「オタク」という言葉について

 これほど、短期で意味の変わってしまった言葉も少ないんじゃないだろうか。
「オタク」という言葉の意味は、数十年前とまったく変わってしまった。
 けれど若い人のあいだでは、その「違い」を知らない人もいるだろうし、それに、「昔の『オタク』」を指す新しい言葉が必要ではないか? と感じているので、その辺りを考えてみたいと思う。

戦前~戦後のオタク

 昔は、「オタク」と言えば、そのまま「Geek」や「Nerd」の事だった。「Geek」とは、「社会性が低い」とか、「マニア」という意味だ。ちなみに「Nerd」は、「一つのジャンルのこと(特にコンピューター)に非常な興味を持っており、それに関する知識が豊富であるが、流行に疎く、外見的に魅力のない人」と辞書に記載されており、まさにオタクのことを指す。
 この頃、「アニメ」と「オタク」の間に、まだ繋がりはなかった。

アニメは「オタク」たちが広めた

 戦後、テレビが普及していき、「アニメ」は少しずつ浸透していく。
 当時、アニメは見る方も大変だった。電波で放映されている以上、電化製品に長けていなければ見れなかった。作るのはもとより、見る方ですら一定の知識や根気がなければ楽しむことのできない、まさに「オタクのための」娯楽であった。
 しかも彼らは現実を嫌い、恐れていた。彼らは「アニメ」という架空の世界で水を得た魚のように伸び伸びとすることができた。作る方も、次第に「オタク」に向けて作るようになった。それを観たオタクたちがまたアニメを作っていった。「アニメ」というフィクションは、「オタク」たちにとっての理想郷、ある種の宗教となったのである。
 もちろん、アニメはオタクたちだけのものではない。手塚治虫や宮崎駿といったアニメーターも確かに存在した。しかし、コンピュータを使って作るという性質上、アニメはオタクと最も親和性が高かったのである。
 これは、ゲーム業界においても同じ経過を辿ったのであった。

理想郷の凋落

 そして現在、「オタク」の意味は大きく変わった。
 そもそも「ゲームやアニメ」は、「現実逃避の手段」や「子供騙し」、はたまた高尚な「芸術作品」などではなく、立派な「娯楽」になり得てしまったのだ。ドラゴンクエストやゼルダの伝説などの一般向けのゲームの発展により、一般の人もゲームを楽しむようになる。アニメも手塚治虫やさいとう・たかをなどの影響で子供向けのみならず、大人も楽しむようになり、一般的な「ビジネス」たり得てしまった。
 かくしてオタクたちの理想郷は、一般化し、崩壊したのである。今でも、作り手には「オタク」が多いかもしれないが、それを享受するのは一般人となってしまった。
 それとともに、かつてアニメ好きの代名詞であった「オタク」という言葉は、「ゲームやアニメや漫画が好きな人」という意味で一般的に使われていくようになり、本来の「オタク」意味から大きく逸脱していく。
 つまりかつて「オタク」と呼ばれた者たちは、その「名」を奪われた形になっているのだ。

いま、「オタク」たちはどこにいるのか

 スマートフォンが隆盛し、パソコンの操作は簡単になり、誰しもがゲームやアニメを楽しみ、コンピュータ技術の価値が凋落したいま、「オタク」たちはどこに居場所を見出せばよいのだろうか。
 そんないま、入れ替わるように話題となっているのが、「アスペ」という言葉である。「アスペ」、すなわち「アスペルガー症候群」、自閉症スペクトラム障害という神経発達障害のひとつは、DMS-5というアメリカ精神医学会の定義によると「人とのコミュニケーションに障害があり、ひとつのことにこだわり、マニア的な側面が強く、『流行』や『大衆』への興味や理解に乏しい」と書かれている。
 そう、ここにはまさに「オタク」のことが書かれてあるのだ。
「オタク」たちはコンピュータ技術やサブカルの発展に貢献し、そして今ではこのように「障害者」に名を連ねてしまっている。これは嘆かわしいことかもしれない。
 だが、これはあり得ることなのだ。想像してみてほしい。もし今後人工知能が発達し、ありとあらゆる業種が奪われると――職を奪われ、かと言ってそこまで能力のない人々のあいだから、こんどはまた新しい「障害者」が生まれていく。「発達障害」は、いわゆる「先進国のリストラ」の先駆けなのである。お次はなんだろうか。おそらくトラウマや生育環境の偏りからくる人格の障害、「パーソナリティ障害」だろうか。こうやって、仕事が簡単になればなるほど、求人の絶対数が減っていき、働ける人間がどんどん減っていき、ほとんどが「障害者」と呼ばれていく世界が来るのかもしれない。
 新たなパラダイムシフトが起きるまで、「オタク」たち――いや、「アスペ」たちはふたたび地下に潜るのだろう。

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