〈アルシア〉SS 当学院校舎内、晴れ空のち積雪

「……天道さん、いい加減気付きませんの?」
じっと、目を細めて私を凝視する高等部三年の〈紺野巳雪〉。先程からじりじりと距離を詰めてきていたその顔は、今や私の今日も麗しく整えてある横髪に、鼻先をつけんばかりの位置にあった。
……ここまで私の崇拝に熱心な者は、このエリアへ呼び込まれてから久しい。目線程度はくれてやるのが、慈悲というものでしょう。少し右に視線をよこすと、ばっちりと目が合った。
「はあ。生憎私は、そこな熱烈な信者一人にうつつを抜かしてやれるほどの暇は、持ち合わせていないものですから」
「いえ、このエリアのどこにも貴方の信者などいませんわ。ただ、気付かないのですかと尋ねているのです」
平静を装ったトーンで返される彼女の言葉ではあるが、語気の節々から繕いきれない憤りが漏れ出している。おまけに私の机の端に勝手に突いてあるその両手にも、徐々に血管が浮かぶ。
……脅迫のつもりだろうか。みしみしと鳴り始める机は気付かぬふりで、目線だけで答えを催促してくる彼女。この私と正面から向かい合える貴重な機会なのだから、直接口で伝えればよいものを。
「私は、諄い言い回しは好みません。それほどまでに長ったらしく私の気を引きたいのであれば、もう少し腕を上げてから来るが宜しい」
「……はー……、一度、ご自分の身なりを確認されては如何?そうすれば自ずとわかりますわ。わからなければ……それこそおわかりですわね?」
……。
まあ、従ってやるのも嗜みでしょう。胸ポケットに忍ばせてあったコンパクト型の鏡を取り出し、いつもどおりに開く。
狭い反射範囲に映るのは、変わらず整ったままの顔立ち、変哲もなく美しい猩々緋の左の眸。肌だって日の光を受けた常と変わらないきめ細やかさで在る。
……どこが可笑しいのか。
「……そのどこがおかしいのか、という顔はおやめ頂けます?そもそも見ているところが違いますわ、私が申し上げているのはその下です!」
彼女の指がぴし、と私の胴を指す。が、こちらだって無論いつもと変わらない。
「変わらないから困っているんです、早くその“着崩し”をどうにかしてください!!」
眉間に皺を寄せ、腰に手を当ててぎり、とにらみつけてくる彼女。……斯様に短気で、一家の顔など務まるのでしょうか。それとも、この“着崩し”にだけは何か許せないと強く思うような要因でも?
……いずれにせよ、私の構ってやることではありませんね。
ごく近くにある肩を押し返し、改めて目を見つめてやる。
「風紀を乱すな、とでも申しますか紺野家の御令嬢。それは全く以て的外れな言い草ですとも」
そも、この学び舎はカードに選ばれた救世主22名のみしか生徒の居ない、一般的に言えば小さな集団でしかない。であれば、仮に私に影響を受け着崩しなどの“風紀の乱れる”行動をする者が21名生まれたとしたとて、結局は少人数。広まる規模も小さなものでしょう。
まして、私に憧れ心を乱すことは当然のことであり特段咎めたことではないでしょうが、私の模倣ばかりをして勝手に“風紀を乱す”のはその者の勝手な行動でしかなく、また私に責任が帰することなどありません。
であれば何故、御前がそう私に詰め寄る必要があるのでしょう。
率直に私の思考を教えてやれば、更にその表情は歪んでいく。
「風紀は一部でなく、全員の努力から成るんです!というより、貴方前のパーティのときはしっかり着ていらっしゃいましたわよ?逆になぜこんな普通の場ではできないんですの!!」
「一時限りで、しかも親族が皆揃って私の前で額を床に擦り付け乞うのです、応えてやる程度の情けはくれてやりましょう」
「パーティ一つでちゃんと着てもらう為だけに一家総出で土下座したんですの……?貴方の家のご両親が思いやられますわ……」
自ら頭を垂れたのはあれらの方であるというのに、何を言うのか。
柔和な私はそうとは口にせず、ただ無言を以て肯定としてやった。
「ご両親ですらそれでは、私が言っても直らないのも無理ありませんわ。でしたら……」
「であれば、何と?」
「風紀が乱れるとどうなるか、その身で体感していただきますわ。

……はあッ」
すると、握り拳をつくり何やら構えだす彼女。みるみるうちにその腕に血管の筋が浮き出し、ふわと髪を揺らして顔を上げた彼女は、私を傲慢にも見下ろした。
「歯を食いしばる準備は……宜しいですわね?」
「……私は無駄な争いごとは生憎好みません。失敬しよう」

その後、私を探し回る彼女の怒声を背で聞き流しながら、日暮れ頃に校舎を出たことなどは言うまでもないでしょう。