第10話 ciel nuageux





鍵をもらっていよいよ自由に出入りできるようになった物件。

夜中に一人ボーッと過ごして店のことをイメージする。

陳列台と作業台。

どういう風なレイアウトが仕事しやすいかなぁと

あれこれ考えるために数日だがなるべく多くの時間を物件ですごした。





内装工事は、この物件にたどり着く前に、見つけたものの

並びに花屋があるために諦めた1区の物件。


その物件を紹介したら俺より先に

スルスルっと出店成功した日本のアパレルブランド1LDK。


その内装を手がけたTEE PEE ARCHITECTSさんを紹介してもらった。



舟木レイブンという若い日本人男性と

フランス人の男女の3人の事務所で


1LDKのディレクター関くんから3人を紹介してもらったときに、

3人の雰囲気がとてもよくて気持ちのいい連中だったので、

彼らに頼もうと決めていた。


言いたいことを言って喧嘩はするが

お互いを認め合っているいいチームワークを感じた。





内装工事と言っても彼らにはきっと物足りない

ほとんど花台と作業台と棚を作ってもらうだけの工事になった。

フランスでのこういう仕事はよく遅れるという話を聞いていた。



古い建物ばかりだし、景観を守るための役所の規制も厳しく、

ちょっとしたトラブルが出てくると、

今日はもうできないなぁと職人さんたちが言い出して

帰ってしまったりするらしい。




役所仕事がこれまた時間がかかるので、

その許可を待っている間に頻繁にあるバカンスシーズンに突入して

仕事が全然進まず予定よりも1年も遅れた

みたいな話はいろんな人から聞いていた。



しかしそれらは、ほとんど飲食店の人の話だったし、

俺はもう、ここに什器だけを置いて

仕事をはじめるくらいのものだから

1ヶ月後には始めることができるだろうと思っていた。



それにtee pee Architects の仕事は遅れないと聞いていた。

それは、メンバーのうちの紅一点でかわいこちゃんの

ローラの親父さんが大きな建築会社の社長で

その会社が使っている下請けの施工会社は

コロンビア人がやっている会社らしく

その人達は納期がしっかりしてるらしい。



そして、ちょっと問題があると

大口の取引先の社長の娘ローラから怒られるので

おじさん達は頑張るらしい。



ちょっとした工事だし、

ローラの助けもあれば遅れることはないだろうと

一月後のオープンを目指すことにした。


依頼してる工事以外の部分は自分ですることになるので、

片付けやペンキ塗りの準備をしていたら、

ナターリアが家で友達が集まるから

アツシも飲みにおいでと誘ってくれた。



仕事を終えて9時頃にナターリアの部屋を訪れた。

ナターリアの部屋には8人ほどの友達が集まっていて、

皆古くからの友人という感じで

ろくにしゃべることもできない俺が仲間に入るのは

ちょっと気がひける感じがしたが


すでに皆はフラビュラスを見て俺のこと知っていてくれて、

すぐに数人がいろんなことを質問してきてくれた。


そして話していると驚いたことに

一人の女性がジェロームの元奥さんだという。

そうか皆古くからの知り合いで繋がっているんだと知った。



そして、レナともう一人俺に色々と話しかけてくれた女性が

パトリシアという人で

彼女はファッションのPRの仕事をしていると言って、

ファッションウィークにショールームに花を飾ってくれる?

と聞いてきた。


俺は本当かなぁと思いながら、もちろん。と答えた。


その日はナターリアが色々と料理を作ってくれて、

それが本当に美味しくて、たくさんワインを飲んで

皆が色々と聞いてくれるので、

上機嫌になってあいかわらずの英単語でいろんなことを話した。


後日パトリシアから本当に連絡があった。

ショールームで打ち合わせがしたいと言う。



パリでのファッションウィークは 

1月に春夏のオートクチュールコレクション(仕立て服)

2月に秋冬のメンズコレクション

3月に秋冬のプレタポルテコレクション(既製服)

