ネットサーフィン

  虐待カテゴリの記事が目に止まり、なんとなく読んでいた。閉鎖的なコミュニティでの虐待は、被害者側がその環境に依存して抜け出せないケースがあるらしい。
  色々思い出してピンときてしまった。別に虐待とは言わないまでも、中高生の頃は中途半端に育児放棄気味の家庭環境で育っていたからだ。当時の私は、母の帰りが遅くても、仕事を頑張ってくれているから仕方がないと思っていた。母を応援していた。その実態が、男のところに遊びに行ったり、朝まで飲みに行っているとしても、そういう息抜きが必要なのだと信じていた。祖母にその親子関係はおかしいと言われたら、私は激昂し否定した。家庭を守るのは母で、母を守るのは私だと背負い込んでいたと思う。
  高校生の頃になると、母は男を家に連れ込まなくなった。代わりに全く夕飯を作らなくなった。就寝前、学校に行く前、母と会うことも少なかった。たまにいく祖父祖母宅で食べる手作りの朝食はひどく特別に思えた。普段は自宅リビングのテーブルの上に、1日の食費が置いてあるのみだったからだ。
  高校3年生になり、アルバイトを始めた。テーブルの上の食費は、私が肩代わりすることが多くなった。帰ってこない母に夕飯代よろしくと言われて、しょっちゅうガストなどで出前を頼んで妹と2人で食べていた。妹は幼かったし、私も学校とバイトの後で家事はなかなかこなせず、家はゴミだらけだった。母を信じて帰りを待ち、ラジオを聴きながら妹とご飯を食べて、自室のゴミ山に埋もれて眠る。テレビは何年も壊れたままだった。それでもなお、何一つ母を疑っていなかった。私も母も精神的におかしかったが、それに気付かなかったし、自然だと思っていた。無気力さ故に頑張れなくて、母に申し訳ないとすら思っていた。というかこれだけは今でも思っている。もう少しだけ私が人並みなら、普通なら、もう少し母もまともだったのかなと死ぬまで後悔するだろう。
  今では本当におかしな家庭環境だったと思う。母子家庭じゃなかったら。母子家庭なんだから頑張れって言われ続けなければ。"駄目人間を庇う駄目人間"を見て育った妹が唯一まともで、本当に可愛いのが救いだ。何もかもに負けて、自分のためにならないものばかり庇ってしまって悔しい。屈して立ち直れない自分が憎い。けどそれに気付くには遅すぎて、私の家庭は間違っているともっと早く気付けていれば良かった。
  本当に荒んだ環境で育った人からしたら生ぬるい苦痛を暗く暗く書き込んでしまったが、以上ネットサーフィンしていたら心当たりにぶち当たりまくった話でした。

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