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引き算という安心感そして足し算という賭け

最初のやつでもなんかぐちゃぐちゃキモイ感じに言ってるように自分って他人の空白に自分の理想を投影したり想像して好きになるタイプで、自分は承認欲求に負けて自分を飾るものは全部公開するくせに、自分が他人を見ると少ない情報の方がクラっときちゃう、みたいなよくあるアレなんですが、大抵それなりに動かしてる女子高生のインスタって(この言い方今自分で思いついたのに若者の流行語ってる編集者になったみたいでゾワッとした、加工のこと「加工」じゃなくてなんかわざわざ「アプリの加工」って言い方するタイプの人たち)、もし投稿してる場合、1か2投稿が多いじゃないですか、新しく更新したら消したりとかして






それってなんかその空白観が想像できて可愛いっていう幻想的でいかにもキラキラした理由もあるし、パッと見の系統がぐちゃってバラバラでなんかイマイチになるみたいなのがあると思う私はそう、2個目まではそこまで揃わなくてもなんとなくまとまりが出るし普通に遊びに行って同じ服と場所で2枚くらいは投稿できるくらい良い写真撮れるからその2枚で揃うっていうのもある、その状態が綺麗で丁寧で落ち着くって思う、そしてその少ない所にとにかく密度を詰め込んで可愛くする、もしくはシンプルにして空間自体に意味を見出す、芸術の鑑って感じがしてとにかく好きなんですが、






よくおしゃれは引き算っていう言葉があって、シンプルイズベスト、無駄を省いて欠乏を無くすという感覚に拘泥される、そういうのがすごく安心するタイミングがある、でも結局パーツというか、体積というか、投稿数でもファッションでもとにかく密度を高めてぐちゃぐちゃ、自分のこれだって思う世界を伝えたい時がある、それってボロが出るリスク高いしまとまらせるのも難しい、でもその全部がぴたって自分の中で好きな世界観だ!!ってなった時、それを他人に伝えられる快感半端ないんですよ、唯一の存在になることが人間の1番の幸福だって公民であったななんだっけ


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