7月に秋冬のオートクチュールコレクション

7月に春夏のメンズコレクション

10月に春夏のプレタポルテコレクション

というスケジュールになっていて、

これらを総称してパリコレと呼ぶそうな。



ファッションウィークには世界中から

メディアがショーの取材に来たり、

バイヤーたちが買い付けにやって来る。

そんな展示や受注のスペースとして、たくさんのショールームが存在する。




パトリシアからのメールを見てみると

彼女はPLCという会社をしてるらしく、

幾つかのブランドのPRをしているようだった。


ショールームも二つの場所で展開していて、

そのうちの一つに花を飾りたいという感じだった。




まぁ、とにかく現場を見てみないと

どういう花が綺麗かとか飾れるのかどうかもわかんないし

現場を見せて欲しいと頼んで、現場で打ち合わせすることに。



なんだか初仕事にドキドキしながら、

一人でなんとかしていかないといけないので

全然打ち合わせなんてできる気がしなかったが、

片言の英単語だけを抱えて


パトリシアのショールームへ向かった。


そこはパリの真ん中1区のさらにど真ん中。

パレロワイヤルのすぐ近くに、立派なショールームがあった。



パトリシアとアシスタントの男性がやってきた。

パトリシアは出会った夜と同様、

ちょっとご機嫌な感じで、

アツー!元気ー?と再会を喜んでくれた。

相変わらず陽気な人だ。



ショールームはゴテゴテとして

装飾が歴史を感じさせるという感じは全くなく、

内装はシンプルな感じだが

所々に使われている素材などで高級感が感じられるスペースだった。



ひと通り中を案内してもらった後、

アシスタントの男性がキャフェを入れてくれ話をすることに。



顧客に送る招待状には白地に

小さなバラの絵がたくさん書かれていて、

パトリシアはポエティックな

雰囲気の花が必要だみたいな事を言っていた。



スペースは、どこに飾ってもいい。

あなたに任せる。というような事を言っていた。


どう?と聞かれて、うん。OK。と答えた。


本当にただOKとだけ答えたので、

パトリシアは少し拍子抜けしたみたいな感じだった。



日本だと失敗しないよう細かい話を詰めましょうかと

いうことになるんだけど、

なにぶん知ってる英単語の数も限られてるし

パリに来てやりたかった仕事というのは、

クライアントの思ってる事を形にしていくことではなくて

俺が綺麗と思うものを飾って

それを喜んでもらうことなので、

わがままに好きにやらせてもらおう。と思った。



とにかく本当に自分が綺麗と思えるもので勝負してみたい。

失敗を少なくしてこぢんまりまとめるよりも、

大きく成功する方を試しに来たのだ。


それに、俺はもう一つ決めていたことがあった。



クレモンスとジェロームから繋がった縁は

途切れないようにつなげていこうと決めていた。

物件のオーナーの娘さんであるナターリア。

そしてナターリアから今度はパトリシアへ。


この縁には何かきっと深い意味があるような気がしていた。



オープン前から仕事が決まるなんて幸先のいいスタートではあるが

喜んでばかりはいられなかった。



パリ進出を決めて毎月20日パリで過ごすようになって、

9ヶ月が経とうとしていたが、

この間に日本の二つの店のことがおろそかになっていた。



俺が店を離れることで各スタッフの仕事は増え、

オーナー不在=品質低下ということに

ならないようにという重圧もあった。

パリへの挑戦は色々な面で

ほとんど準備ができていない状態で動き出した。



俺一人ならそういう無理は何度も乗り越えてきたので慣れているけど、

スタッフにもそれを強いることになってしまった。


現場にいないということは

思った以上にスタッフに与える影響が大きかった。



あちらこちらから不満が聞こえてきて、

辞めてしまうスタッフが出てくると

さらに残ったスタッフたちへの重圧は増えた。


それでもを信じてついてきてくれるスタッフたちも

仕事を楽しめている状態とは

決して言えないような状況になっていた。



本当にパリに店を出す意味があるのか?

俺のエゴであって、みんなの目標ではない。

本当にお客さんにとって世界一好きな花屋を目指すなら、

日本の現場いてもっと他にするべきことが

他にもたくさんあるのではないか?




FacebookやHPを通じて

日増しに応援してくれる人が増えるのと反比例するように

スタッフのモチベーションが

下がっていっているかのように思えた。


それでも、やるしかなかった。



13年毎日思い描く理想の花屋を目指してやってきて、

四六時中考え抜いて出来上がった理想の形だ。


芦屋の店にずっといて、隅々までこだわった

一つの店というのは確かにいい店かも知れない。

でも、それではいつまでたっても超えられない壁があると感じていた。



東京に店を構えることで

引き受けることができる仕事によって

俺自身もスタッフも成長して、店がレベルアップできる。


パリの仕事からそれを得ることはもっと大きく、

他のどこの花屋にもできていないことだ。



例えばパリの有名店で数ヶ月研修をして得られる経験と、

アイロニーとしての花でパリで仕事をして得られる経験とは


全く種類が違う。


この挑戦こそがたくさんの人にとって

アイロニーを世界一好きな花屋にしていく最善にして最速の道だと

何度も自分に言い聞かせた。



冬のパリは日が短く、朝も8時になっても薄暗い。

明るくなってきても晴れ間が見えることも少なくずっと曇っていて、


オープン間近だというのに気分がすっきり晴れることはなかなかなかった。

à suivre...


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