見出し画像

本音

誰も悪くないしみんな悪い。
もうこんなことも認識してらんない。
何度も何度も畳み掛けてらんない。
まず生きてたらなんでこんなやらなくちゃいけない事があんの?て感じ(わら)
世界には色んな人がいて、得意不得意とか個人でそれぞれあるけどさ、そんなやらなくちゃいけないこと全部やってたら必ず誰かの心を壊したりするやん、でもさ、世間ではそれを乗り越える人のことを「強い」って言うやろ。結局世間は結果で見られる。何もわかんないんだよ。「強い」とか「優しい」とか違うんだよ。たしかに、強くなりたいし、優しくなりたいけど、なんか、考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなってくんだよね、アホらしいのまじで、世界がどうでもいいの、アホらしいの。これまでの人生もこれからの人生も間違いたくないと思う。思ってた。でも大事なのは間違えないことじゃない。大事なのは、それからどうするかだって私は思う。大事なのは「いい」ってことだと思う、「良い」じゃなくて。
良い人じゃなくていい人になれたらいいって思う。いい人になりたいって思う。


誰の言葉をどれだけ信じるかなんて
自分で決めたらいいのに。
だから言葉のこと、好きなのかもしれない。
だから言葉のこと、嫌いなのかもしれない。

私はいい文章を書きたいんじゃない。
思ったことを文章にした時、いいって思えるようになりたい。
自分の感情が、「綺麗」とか「正しい」とか「強い」とか「優しい」とかそんなんなら、私だって良かったけど、そんな瞬間なんてひとつまみくらいしかない。
最初から強い主人公のストーリーはつまらない。
だんだん強くなる主人公のストーリーがすきだ。
それと同じで、
最初から綺麗な心の人の話は面白くない。
だんだん綺麗になっていく人の話がすきだ。
汚い感情を綺麗に書くんじゃなくて、
その感情を綺麗になるような、そんな気持ちに変えらる人とか、変えようと頑張る人とか、この場だけでも、言葉だけでも、綺麗に書く人は結構好きです。私と同じ気がして。


ただ私は嫌われたくないだけだ。
自分が正しいか正しくないかなんてどうでもいい。
正しくいるのは表面でいい。
私の本質を見てよ。
私の本質まで見抜いてよ。
綺麗になろうと足掻いてる私を
どうか嫌いにならないで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?