそれほどまでに我が子を愛し献身的に育てた結果であると言えなくはないでしょう。そして多くの人がそう考えたからこそ減刑嘆願運動が行われたのです。しかしこれは紛れもなく殺人です。その殺人という行為を、母親を含めたこの社会が直視しなくてすむための道具立てとして「愛」が使われているのではないでしょうか。
 地元自治会が行った減刑嘆願署名も自分たちに「正義」をアピールしたのでしょうが、横田さんが機関誌の中でも指摘しているようにそもそも親子をここまで追い込んだのは誰か、地域の人々に他ならないでしょう。そのことを直視せず減刑嘆願運動を行うことは偽善であると言わなければなりません。
 少し大きな話になってしまいますが、太平洋戦争は日本にとっては大東亜共栄圏の建設という「正義」があり、アメリカには反帝国主義、自由と民主主義の防衛と世界への拡大という「正義」がありました。しかし、つまるところ領土と資源の奪い合いであり、大量殺戮です。
 つまり「愛」と「正義」は、多くの場合自らの欲望やエゴイズムを覆い隠すために使われます。第三項は、互いが自らの欲望やエゴイズムをさらけ出してぶつかり合うことこそが本物の関係を築くための唯一の方法と言っているのだと考えています。
 
差別という問題を曖昧にしないために
 最後に第四項です。
 私が横田さんの下で運動をはじめたころ街や公共交通機関のバリアフリー化を求める運動が盛んでした。
 神奈川県でも福祉のまちづくり条例を制定することになり、委員会が設置されました。制定にあたって最後まで折り合いがつかなかったのが学校の校舎へのエレベーターの設置義務化でした。委員会では設置義務が認められず神奈川県内の当事者団体が要望書を提出し、夜を通しての県との話し合いが行われましたが、その時点での義務化は認められず、五年後に再検討するという付帯決議を設けることで納めざるを得ませんでした。
 具体的に何かを求める運動を進めれば、その時々の状況で妥協せざるを得ないこともある。それを繰り返していれば差別という問題自体が曖昧になってしまう。第四項はそれを戒めているのだと考えています。
 
障害者と健全者の真の関係性を築くために
生前の横田さんの言葉を思い出します。「行動綱領? あれは健全者へのラブコールだ」「人間を信じていなければ『愛と正義を否定する』なんて怖くて言えるか!」
 厳しい言葉が使われている綱領ですが、決して健全者との関係を拒絶しているのではありません。むしろ障害者と健全者の真の関係性を築くためにはどうすればよいかを考え抜いた結果であると思っています。
 運動の場での横田さんはこちらと相手の力関係を冷静に判断し、要求をどこまで通せるかを既に計算していました。
 ある意味で思想家としての横田弘と運動家としての横田弘の違いと言えるかもしれません。そして横田さんはおそらくこれを意識的に行っていたでしょう。
 この行動綱領はマハラバ村の創始者である大仏空(おさらぎあきら)師の日々の言葉を横田さんなりにまとめたものであったようです。
 私なりに行動綱領の解釈を試みてみました。
 マハラバ村と大仏師については現代では資料が少なく、どこまでとりあげられるか自信はありませんが、後述したいと思います。
  (続く)

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